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『この想いを秘めておくこと叶わず、手紙にて伝えさせて頂くこととしました。あなたの美しさが必要なのです。失われた天使のいた部屋で、オレンジの辺にあなたをお待ちしています』



 私たちの前で情熱的なラブレターを朗読し、困り果てたような顔をしているのは二年生の伊織月乃(いおりつきの)先輩。彼女は、「それで全部ですか?」と訊ねた私を見ると、苦笑いを浮かべて首を傾げた。



 女の私でも、ゾッとするほどの美人だ。



 人の容姿を見て感動するというのは、実に珍しい体験だろう。更に言えば、同性を相手にそんな衝撃を覚えるだなんて、私は今まで考えたことがなかった。

 華やかなオーラのようなものが、彼女の全身を包んでいる気がする。ハッとして、息を呑んだのが分かったのか、彼女は私を見て微笑みを浮かべ、微かに髪の高貴な香りを漂わせる仕草を見せた。



 そのキレの長い目にスッキリと通った鼻筋の端正な顔立ちに、儚い表情と烏の濡羽色をした黒髪は、歴史的な絵画のモデルにも匹敵する美しさだった。

 年齢も、私と一つしか変わらないはずなのに、その常人離れの垢抜けた魅力はどうだろう。且つ、内面に目を向ければ、帰国子女で語学も堪能、勉強も運動も芸術もセンス抜群との噂である。

 おまけと言わんばかりに、私生活では実家を離れタワーマンションに一人住まいをしている、いいトコ育ちのお嬢様であるときた。



 なるほど、彼女が釣鐘(つりがね)高校で一番の美女であることは、最早疑いようのない事実だと改めて感じる。完璧とは、あるところにはあるものらしい。



 女王。



 それこそ、まさに彼女を表す言葉なのだと、私は漠然と思った。



「不思議なことだらけなの。まず、差出人が分からないし、待ち合わせの時間や場所も分からない。それに、オレンジの(へん)だって、なんのことなのか見当もつかないんだもの。こんな告白、生まれて初めてかしら」



 明確に、『数多くの愛の告白を受けてきた』という意味が込められているような気がした。彼女ほどの女が言うのなら、当然のこと過ぎて最早嫌味にも聞こえないけれど。



「元も子もないこと言うんですけど、シカトすればいいんじゃないですか? こんな意味不明なラブレター、相手する方が変です」


「そんなのってダメよ。だって、何事も決着はつけるべきだから。送ってくれた人にとっても、私にとってもそう。青春の後悔は残さないべきね」


「なんというか、男らしい考え方ですね。普通、興味のない相手からの告白はなぁなぁにしたがるモノかと」



 伊織先輩は、少し顎を引いて小さくため息をつく。その仕草から、彼女は女王であることの責任感を背負って生きているようだと思った。



「けれど、悲しいわ。私に読み解く実力が備わっていないから」


「先輩は才色兼備だと聞いてますが」


「残念ながら、今回は特別な閃きが浮かばなかったわ。でも、ここに来ればひょっとすると解決するかもしれない。そんな話を友達に聞いたから、恥を忍んで頼みに来たの」


「……ですってよ。聞いてました? 影郎(かげろう)君」



 振り向くと、影郎君は突っ立ったままズボンのポケットに手を突っ込み、ぼんやりと考え事をしているようだった。先ほどから、先日に壁の補修工事が入った、新教室棟の四階にある特進クラスをぼんやりと眺めているらしい。



 いやはや。



 こんな美人を前にしているにも関わらず、目線すら向けないでいられる所には、呆れを通り越し尊敬すら覚える次第であった。



「影郎君? 話聞いてますか?」


「聞いてるよ」


「音が聞こえてるだけのことは、話を聞いてるとは言わないんですよ?」


「要するに、伊織君に手紙を送った人間を探し出せと言うワケだろう」


「いやいや、ラブレターなんですから時間と場所を読むだけでいいんですよ?」



 無視された。



 私には、それとこれとが同義とは思えない。ラブレターである以上、相手の目的は告白なのだから会う前に個人を特定する必要性を感じないのが当然だろう。



 ……というか、聞こえているなら返事くらいすればいいのに。



「自分で持ち込んでおいてなんだけど、そんなこと出来るの? 倉狩(くらがり)君」



 影郎君は、ようやく伊織先輩を一瞥すると片眉をピクリと動かして「さぁね」と呟く。そして、部屋の中をぐるりと一周してから、何も言わずに長机の端っこへパイプ椅子を引っ張ってくると、そこに座って背中を丸め、伊織先輩の前に置かれていたラブレターを手に取り読み始めた。



「怒らせちゃったかしら」


「昔からこうなんです、気にしないでください」



 きっと、さっきの伊織先輩の言葉を挑戦状として受け取ったのだろう。



 集中する彼の、何とも言えないミステリアスな雰囲気のせいか、これもいつも通り、そこだけが、周囲より幾らか温度が低いような気がした。



 ここは、生徒会本部から離れひっそりと存在する遊撃隊、支援委員会の活動拠点である部室棟最奥の一部屋だ。



 支援委員は、一万人もの生徒を抱える、横浜市立釣鐘高等学校の、表沙汰にするまでもないごくごく個人的な生徒たちの悩みを解決する部署である。



 ただし、その存在を知っている生徒は少ない。何故なら、支援委員は表立った広報活動をしていないため、学校案内のしおりか生徒手帳を隅から隅まで読むような酔狂な者でなければ気が付けない程に影の薄い部署だからだ。



 彼の名前は、倉狩影郎。



 私の幼馴染で、半年前から私の家に居候している奉仕と演説が好きな男の子。

 両親が亡くなってしまったため、昔から近所付き合いのある父と母が家に匿うと言って半ば強引に彼を日向家に住まわせたのである。



 伊織先輩と同じく一つ歳上の影郎君は、猫を殺すほどの好奇心を持っている(もちろん、慣用句的な意味である)。

 特徴と言えば、すこぶる頭がいいこと。かくいう私も、約二年半ほど前。つまり、彼の両親が亡くなってほどなく、影郎君の頭脳に文字通り命を救われたことがある。そんな恩義もあったからこそ、両親は半年前に幼馴染である彼を我が家へ招待したのだ。



 そんな秀才である影郎君と、模範的一般市民の私こと日向希子(ひなたきこ)の二人が、この支援委員会に所属する生徒会の役員だ。



 ずっと影郎君一人だったようだから、なんだか放っておけなくて、小学生から続けていたブラスバンドを辞めてまで、半ば強引に私も支援委員会に所属したのである。



 ……どうやら、日向家は強引な血筋らしい。



 でも、それくらいが不思議君の影郎君にはちょうどいい。だから、私は彼をお兄ちゃんでも呼び捨てでもなく、敬意と庇護を込めて影郎君と呼んでいるのだった。



「伊織君、この手紙を受け取ったのはいつだい」


「今週の火曜日に気が付いたの、だから一昨日ね。ひょっとすると、もっと前から机の中に入っていたのかもしれないけど」


「下駄箱ではなく、机の中に入っていたと」


「えぇ、その通りよ。奥の方に入り込んでいたわ」


「キミの机は窓際かい?」


「えぇ、一番窓側の一番前。どうして?」



 またしても無視。女王的には恐らく慣れていないであろう男子の無関心な反応に、伊織先輩の表情が少し曇ったのが分かった。



 白い便箋に二つ折りで入れられた、手書きのラブレター。文字は、几帳面な印象を受ける綺麗な代物だ。装飾はされていない。便箋の表面には、筆記体で『F・M』と記されている。



「希子、シュタイナー教育という言葉を知っているかい」


「いいえ、知りません」



 聞き慣れない言葉と質問をぶった切る質問に、「始まった」という私の内なる期待が、思わず表情に出てしまったのが分かった。恐らくニヤと笑った私を見たせいで、伊織先輩が不思議そうに首を傾げたからだ。



「オーストリアの哲学者、ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育方法のことだ。そこでは、センスの発達のため、まだ曜日感覚のついていない子供たちへ色で理解をさせようとした。月曜なら紫色、火曜日なら赤、と言ったようにね」


「月曜は光る白ってイメージがありますけどね、月って感じで」


「キミのイメージと相違があれど、その月から連想しシュタイナーは紫としたんだ。答えとして存在するのだから仕方ない」


「ふぅん」


「この教育方法の中では、曜日が惑星の色に対応して分類されている。従って、オレンジは木星の木曜日、ということになる。送り主は、木曜日の放課後に待っている可能性が高い」


「なんで放課後なんですか?」


「『へん』でなく『ほとり』。こう読めば、木曜日の際となる。放課後ということだ」


「……そうね」



 返事をしたのは伊織先輩だ。私は、謎の外国のおじさんの知識を持ち出して理屈を無理矢理引っ付けられたような気がして、素直に「うん」と言えなかったのだ。



「際なら、朝かもしれないじゃないですか。学校なんて、朝っぱらなら侵入してやれないこともないです」


「それはない」


「どうして?」


「オレンジの辺。この言葉が、送り主にとって重要な伊織君との記憶だからさ」


「意味が分かりませんよ」



 影郎君は、少し私を見るだけで何も言わない。どこかニヒルを含んだ、見下すような表情に私は少しだけムカついた。



「しかし、ラブレターなのにこんなに面倒臭いことをしてくるなんてどうなんでしょう。この人、伊織先輩と付き合いたいって思ってないんですかね」


「それは勘違いだ、希子」


「何が勘違いなんですか? 影郎君より私の方が乙女心に詳しいですけど?」


「そうじゃない。恐らく、この手紙は恋文でなく犯行予告状だ」


「……はい?」



 私と伊織先輩の声が重なる。しかし、影郎君は静かに手紙を机の上に置くと、再び立ち上がって背中で手を組み静かに歩き出した。



 どうやら、彼の中では既に解決しているらしい。



 彼の表情と確信めいた仕草に伊織先輩は驚いたようだったけど、私からすれば、それはいつも通りの影郎君の姿に他ならなかった。



「暗号である以上。……まぁ、暗号ではなく散文詩のようなモノだが。鍵となるのは伊織君の過去だ。恐らく、この送り主はキミが手紙を読み解くことを望んでいない。そうでなければ、迂遠な文章など書く必要がないからだ」


「それは、そうでしょうね」


「つまりだよ、伊織君。もしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、送り主はキミへ何らかのアクションを起こそうとしていると考えるのが自然なのさ。好きな相手が読めた時だけ告白しようだなんて、そんなことは考えないと思わないかい?」



 そう言って、影郎君は右目と口の右端を歪に歪ませ、伊織先輩を視界に捉えた。

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