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Worldend Odyssey  作者: 奈良 早香子
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第三章 ノクトの洞窟

第三章 ノクトの洞窟



「ここを抜けたらもう教会領ではなくなる。襲撃の数は今までと比べ物にならないくらい増える。覚悟はできているか?」

 教会領とモルスの国境手前で、ディーンはリエラに答えがわかり切っている質問をした。

 モルスは西の大国で、魔力によって発展してきた歴史を持っている。その点では教会領に近しく、軍も魔法攻撃を得意としている。

 逆にアガートは東の大国で、剣術などの物理攻撃を得意としている。

 2つの国は、現在は教会領となったロム平原によって隔てられており、1年前の第5次アガート・モルス大戦の影響で国交は完全に断たれている。そのため、中立地帯である教会領が発行する特別な通行証がなければ、3ヶ国を行き来することは出来なくなっていた。

 教会領とモルスはリトーの滝から生まれる大河によって隔てられている。大河がそのまま国境線となり、そこに架けられている3本の橋の中央に関所があった。2人が訪れたのはリトーの滝から1番近い第一関所で、利用者の最も多い関所だった。

 関所を通過するときに通行証が必要となるが、2人は教会が発行した通行証を持っているため、足止めを食らうことはない。ただし、2人が国境を通過したとモルスに知られることになる。

 けれど、教会を旅立ってから既に10日が経過し、2人は何度となく襲撃は受けている。2人の現在位置をモルスもアガートも把握していることは明白だった。襲撃をその都度撃退しても絶えず何者かが襲ってくるのは、そうすることで2人の消耗を狙っているのかもしれなかった。

「覚悟というのであれば、それはもう教会を出た時から出来ています。それよりも、ここからノクトの洞窟まではどのくらいかかるか、ということの方が私にとっては重要です。」

「俺の足だったら10日、一般人なら15日くらいだ。ただ、襲撃は必ずある。頻度にもよるが……20日くらいはみておいた方がいいかもしれない。」

「それくらいあればまだ期限には間に合いますね。では、行きましょうか。」

 リトーの滝を出発してからも、リエラは相変わらずだった。

 ディーンの歩くペースにキッチリ着いて来るし、襲撃を受ければ反撃する。ただ、直接襲ってくる者はディーンが殺してしまうので、リエラは専ら遠隔で見張っている者に対処していた。

 そういうこともあり、リエラがディーンの近くで攻撃魔法を使う機会はまだなかった。

「ディーンはモルスの出身でしたよね。故郷は久しぶりですか?」

「教会の騎士団に入ってからは帰っていないから……少なくとも5年は帰っていない。傭兵として仕事をしていた時以来か。まあ、久しぶりと言えば久しぶりだな。」

「出身の村がノクトの洞窟の近くなら、寄っていけるのでは?」

「生憎、ノクトの洞窟とは距離がある場所だ。それに、ノクトの洞窟近くにあったとしても、行ったところで何もないんだ。俺が15歳の時に野盗に襲われて、とても人が住める場所ではなくなってしまった。」

「聞いてはいけないことを……聞いてしまいましたか?」

 恋人がいるかどうかとか、ずけずけ聞いてくるところがあるリエラにしては何かを感じたのか、声が少ししぼんだ。

 教会の騎士団員のほとんどは家系で入って来るので、両親共に健在という者が圧倒的に多い。傭兵出身者であればディーンのような経歴を持つ者は山のようにいるが、教会の騎士団員には少ないから、その差がまだ感覚的にわからないのだろう、とディーンは考えた。

「いや、別に。あのときは俺も若かったから、白き異端者とはいえそこまでの戦力になれなかった。自分に向かってくる野盗を倒すのがせいぜいで、気が付いたら共倒れの状態だった。野盗は全滅させたが、村人も俺を含めて数人しか生き残っていなかった。両親もそのときに死んだ。」

 ディーンは傭兵時代も騎士団に入ってからも、何度となく誰かに話した過去を語った。

 ディーンにとって傭兵になる前の過去はルルのことと違って既に振り切れた過去ということもあり、聞かれることに対しても語ることに対しても、特に心が動くようなことはなかった。

「それで、傭兵に?」

「ああ。野盗が襲ってきた理由が、村に白き異端者がいるからってやつだったからな。どこかに定住したら同じことが起こると思って、傭兵という根無し草の生活を選んだ。まあ、結局その生活も合わなくて教会の騎士団に入ったわけだが。」

「白き異端者が狙われるというのは、あの迷信ですか?白き異端者の生き血を飲むと、不老不死になるとかなんとか。」

 それは、この世界で生きる者ならば1度は聞いたことのある昔話だった。

 白き異端者と戦場で共に戦った勇者の物語。

 白き異端者が敵の攻撃に倒れ、自分の息がまだあるうちに血を飲むように言い残して気を失う。

 白き異端者の生き血を飲んだ勇者は不老不死となり、敵を全滅させて勝利を勝ち取る。

 アガートで語られればアガートの勝利で話が終わり、モルスで語られればモルスの勝利で終わる、そんな昔話。

「そうだ。教会領ではそれが迷信だと浸透しているが、モルスの辺境ともなるとそういうことがまだ信じられている。俺の場合、小さい頃は両親が守ってくれていたし、10歳くらいの時だったか……剣の修練中に怪我をして出血したことがあって、その血を使って友人に迷信の内容を試してみたが、何も起こらなかった。それで迷信だと確信した。昔話は昔話で構わないんだが、白き異端者が現実存在しているせいで信じてしまう者もいる。俺からしたら迷惑でしかない話だった。」

「白き異端者の数が少ないのは、そういう理由もあるのですね。」

「おそらくな。白き異端者は教会領内で生まれれば手厚く保護されるし、モルスやアガートでも都市部なら特に問題もない。まあ、俺以外の白き異端者がどこそこに住んでいるって話は聞いたことがないし、世界に10人いないということすら多めに言っているのかもしれない。もしかすると、今は世界に俺1人ってこともあり得るだろうな。」

 そういえば村にはもう1人白き異端者がいたな、とディーンは思い出した。

 ディーンよりも10歳年下の女の子で、モルスの別の村で生まれたもののそこで生贄にされそうになって、母親がそれを良しとせずに共に逃げ出してディーンの村に辿り着いた。

 ディーンの村では白き異端者を差別しない下地ができていたから、村が野盗に襲われるまでは同じ村で暮らしたが、野盗の襲撃で行方不明になって、それ以来会ってはいない。

「過去に白き異端者に会ったことは?」

 たった今ディーンが思い出したことをリエラが聞いてきたので、ディーンは少し面食らった。

 そして、そう尋ねてくるリエラの顔を見て、リエラはその女の子に似ているのだ、とディーンは気付いた。

 リエラと初めて会ったとき、誰かに似ていると感じたのはあの子のことだったのか、と。

「俺が生まれた村で3年くらい一緒にいた。後にも先にも、俺以外の白き異端者はその子しか知らない。俺とは違って女性だった。女性というか……女の子だな。俺とは10歳離れていたから、あまり交流はなかった。1つの村に白き異端者が2人いるっていうのもかなり珍しいから、噂になって襲われたんだろう。村の襲撃で生き別れた。死体は確認していないが、噂も何も聞かないから、生きてはいないのかもしれない。

 それで……なんとなく、リエラにその子の面影がある。名前は……そう、アレイルだったか。初めてリエラに会ったときに昔会ったことがあるか聞いただろ?それがアレイルだったことを思い出した。まあ、生き別れたときにアレイルは10歳にもなっていなかったから、完全に他人の空似なんだろうけどな。」

 話すことで記憶が刺激されるのか、ディーンの頭の中にアレイルの顔がぼんやりと浮かんでくる。

 白き異端者であるのだから当たり前のように真っ白な髪と肌で、いつも何かに怯えているような子だった。黒髪のリエラとは見た目も性格も正反対のようで、それでいて面影が重なるというのも珍しいことだな、とディーンは感じた。

「生きていたらちょうどリエラくらいの年齢だろうな。そういえば、リエラは何歳なんだ?」

「女性に年齢を聞くものではないですよ。」

 少し自分のことを話しすぎた、と感じたディーンは、話題を変えるために特に何でもないと思われる質問をしたが、リエラが素直に答えなかったことに少し驚いた。

「ああ、それは悪かった。忘れてくれ。」

「そこまで気にしないでください。ちょっといろいろ難しいのですよね……まあ、19歳ですよ。」

 妙な言い回しをするな、とディーンは感じたが、リエラが答えにくそうにしていることはわかったので、それ以上は聞かなかった。少なくとも、ディーンがおおよそ予想していた年齢通りだったということもあった。

「俺は28歳だから、9歳差か。一番若い部下が大体それくらいだ。」

「騎士長だと、確か直属の部下は100人くらいですよね。年上の部下もいるのですか?」

「俺の部隊は正確には105人だ。俺が騎士長としては最年少だから、年下の部下もちろんいる。出世を望むというより現場に出たいというタイプが多い。逆に若い奴の方が出世欲が強かったりする。まあ、これもこれで人によるところが大きい。」

「他の部隊との交流もあったりするのですか?」

 リエラにはこれまでも様々なことを聞かれたが、今回はずいぶん熱心だな、とディーンは内心思った。ただ、聞かれたことにはきちんと答える。これはディーンの性分みたいなものだった。

「部隊同士で戦闘訓練をすることはある。俺の上にいる騎士連隊長の配下の部隊同士でやることが多い。ただ、騎士連隊長が違う部隊同士の訓練は……年に2、3回くらいがせいぜいだ。交流というと別部隊同士ではあまりないな。教会の騎士団は連携を重んじるから、広く浅くというより、狭く深い付き合いになる。基本的に一度配属されたら部隊が変わることはないからな。それでも、人間同士相性はあるから、どうしても上司とそりが合わなくて別の部隊を希望する者もいるし、異動させる上司もいる。1年で数人程度は入替る。」

「ディーンは他の部隊の騎士がディーンの部隊に入りたいと希望したらどうしていました?」

「そのときは面談して決めていた。俺が白き異端者だから、興味本位で異動を希望してくる者が少なくない。そういう奴は受け入れないし、逆にどうしても俺の下につきたいという熱意が感じられれば受け入れる。理想と現実が違い過ぎて離れていく者もいるが……一応、入隊希望者を異動希望者が上回ったことはない。」

「人望があるのですね。」

「どうだろうな。上に立つ者としてどうあるべきか常に考えてはいるが。俺の部隊は今騎士団長預かりになっているから、教会に帰って俺の下に戻りたくないと言われないことを願っている。」

「……そうですね。」

 それまで熱心に質問をしていたリエラが無言になってしまったので、ディーンもまた無言になって関所を目指した。少し扱いに困るなとディーンは感じたが、それもまた年齢のせいかもしれないと思うことにした。今までの護衛任務でこれほど護衛対象と会話をしたことがなかったし、単独任務自体も久しぶりで勘が戻りにくいのかもしれない、とも考えていた。

 モルスの関所は、ディーンとリエラが共に教会が発行している通行証を提示したことで、あっさりと抜けられた。

 基本的に教会の通行証があれば国境越えは難しくない。逆にアガートやモルス発行の通行証であると、教会領へは入れるがもう一方の国に入ることは難しい。ノクトの洞窟の次に行くゴーダの街はアガートにあるが、一旦教会領に戻ってから行くことになるはずだった。

 ロム戦場跡がまだロム平原と呼ばれモルス領だった頃、アガートとモルスから教会領を通らずに直接行き来するには、ロム平原を通るしかなかった。そこを通るには、それこそ両国の王の直筆署名と国璽付の通行証が必要だった。国境を越えた通行証の持ち主が何か問題行動を起こしたのならば、それが宣戦布告となる程扱いが厳しい。

 1年前に第5次アガート・モルス大戦が起こるまで、アガートとモルスの間では国の幹部たちが年に数回行き来し、様々な外交が行われていたが、現在それは途絶えている。現状、ロム戦場跡を越えようと思ったのならば、同様の手続きが必要となり、なおかつ教会領に入るための通行証も必要になる。しかし、戦後処理が終わってまだ日も浅いため、そのような事態は起こらないと考えられた。

 戦争の傷跡は、国同士をもまた大きく引き裂いていた。


 ◆


 関所を通り過ぎてノクトの洞窟へ向かう街道を進んでいくと、ディーンが肌で感じる殺気が1歩進む毎に増えていくのがわかった。関所近くは人通りも多く、さすがに一般市民を巻き込むようなことはしないようだったが、人気がなくなればすぐにでも大人数での襲撃を受けそうな気配が既にあった。

 魔法やその他考え得る様々な方法で人払いをしているのであれば、今はまだすれ違う人もそれなりにいるが、後々人とすれ違うことはまずなくなるだろう。

「ここまであからさまというのは、少し想定外だった。」

「軽く20人は潜んでいますね。殺すこともできますけれど……」

「さすがにそれは待ってくれ。教会領ならともかく、ここはもうモルスだ。先に手を出したら少しややこしいことになる。」

 関所を越えてから無言だったディーンとリエラの久しぶりの会話は、少し物騒なものだった。

 教会領での襲撃は全て傭兵の手によるもので、攻撃されたから反撃したという正当防衛的なものであると同時に、教会の力で殺人をもみ消すことも簡単だった。

 しかし、教会領以外の場所では教会の力が及び難い。監視されていたのが気に食わないから殺した、となるとモルスの警察も動くだろうし、ある種治外法権を持っている神の巫女がやったこととはいえ騎士長が近くにいたのに何もしなかったのかと国際問題になりかねない。それに、ディーンとリエラの目的はあくまでノクトの洞窟の観光だ。下手に証拠を残せば、この先その目的が達成できなくなる可能性がある。

「取れる手段は2つある。1つは、教会が運営する宿に入ること。宿はこの近くにある。さすがにその中に敵は入ってこないはずだが、それ以降の移動が難しくなる。もう1つは、街道を外れて人気のない場所にあえて移動して敵が襲ってきたところを返り討ちにして、一切の証拠を消すこと。ただし、俺でも20人の相手は厳しい。リエラの力に頼ることになる。どうする?」

「決まっているではないですか、後者です。ここで派手に殺しておけば、ノクトの洞窟までは比較的安全になるかもしれません。」

 そう言ったリエラの口調は少し楽しんでいるようにも感じられた。力を出したくてうずうずしているような、そんな雰囲気があった。

 ただ、2つの手段を提案したディーンだったが、おそらくリエラが後者を選ぶだろうことはわかっていた。これまでの態度からそうするだろうという予想がついていた。

 それに、2人の目的地がノクトの洞窟だというのがもう知れ渡っているのだから、大人数で襲撃をかけて失敗したなら、閉鎖空間であるノクトの洞窟で待ち伏せをすればいいとなるのは明白だ。そうなれば、わざわざ道中で襲う必要はない。リエラが言っているのはそういうことだった。

 教会領での襲撃は2人の力量を測ることと現在位置を把握していると知らせることが目的で、今回は普通に考えればとても2人で対処できない人数を相手にどう立ち回るかを見極めることが目的。リエラを殺すことができたのなら、それはそれで儲けもの、くらいに敵は考えているのだろう、とディーンは思いを巡らせた。

 覚悟を決めた2人は、足早にノクトの洞窟へ向かう街道を進んだ。

 しばらく進むとディーンの予想通りに人気はなくなり、2人は総勢25人の傭兵たちに囲まれることになった。

 モルスの領内であるのだから、人払い程度のことはやはり造作もないことのようだった。

「ここまでされたら、さすがに攻撃しても大丈夫ですよね?」

「ああ、こうなるとさすがに監視しているだけという言い訳は不可能だ。」

「この状態で勝つつもりか?」

 剣を抜いて臨戦態勢に入ったディーンに、敵の中の1人が話しかけてきた。明らかに嘲笑を含んでいて、自分たちが負けることなどない、と考えているようだった。しかしながら、それは確かな実力からくる自信と言えるものでもあるようで、剣の実力はディーンとさほど変わらない雰囲気もまた持っていた。ディーンが相手できたとして5、6人がせいぜいかもしれない。白き異端者は1対1の戦いであれば無敵に近いが、集団戦になれば無敵とは言えなくなる。

 ディーンがざっと敵を見渡した限り、知っている顔はなかった。ただ、全員が全員傭兵というわけではなく、おそらくモルスの軍属だろうという剣の構え方をしている者もいたので、国ぐるみで襲ってきているという確信が持てた。

 自国の領土に入ったことで、モルスは本気でリエラとディーンをあからさまに殺しにきた。

 もしリエラがここで死んだのなら、すぐにモルスはロム戦場跡を占拠するために動くだろう。

 1年前まではロム平原と呼ばれ、現在は教会領となっているロム戦場跡は元々肥沃な大地で、アガートもモルスもその場所を欲している。1年前に焼け野原と化したが、数年待てばまた農地として利用できるようになるからだ。実際、ロム平原がモルス領だった頃、その大地で収穫された穀物などは大いにモルスを潤した。

 アガートとモルスは現在休戦協定を結んでおり、中立である教会領へ攻め込むことはないはずだったが、神の巫女という抑止力がなくなれば、その協定は容易く破られてしまうだろう。最悪の場合、ロム戦場跡の占拠のみならず、教会領全てがアガートもしくはモルスの手に落ちる可能性も否定できなかった。

 アガートとモルス、先に神の巫女を殺した方、もしくは先に殺したという情報を得た国がロム戦場跡を手に入れられる。だからこそアガートもモルスもいち早く神の巫女を殺したがっている。

 神の巫女を擁しない教会の力は皆無に等しい。国土はモルスとアガートが同程度の広さであるのに対し、教会領は10分の1程度の広さしかない。教会は騎士団を持ってはいるが、その数は1万程度で、神の巫女を除いた軍事力の差は国土の広さと同等であるので、神の巫女さえいなければ、教会領を支配するのは容易い。

 特にアガートは1年前の戦争のツケで領土を一部教会領に渡している。神の巫女が死んだということが広まったとしたら、下手をすればアガートとモルスが同時に教会領へ攻め込むことも考えられた。

 今の世界のパワーバランスは、神の巫女であるリエラが生きていることで何とか均衡を保っている。リエラが死ねば、全てが崩れてしまう。

「想像より相手が手強い。リエラを守りながらは戦えなくなるが、いけるか?」

「それなら、少し派手にやります。ディーンは目を閉じて伏せていてください。」

 いきなり何を言い出すのかとリエラに問おうとしたとき、ディーンは凄まじい力で地面に叩きつけられた。ディーンの後ろにいたリエラが、ディーンの肩をつかんで地面に引き倒したからだった。

「ぐっ……」

 痛みで意識が飛びそうになるのを抑えながら、ディーンは反射的に立ち上がろうとした。しかし、そう行動する前に、今度はディーンの視界を眩い光が覆い尽くした。

 何が起こったのか全く分からないまま、瞼の裏から光が収まったのを確信してからディーンが目を開けると、そこにはリエラ以外の人がいなくなっており、周囲も見渡す限りの平地となっていた。

「どういう……ことだ?」

「ごめんなさい。ちょっと時間がないと思って無理矢理伏せてもらいました。」

 ディーンが聞きたかったのは、どうして20人以上いた敵が一瞬で消え失せ、木々に囲まれていた街道が整地されたような平地になってしまった理由だったのだが、リエラが答えたのはディーンを引き倒した方の理由だった。

 リエラはディーンを立ち上がらせようと手を差し出したが、ディーンはその手を取らずに自らの力で立ち上がった。引き倒されたときに打ち付けた左腕に少し痛みが走ったものの、幸い骨に異常はないようで、特に治療が必要ということもなさそうだった。

「ああ、そういえばディーンが白き異端者だということを失念していました。回復魔法が効かないのですよね。少し乱暴に扱っても私が回復すれば大丈夫だと思ってしまって……」

 ディーンが左腕をさするのを見て、リエラはすまなそうに言った。

「いや、その辺りは大丈夫だ。とっさのことだったが、受け身はとれている。大したことはない。」

 ディーンが教会の騎士団に入ってからも、それ以前の傭兵時代にも地面に倒されたことは皆無だった。白き異端者は魔法が使えない代わりに常人よりも筋力が強い。力比べのようになる剣の打ち合いで押されたことはなかったし、体術でもまず負けない。そんなディーンの不意を突いたとはいえ、まさか年下の女性に力負けするとは、というのがディーンには少しショックだった。

「でも、さすがは白き異端者ですね。魔法で筋力を強化したのですけど、これほど強く魔法をかけないと引き倒せなかったことは初めてです。」

 リエラはディーンを誉めるような口調だったが、ディーンはとても誉められたような気持にはなれなかった。頭には教会を出る直前に教皇に言われた言葉が蘇る。

『旅の道中で君がリエラを守らなければならない場面は出て来ないだろう。』

 そう言われた意味が、ようやく理解できた気がした。

「それで、この場所は少し前の俺の記憶だと、人が両手を広げて2人くらい歩ける街道とその横に森があったはずだが、どうしてこんな平地になっているんだ?」

 動揺を隠すため、ディーンはそう質問した。それは、本来聞きたかったことを具体的に聞き出すための言葉でもあった。

「ちょっとした水蒸気爆発みたいなものです。火と水の魔法を同時に使うとこういうことも可能です。他にも爆発音が響かないようにとか、地面がえぐれないようにするとか、いろいろ混ぜてますけれど。」

「なるほど、確かにこれは派手だな。」

「もう少し範囲を狭くする予定だったのですけれど、足元のディーンを巻き込まないようにしようとしたので、ちょっと広がってしまいました。」

 ちょっとどころの範囲ではないのだが、リエラは事も無げに言い放った。

 それなりに強い魔力を持って生まれたとしても、これほど広範囲に及ぶ魔法を使って息切れ一つしないということは通常あり得ない。ディーン自身魔法は使えないが、どの程度の髪の濃さの者がどの程度の魔法を使ったらどの程度疲れるのか、ということはおおよそ把握している。それがわかっていなければ部隊の指揮は出来ない。だからこそ、リエラの底なしの魔力の恐ろしさがわかる。本当に、その小さな体に魔力が蓄えられているのかと疑問に感じるほどに。

「答えられる限りで構わないが……リエラはどんなに魔法を使っても魔力切れはないのか?」

「ええ。旅に出る前にも言いましたが、魔法を使って疲れた経験もなければ、そこを感じたこともありません。なぜそうなのかという部分についてはちょっと話せないというか……説明が難しいところです。」

 教会から旅立つ前、確かにリエラは魔力の底を感じたことはないと言っていた。

 ディーンはそれを『旅をしている間に常時魔法を展開していても疲れない』という風に受け取っていたが、リエラは『どれだけ魔法を使っても疲れない』という意味で言っていたらしかった。

 おそらく、1年前の大戦で大魔法を使ったときも魔力切れは感じなかったのだろう。

 アガートもモルスもリエラの消耗を狙って何度も襲撃を仕掛けてきたのだろうが、それは全く意味のないことなのかもしれない。

「いや、答えてくれただけありがたい。こういうことは聞かないようにしているつもりなんだが、さすがにこの光景を見てしまうと、な。」

 ディーンは少し苦笑してリエラに言葉を返した。

 聞きたかった答えの半分くらいの情報しか得られなかったが、ディーンにはそれで十分だった。

 少なくとも、今後の旅に関してリエラの魔力切れを心配することはしなくてもいいとわかった。今は、それだけで十分だった。

「わかりますよ。私も白き異端者のことを知りたくていろいろ聞いてしまっていますし。答えられないことは答えられないと言いますから、これからも疑問に思ったことは聞いてくれて構いません。答えられる限り応えますから。」

「ああ、これからはそうする。」

「では、ひとまず敵はいなくなりましたし、ノクトの洞窟に急ぎましょうか。」

「わかった。」

 ディーンはそれまで握りしめていた剣を鞘に納め、リエラと共に視界の端に見える残された街道を目指して歩き始めた。


 ◆


 ノクトの洞窟はモルスのほぼ中央に位置する鍾乳洞のことを示している。

 リトーの滝が教会領一の観光資源であるのと同様に、ノクトの洞窟はモルス一の観光名所だった。

 リトーの滝と違うのは、リトーの滝が400年前の大災害の時に生まれたものであるのに対し、ノクトの洞窟はそれよりも更に昔、人間の記録が始まる以前から存在しているらしい、ということだった。

 ノクトの洞窟の最深部にある青く光る地底湖が一番の見所なので、ディーンはリエラをその地底湖まで案内しなければならなかった。ノクトの洞窟に入って地底湖を見ないという選択肢はない。

 困るのはノクトの洞窟が完全な閉鎖空間ということだった。

 入り口は1つで、地底湖までの道は整備されている上に一本道だが、至るところに窪みがあるので隠れる場所には困らない。待ち伏せにはうってつけの場所だらけで、奥に入れば逃げ場がない。しかも、リエラが大きな魔法を使えば洞窟自体が崩れて生き埋めになってしまう。モルスは魔法に関する研究も進んでおり、洞窟自体に何らかの大きな魔法が仕掛けられている可能性も十分考えられる。少なくとも、洞窟に入れば襲われるのは確実で、観光どころの話ではない。ゆっくり地底湖を見ることなど不可能ではないかと考えられた。

 そのことを素直にディーンがリエラに伝えると、リエラは何か思いついたようにある提案をしてきた。

「ノクトの洞窟では私を単独行動させてくれませんか?」

 と。

「私が1人でも殺されるようなことはないというのはもうわかってくれていると思います。洞窟のような閉鎖空間で使える魔法もちゃんとあります。ディーンは出入り口で待っていていただければ、私は最深部まで行って帰ってきますから。」

「いや、さすがに別行動というのは」

「わかっていますよ。教会から私を監視するように言われているのですよね。でも、ノクトの洞窟の入り口は1つしかありませんし、転送の魔法はないと以前ご説明しましたでしょう?、どこかに逃げようなんて考えていません。それに、ディーンに偽装魔法は通じませんから、私がノクトの洞窟から出ていくのを見逃してしまうこともないはずです。」

 やはり気付いていたのか、とディーンはリエラの指摘にさほど驚かなかった。

 リエラは無邪気なように見えて、考えていることはしっかり考えている。

「洞窟の中で起こったことはちゃんと報告します。あと、少し言いにくいことですけど、最悪の事態を考えると、ノクトの洞窟でディーンは邪魔なんです。」

 言われてディーンは二の句が継げなかった。今まで生きてきた中で、ディーンは頼られることはあっても、邪魔者扱いされたことはなかった。

「敵が観光資源を破壊することに何のためらいもないなら、洞窟そのものを爆破してしまう可能性も否定できません。でもそうなった場合、私だけなら脱出できます。ディーンには魔法が効かないので、一緒に脱出となると難しいかもしれません。私だけ脱出して、ディーンが生き埋めに、となってはもう旅が続けられません。」

 ディーンの頭には一瞬ルルのことが過った。

 ルルは洞窟の中で生き埋めになって死んだ。もし同じことが自分の身に起こったとき、記憶のせいで一瞬判断力が鈍るかもしれない、という可能性をディーンは否定できなかった。

「ディーンの力を侮っているわけではありません。今までの旅でディーンの力がこの世界で上位に入るほどのものだというのはわかっています。でも、相性が悪いのです。」

「わかった。そこまで言うなら信用しよう。」

 ここは折れるべきところだとディーンは判断した。また、これ以上会話を続ければ、自分がいかにリエラにとって役に立たない存在であるかを思い知らされる気がして、話を終わらせたくもあった。

 白き異端者は常人よりも筋力があり、反応速度が高いことは確かだが、洞窟の奥深くで崩落を起こされたら助かる見込みは少ない。

 それに、リエラは今まで明確な嘘をついていない。出来ないことはできないというし、言えないことは言えないと言う。リエラの強さはディーンの力が及ばぬ遥かな高みにあり、そのリエラが1人で大丈夫だと言うのであれば、任せるしかなかった。


 ◆


「それでは、行ってきますね。」

 翌日の早朝、ノクトの洞窟前でリエラとディーンは初めて別行動を取ることとなった。

 一般観光客がいない早朝という時間帯を選び、入り口にはリエラが人除けの魔法をかけた。入り口はディーンが見張り、敵の増援が入ろうとするならば倒すということになったが、洞窟内には可能な限りの敵が潜んでいるはずで、むしろ増援が入り込むことはないと思われた。洞窟内の敵同士で連携を取るなら、限られた空間内への増援は邪魔なだけでしかない。

「念のため、正午を過ぎてもリエラが洞窟から出て来なかったら、俺も中に入るぞ。」

「そこまで時間はかからないと思いますけれど、構いませんよ。」

 リエラはいつも通りの笑顔を見せて、洞窟の中へと入っていった。

 その背中を見送りながら、ディーンはかつて生まれ育った村で共に過ごした白き異端者・アレイルの姿をリエラに重ねていた。

 アレイルの存在を思い出してから、ディーンは何度となく記憶を辿り、アレイルはどんな子だったのかというのを思い出そうとした。

 しかし、アレイルと直接話したことは数える程度しかなく、思い出らしい思い出はなかった。

 年が離れていたとはいえ、同じ白き異端者として共有できる話題もあったとは思うが、その話をすることは終ぞ訪れなかった。

 思い出せることと言えば、引っ込み思案で常に母親の背中の隠れていたこと、ほとんど笑顔を見せることがなかったこと、それくらいだった。

 髪の色が正反対だというのは気付いていたが、性格的にもリエラとは正反対だったな、とディーンは思い至った。

 ただ、リエラの後姿や歩き方はどことなくアレイルを思い出させるものがあった。

 けれど、なぜそう感じるのか、ディーンにはまだわからなかった。


 ◆


 シャラシャラと身に付けたアクセサリーがこすれ合う音が洞窟内で反響する。

 それは鈴を鳴らしながら洞窟内を歩くようで、自分の現在位置をリエラはあえて敵に知らせていた。

 敵の潜んでいる場所は既に全て把握していた。総勢76人ほどが洞窟内に潜んでおり、よくもここまで集められたものだな、とリエラは内心感心していた。あれほど派手に手練れの兵を一瞬で消して見せたのに、それでも諦めないのか、とも思いつつ。

 洞窟内は一定の間隔でろうそくが灯され、木でできた通路全体を照らしていた。足元は若干水で滑りやすくなっているが、歩くのには困らない。なるべく洞窟の中を自然のまま残すため、通路は細く作られており、人とすれ違う時があったなら、肩がぶつかりそうなくらいだった。

 洞窟の天井はリエラの身長の3倍ほどあり、通路を無視すれば戦いのためのスペースは十分に確保されていた。

「攻撃するならしてきてもらって構いませんよ。」

 入り口から洞窟内を進み、リエラの声が入り口にいるディーンに届かなくなった頃合いを見計らって、リエラは少し大きめの声でそう言ってみた。

 リエラの声は洞窟内で反響し、さながら輪唱のように鳴り響いた。けれど、リエラの声に応える声も音も発生しなかった。そろそろ襲い掛かられるだろうと思っていたのにまだ仕掛けて来ないのは、何か綿密な作戦があるからだろうか。

「じゃあ、こちらから仕掛けますね。」

 リエラは歩みを止めることなくまた大きめの声で言い放った。

 その直後から、洞窟のあちこちで水の入った風船がはじけるような音が洞窟内で響き始めた。そして、その音が1つ増える度に、リエラの背後で何か小さい丸い物体が2つずつ増えていっていた。

「もしかすると、魔法が使えていることに驚いてますか?わかっていますよ。この洞窟全体、強力な魔法阻害結界が張ってありますよね。魔法に関してはモルスが最も発達しているという話は伊達ではないというのがわかります。教会の人たちではこれだけ大規模な結界は張れないと思いますから。でも、根本的に間違っていますよ。私に魔法阻害結界は効きません。私が魔法を使えなくなれば、という考えはわかりますけれど。」

 その言葉を言い終わるか終わらないかの瞬間、リエラは通路の左右から同時に現れた2人の剣士に斬りかかられていたが、その剣がリエラに届くことはなかった。大きな風船が割れるように、2人の剣士は体の内側から爆発し、肉片が洞窟の壁に向けて飛び散る。

 その中を、リエラは眉一つ動かすことなく、悠然と進んでいく。

「どんな作戦を立てていたのか知りませんけれど、一番奥にいるのがこの作戦を率いている人ですか?ちょっと伝えたいことがあるのですけれど。」

 リエラが話している間も、壁に飛び散っていく肉片は途切れることがなかった。そして、肉片の中から眼球が2つ浮かび上がり、それがリエラの周りを浮遊していく。その数が150に達したとき、リエラは歩みを止めた。

「いい加減迷惑なんですよ。私はただこの世界の美しさを確かめたいだけなのに。」

 リエラの前には、魔法で両手首を後ろ手に拘束されて宙に浮く中年の男性の姿があった。

 ノクトの洞窟での待ち伏せ作戦の指揮を執る者だったが、今は全ての部下を失い、その眼球がリエラの周囲を浮遊している事実にただ恐怖することしかできなくなっていた。

「この眼球の持ち主たち、あなたからすれば精鋭の部下だったのでしょう?モルスに入ってすぐに襲ってきた人たちよりも強いみたいですし、モルスの中で個の強さとしては最強レベルなのでしょうけれど、私の前では無意味です。」

 リエラが睨み付けると、男はかすかな悲鳴を上げた。これだけの光景を見せられて気絶しないのは、それだけの経験があるからなのか、ともかくリエラには好都合だった。

「先ほども言いましたけれど、閉鎖空間全体に魔法阻害結界を仕掛けて、魔法よりも剣術や暗器に特化した部隊なら私を殺せると思っていたみたいですね。確かに私の力は全て魔法由来ですが、私がこの世界で魔法が使えなくなることなんてありませんよ。私のアクセサリーを見て、魔力を抑える効果のあるものばかりだから通じると勘違いしたのかもしれませんけれど、こんなの文字通りただの飾りですから。これを身に付けているだけで教会の人たちが私の力を抑え込んでいると思い込んで怯えた態度をしなくなるから、そのままにしてきただけです。そもそも魔法を使う原理が違うんですよ。理解できないと思いますけれど。それに、私は神の代行者としてこの世界にいるのです。人が神を殺せるわけないじゃないですか。」

 リエラは目の前の男を今すぐ殺してしまいたい衝動に駆られていたが、それはどうにか抑えた。この男には、さらに上の者に伝えてもらわなければならないことがある。

「この眼球はひまとめとにして置いておきますから、持ち帰ってあなたの国の王にこう伝えなさい。神託はもう降りている、と。それを聞けば私の暗殺計画はなくなるはずです。それでもなお私を殺そうとするなら、国ごと焼き払います。しばらくは洞窟の中に誰も入れないよう結界を張っておきますから、目が覚めたら後片付けもしておいてくださいね。血の匂いを消すのは大変かもしれませんけれど。」

 言い終えると、リエラは気絶する程度に男の首を風の魔法で締めあげた。

 男の意識がなくなるのを見届けると、リエラは男を洞窟の窪みに降ろし、近くに眼球をまとめて山のように積み上げた。

「これだけ脅せばいい加減手を引く思うのですけど……ここまでしつこいのは想定外でした。やりすぎくらいやっておかないと……でも、さすがにこれをディーンに見せるわけにはいきませんよね。折角ディーンに見える範囲では残虐なことは避けてきたのに、意味がなくなってしまいます。洞窟から漏れる死臭で何かを察するかもしれませんけれど……まあ、直接見ていなければ任務放棄もしないでしょうし。まだ旅も半ばだというのに、ここで降りられたら旅の意味がなくなってしまいます。」

 一仕事終えた後、リエラはそう独り言ちた。

 ようやく誰もいなくなった洞窟をリエラは進み、青く輝く地底湖に辿り着いた。

 透明でどこまでも澄んでいるようで、それでいてはっきりとした青が見える。

 地底湖はリエラの背の何倍も深い場所まで見通すことができた。深さもさることながら、広さもかなりのもので、地底湖周辺に立てられている蝋燭の明かりだけでは地底湖の最奥部分は暗くて確認できなかった。

 リエラは火の魔法で明かりを作り、地底湖の奥に向かって飛ばしてみたが、炎は壁に到達する前に消えてしまった。なので、今度は大きめの炎を作って天井に向けて飛ばしてみると、炎の明かりに照らし出されてどこまでも広がる海のような地底湖が目の前に広がった。

「綺麗……ここで2ヶ所目よ、フロウ。確かに、あなただ言うだけのことはあった。でも……私にはまだわからない。」

 それからしばらく、リエラは無言で地底湖を見つめ続けた。


 ◆


 洞窟の中からわずかに血の匂いが漂ってくるのがディーンにはわかった。

 リエラがノクトの洞窟に入ってから、順調に行けばそろそろ最深部の地底湖に辿り着くだろうという時間が経過していた。

 洞窟の入り口からは中に人がいる気配は感じられなかったが、ノクトの洞窟内の地形を考えれば50人は敵がいると考えてよさそうだった。今まさに、リエラが片っ端から相手をしているということなのだろう、とディーンは考えた。

 洞窟の中では大規模な魔法は使えない。敵もさすがに今後も収益を生み続ける観光資源を破壊するようなことはしなかったようで、近接戦闘による勝負を仕掛けているのだろう、と推測できた。魔法の力ではどうあがいても神の巫女に対抗できないのであれば、どうにか隙をついて毒の仕込まれた直接攻撃を当てれば敵にも勝ち筋はあるのかもしれない。少なくともディーンがリエラに挑むことを考えるのならば、毒を使うだろうと思う。神の巫女に毒が通じるのかどうかは未知数だが。

 そうやってディーンが様々なことを考えていると、洞窟の奥からシャラシャラとアクセサリーがこすれ合う音が次第に近づいてくるのが聞こえてきた。もう帰って来たのか、とディーンが少し驚いて洞窟の奥に目をやると、リエラが何食わぬ顔で洞窟の奥から姿を現した。

「ずいぶんと早かったな。」

 時刻はまだ正午には程遠く、これから少し遅めの朝食をとっても十分間に合うくらいの時間帯だった。

 ディーンに声をかけられたリエラは特に疲れた様子もなく、衣服に返り血はおろか乱れもなかった。

「地底湖を見て帰って来ただけですから。本当なら、隣でディーンに地底湖のことを解説してほしかったのですけれど。こればかりは仕方ありません。」

「襲撃があったようだが。」

「ええ。やはりわかってしまうものですね。なるべく静かにしたのですけれど。」

「これだけ血の匂いと死臭があればな。まあ、いつものリエラが言うように、俺が白き異端者だから気付くだけで、他の人間には匂いをごまかすような魔法で分からないようになっているとかなんだろう?」

「その通りです。一応1人だけ生き残りを作って、後処理を頼みました。最精鋭の人員配置をしていたみたいなので、モルスはもう私たちに手を出してくることはないと思います。これ以上の戦力も機会も、モルスにはないと思いますから。」

 洞窟中で起こった詳細を聞いていいものかどうか、ディーンは迷った。

 結果としてリエラが五体満足で戻ってきているし、ノクトの洞窟の地底湖を見るという目的も達成したのだから、表面上は何の問題もない。ただ、洞窟の外からもわかる血の匂いや死臭をどうやって発生させたのか、聞いてしまうのが怖かったし、聞いたところで答えてくれるとも思えなかった。だからこその別行動だったのかもしれない、とも思う。

『リエラに変わった様子があれば、主観で構わないから伝えてほしい。』

 旅立ちの前に教皇から言われた言葉がディーンの頭の中を過ぎる。毎日送っている報告書に書くべき変化なのかどうかはわからない。ただ、これは伝えておくべきことなのだろう、とディーンは考えた。

「そろそろ一般の観光客が訪れる時間帯に入りますから、早めに移動しましょう。来たところで入れないのですけれど、それで騒ぎになっても面倒ですから。」

「わかった。」

 言われてディーンは思考世界から舞い戻ることになり、リエラと共に足早にノクトの洞窟を後にした。

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