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Worldend Odyssey  作者: 奈良 早香子
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第一章 教会本部

 プロローグ


 400年前、世界全土で大災厄と呼ばれる大地震が発生し、人の文明は滅びた。

 世界人口の約9割が失われ、残った約1000万の人々は世界各地で小さな集落を作り、100年の時を経た後に2つの大国アガートとモルス、そして1つの中立地帯・教会が形成された。

 アガートとモルスの間では、2国間の国境線付近で領土を巡って度々戦争が起こったが、戦争が起こる度に教会から神の巫女と呼ばれる1人の少女が戦地に派遣された。

 神の巫女はこの世界に存在する全ての属性魔法を自在に操り、戦場に赴いてはその場にいる全ての人々を殺し尽くすことで争いを収めた。

 神の巫女は全ての人々から平和を導く者と崇められると同時に、恐れられた。

 神の巫女を擁する教会が2国間を調停し、戦争は一旦終結した。

 しかし、神の巫女が亡くなると再び戦争が起こった。

 けれど、また別の神の巫女が現れ、戦争を収めた。

 これを数回繰り返すうち、教会は神の巫女の所在を秘匿するようになった。

 神の巫女の不在期間は不定期であり、アガートとモルスは互いをけん制し合って戦争を起こさなくなった。

 その膠着状態が長く続いたあるとき、突如アガートがモルスに侵攻した。アガートが神の巫女が不在であるという偽の情報を信じた結果だった。

 アガートがモルスに侵攻した5日後、神の巫女が戦場に現れて両軍の大半を1人で焼き尽くし、戦争は終結した。この一連の出来事はロム平原の惨劇と呼ばれ、人々の心に深く刻まれた。

 そして、教会主導により戦後処理が行われ、戦地となったロム平原は開戦時にモルス領であったものが教会領とされ、先制攻撃を仕掛けたアガートは教会領との国境線上にあったタルム地方を教会に無償で譲渡することとなった。

 これが第5次アガート・モルス大戦の結末だった。

 アガートとモルスはロム平原においてのみ直接国境を接していたため、その場所が教会領となったことで、完全に国境が教会領によって分断されることとなった。

 その戦争から1年。

 教会領の総本山である教会本部から物語は始まる。



 第一章 教会本部


 教会所属の騎士としておよそ100人の部下をまとめる騎士長の位にあるディーンは、ある日教皇によって直々に呼び出された。

 教会は神の声である神託を聴くことのできる教皇を頂点とし、その下に騎士団を持っている。

 騎士団を直接動かすことができるのは教皇のみであり、教皇はまず騎士団長に直接命令を下し、騎士団長が騎士連隊長に、騎士連隊長が騎士長にそれぞれ役割を割り振るという絶対の命令系統が確立されている。そのため、騎士団長と騎士連隊長を飛び越して直接騎士長のディーンに呼び出しがかかったことは、ディーンにとって青天の霹靂に近いものがあった。

 ディーンは今年で28歳になるが、騎士長としては最年少だった。しかし、ディーン本人の実力は他の騎士長も認めざるを得ないもので、騎士団の中でディーンは一目置かれる存在でもあった。

「失礼します。」

 ノックをして入った教皇の謁見室には、教皇とその次の地位にいるシスター長、そしてフードを被った1人の少女がいた。

「よく来てくれた、君がディーンか。」

「はい。お呼び出しの命を受け、参上いたしました。」

 2段ほど高い位置にいる教皇に声をかけられ、ディーンはその場に跪いた。教皇と直接対面するのは騎士長に任命された時以来で約2年ぶりになるということもあり、ディーンは若干緊張していた。そもそも、騎士長程度の地位で教皇と直接対面する機会は多くない。もう1つ上の階級である騎士連隊長であっても、年に1回あるかないかになる。

「顔を上げなさい。まずはここにいる者たちを紹介しよう。教皇である私と、シスター長、そしてこの方が神の巫女であるリエラです。」

「えっ……この方が……」

 発言を許されているわけではなかったが、ディーンは思わず声をあげてしまった。しかし、教皇もシスター長もそれを責めることはしなかった。ディーンが驚きの声をあげることも無理はないと、予め想定されていたようだった。

 神の巫女は現時点で存在しているのかどうかすら全世界に秘匿されており、教会の中でも顔を合わせたことがある者は極限られていた。騎士団の最高位である騎士団長ですら会ったことがないと噂されていたし、教会にいるとしてもどこで暮らしているのか、何をしているのかなど一切不明で、その名前すらディーンにとっては初耳だった。

 よって、このタイミングで会うことになるとは、ディーンは想像もしていなかった。

 年齢は10代後半くらい。着ているローブがかなりゆったりした作りとはいえ、リエラはかなり華奢で小柄だった。身長もディーンと並べば頭一つ分くらいは違うだろう。

 紹介された神の巫女・リエラは被っていたフードを取り、にこやかな笑みをディーンに向けた。

「初めまして。リエラと申します。あなたをここに呼び出してもらったのは私なのです。」

 そう話しかけられても、ディーンはそのリエラの言葉より、リエラの髪色を見て絶句し、言葉が出て来なかった。リエラの髪色は漆黒だった。

 この世界は火・水・風・土の4つの基本元素による魔力のうち1つをほぼ全ての人が持っている。

 その元素は髪の色となって表れ、火ならば赤、水ならば青、風ならば緑、土ならば茶色と決まっている。魔力が強いものほど髪の色は濃くなる。

 しかし、リエラはそのどれにも当てはまっていない。いや、全ての色が混ざり合った故の黒なのか、とディーンは無理矢理自分を納得させた。

「ディーンには私の髪色が黒に見えていますよね。実は、あなた以外の人には茶色に見えています。そういう偽装魔法をかけています。」

 ディーンの心を見透かしたようにリエラは言った。

 ディーンは魔力を持っていない。

 世界人口約5000万人の中で、魔力を持っていない者は10人といないとされている。白い髪色で生まれ、一切の魔法が使えない代わりに、一切の魔法が効かず、偽装魔法も効果を持たない。また、魔力を持つ者と比べると筋力が強いとされ、傭兵や騎士として重宝される存在だった。

 ほぼ全ての者が魔力を持つこの世界では『白き異端者』と呼ばれ、魔法属性は遺伝が強く関係すると言われるにも関わらず、突然変異で生まれてくるとされている。

 ディーンが若くして騎士長に任命されたのも白き異端者であるという理由が大きかった。

 今もディーンはリエラの偽装魔法が効かず、リエラの真の姿がその目に映っていた。

「ディーン、君にこれから1つの任務を与える。神の巫女であるリエラを、ある場所まで案内してほしい。」

「リトーの滝、ノクトの洞窟、ゴーダの丘、最後にロム戦場跡です。」

 教皇の言葉を遮るようにリエラが4つの地名を口にした。どこも世界的に有名な観光地で、誰もが行ったことはなくとも聞いたことはある、というくらいの認知度がある場所だった。

「場所はご存知ですか?行ったことは?」

「リトーの滝は教会領土内ですから行ったことはあります。他の3ヶ所はおおよその場所を知っている程度ですが、地図さえあれば迷いません。」

 リエラの矢継ぎ早な質問にディーンは戸惑いながら答えた。

 現時点で得られる情報からでは、神の巫女が観光地巡りをしたいからその護衛をしろと言われているとしか思えない。そもそも神の巫女が教会から外に出たという話も聞いたことがないし、ただの観光であればそれこそ教会の騎士団を率いての護衛任務になりそうなのもなのに、なぜか呼び出されたのは騎士団長でも騎士連隊長の誰かでもなく、騎士長の自分。話の流れから察するに、単独の護衛任務。命令とあれば断れないが、大いに疑問の残る命令でもあった。

「急ですまないが、明日には出発してもらう。言わずとも察しているだろうが、単独任務だ。リエラの道案内と護衛を命じる。任務中、君の部隊は騎士団長預かりとする。期限は明日から100日間。その期間内に4ヶ所を巡って教会に帰還してくるように。」

「承知いたしました。ですが、差支えなければいくつか質問をよろしいでしょうか。」

「言ってみなさい。」

 質問をすることすら許されないのではないか、とディーンは感じていたので、教皇のその言葉にディーンは少しだけホッとした。ただ、言い渡された任務は疑問ばかり出てくる内容で、何から質問すればいいのか、一瞬ためらいが出た。

 それがわかるからなのか、その場にいる全員がディーンが次に口を開くのを待った。

 それだけでも、この任務が異例ということが嫌でもディーン自身理解できた。

「なぜ、私の単独任務なのでしょうか?私は白き異端者ですが、護衛任務に慣れているわけではありません。今は騎士長として部隊を預かる身でもあります。部下を残しての単独任務というのは……」

「全ては神の巫女であるリエラの意思です。ですが、あなたは教会に所属する騎士でもあります。旅の道中では定期的に報告書を送ってもらいます。片時もリエラから離れないよう」

「シスター長は少し黙っていていただけますか?私から説明します。」

 ディーンの質問に答えていたシスター長は、リエラの一言で沈黙した。

 ディーンが謁見室に入って来てからシスター長は初めて口を開いたというのに、これではもうシスター長がこれ以上口を開くことは無理そうだった。

 ただ、シスター長が何を言わんとしたかをディーンは察していた。

 護衛とは名ばかりで、リエラを監視して下手なことをしないように見張っておけ、ということらしい。

 しかし、リエラに言葉を遮られたシスター長は何か怯えたような顔を一瞬だけ見せた。教皇もそうだが、2人ともリエラに怯えているような、そんな雰囲気がある、とディーンは感じ取っていた。

 既にこの場を支配しているのはリエラになってしまっているし、教皇もシスター長も神の巫女には逆らえないということなのか、とディーンは解釈した。

「ただ目的地に行くだけなら護衛もいらないくらいです。強めの偽装魔法で姿を隠して旅をすればほとんどの人に気付かれず移動できますし、誰かに襲われたとしてもそれを跳ね除けられるだけの力もあります。でも、あなたのような白き異端者の目は誤魔化せません。私が教会を離れたという情報が洩れ、アガートやモルスにいる白き異端者が私を捕らえようと動いてしまうと、少し面倒なことになりそうなので。こちら側にも白き異端者がいるとわかれば、いろいろけん制になりますから。それで、教会所属の白の異端者を、ということで指名させていただきました。」

 リエラはにこやかにそう答えた。教皇やシスター長とは対照的な笑顔で、謁見室内には何とも言えない空気が流れる。

「そういうことであれば、わかりました。なぜ観光地ばかりを……ということは尋ねても?」

「それは、旅の中でおいおい。一言で言えば、死ぬ前に一度見てみたい場所、ということでしょうか。」

 リエラのその言葉に、教皇もシスター長もビクッとしたように少し体を震わせた。

 まさか、神の巫女の不在期間が近く訪れるのか、とディーンは思い当たったが、その場の空気からその質問を出すことはできなかった。

「旅の期間が100日ということですが、早まっても問題はありませんか?」

「早ければ早いほどいい、ということはあります。私が旅をする期間は最長で100日だという解釈で。ですよね?教皇、シスター長。」

 リエラのその言葉に、教皇とシスター長は少し戸惑ったようにうなずいた。

 この場でディーンに説明できない何かがあることは確かだったが、それを問い質せるだけの力をディーンは持ち得ていなかった。

「あまり長くはない期間ですが、よろしくお願いしますね。私のことはリエラとお呼びください。」

 そう言ってリエラは右手をディーンに差し出した。

「では、私のことはディーンと。全力でお守りします、リエラ。」

 言い終わってからディーンは立ち上がり、差し出されたリエラの手を軽く握りしめた。

 握手をして少し腕を振ると、リエラの腕輪がシャラシャラと音を立てて鳴った。


 ◆


 その日の夜。

 共に旅をするのであればお互いのことをある程度知る必要があるというリエラの申し出から、ディーンは少し小さな応接室に移動して、初めてリエラと2人きりになった。

「教皇やシスター長がいるとディーンは話しにくいかと思いまして。いかがですか?」

「ええ、それは確かに。リエラを含めて私には手の届かない存在くらいに思っていました。」

 部屋に灯されるろうそくの明かりが揺らめく中、テーブルを挟んで向かい側に座るやリエラはやはり微笑んでいた。リエラの耳にはイヤリングが、首にはネックレスが、机の上で組まれた手には指輪と腕輪が、それぞれ一見しただけでは数え切れないほど存在していた。魔力を増幅させるためにアクセサリーを身に付ける人は珍しくない。神の巫女といっても、そうやって能力の底上げをしているのだろう、とディーンは考えた。

 教会の中であっても男女が夜に、しかも神の巫女と2人きりになることを教皇やシスター長が許可することなど通常あり得ない。一番下位の騎士団員とシスターですら、昼でも夜でも男女が2人きりで同室するなら必ず扉は開け放たなければならない、という規則があるくらいだ。

 しかし、今日に限っては既に異例なことが続き過ぎていて、心に引っかかることは全てリエラの希望なのではないか、とディーンは考え始めていた。そうでなければとても話のつじつまが合わない。

「話し方も普段通りにしてください。話し難そうです。普段は一人称も違うのではないですか?」

「では……これでいいのか?」

 少しトーンを落としたディーンの声にリエラは満足そうに頷いた。

「では、旅をするに当たってこちらからか要望を伝える。」

 明日からリエラと2人で旅をしなければならないという現実はもう回避できない。であれば、今は不可解な任務の理由を問い質すよりも、可能な限り安全な旅を実現するための手段について、ディーンは考えることにした。教会の騎士は傭兵と違って任務を選べない。今回のように、理由のよくわからない任務を命じられることも少なくない。その代わり、任務がない期間も給料で生活が保障されている。

 今回は特別不可解な点が多い任務ではあるが、それについて深く考えないようにすることも騎士団員にとっては必要なことだった。

「旅費を用意してくれるのはわかっているが、移動手段として馬か馬車を用意してもらえるか?」

「移動に関しては徒歩でお願いします。」

「徒歩!?」

 しれっと答えるリエラに対して、ディーンでなくとも、ここは驚く部分だった。指定された4ヶ所を徒歩で巡るとなると、指定された100日のほとんどが移動に費やされることになる。女性の足でもやってできないことはないが、後半ペースが落ちるとわからない。

 そんなディーンの考えを察してか、リエラは言葉を続ける。

「常時回復魔法をかけながら歩くので、お気遣いくださらなくとも大丈夫です。歩くペースもディーンに合わせます。」

 そう言い放つリエラの表情に変化はなかった。

 一般的に、徒歩で旅をする人はあまり多くない。馬に乗れるなら馬を使い、乗れないなら馬車を使う。徒歩では疲労も溜まりやすいし、場合によっては野宿になる可能性もある。

 しかし、ディーンがいくらそれらを説明しても、リエラは徒歩での旅を譲らなかった。

「いや、それにしても……俺は軍で鍛えているからリエラからしたら相当速いと思うが、それでも?足の長さも違うから、そっちは常に小走りしているような速さになるぞ?」

「それでも、です。馬車であれば御者が必要になりますけれど、私はディーンと2人きりで旅がしたいので、誰か御者を雇うことはできません。ディーンが御者をしてしまうと道中お話ができません。私は馬に乗った経験がないので、馬での旅も出来ません。ですから、徒歩です。道中ディーンといろいろお話するには、それしかないと思います。」

 移動手段を徒歩にする理由が2人だけで話をしたいからだと断言するリエラを見て、なぜリエラは自分に対してここまで好意的なのか、ディーンは不思議に感じた。教皇やシスター長に対してはあれほど冷徹だったのに。しかし、それを今聞いていいものかどうか、ディーンには謁見室の中と同様、わからなかった。

 今はそれよりも、明日からの旅についての話を詰める必要があるのも確かだった。

「移動手段については了解した。次に、移動時間の確認をしたい。俺のペースで歩けるにしても、極端なことを言えば1日の内で少しの時間しか歩けないのであれば意味はない。可能であれば、休憩の時間はそれなりに取るが、日が出ているうちは移動に充てたい。それが出来れば、日程はかなり短縮できる。俺は白き異端者だから魔力切れの感覚はわからない。常時魔法を展開しているなら、それだけで疲れて歩けなくなったりすることはないのか?」

「そうですね……普通の人たちは魔力切れで倒れる人もいると聞きますけれど、私の場合はありません。魔法を使って疲れたという感覚も持ったことがありません。どこか底みたいなものはあるのかもしれませんが、残り少ないと感じたこともないので、基本的に魔力切れはないと思っていただければ。」

 そんなことがあり得るのか、と聞こうとしてディーンは止めた。それが神の巫女ということなのかもしれない、と判断した。1年前の大戦で数千人を一度で焼き尽くしたと言われ、それでなお魔力切れを感じなかったのなら、偽装魔法と回復魔法を常時発動しておくくらい何ともないのかもしれない。

 ディーンは自分の感覚で分からないことを尋ねても意味はないと考え、質問を変える。

「それでは、荷物はどの程度考えている?」

「着替えと保存食が少しあれば、あとは現地調達で。水は魔法で出せますから、多くはなりません。持って歩けます。」

「目的地に辿り着いた時の滞在時間は?」

「そうですね……1日程度あれば十分です。景色が見たいので、天気が悪いと少し困りますが……」

「さすがに魔法で天気は変えられないのか。」

「雲を払うとか、やってできないことではないのですけれど、それをやると目立つかと思いまして。」

 リエラの話ぶりからすると、旅をするための心構えは出来ているようだった。天気のことは少しカマをかけたつもりだったが、目立たないようにすることもわかっているようだった。

「旅についてはこのくらいで大丈夫か……それと、旅には関係ないことなんだが……俺と、昔会ったことは、ないよな?」

 それは、リエラと対面で話している中でディーンが感じたことだった。

 リエラを初めて見たときは黒髪の印象が衝撃的で気が付かなかったが、それに慣れてくると、リエラは昔会った誰かの面影を持っているような気がした。

「どの程度昔のことかわかりませんけれど……私と会ったことはないはずですよ。先ほどディーンが私を初めて見た時、黒髪に驚かれていましたよね?私以外に黒髪の人はこの世界にいないはずです。」

「ああ、それもそうだな。すまなかった。」

 言われてディーンは何かの勘違いだった、と考えることにした。

 自分の属性をごまかすために魔法で髪色を変えたり染めたりする人はいるが、魔法はディーンの力で見破れるし、リエラが髪を染める必要はない。

「じゃあ、これからお互い準備に入ろう。俺は部下に挨拶を済ませてくる。」

 先ほどの質問を振り払うようにディーンは言って、椅子から立ち上がった。

「わかりました。明日の朝、裏門でお会いしましょう。」

 同じようにリエラが立ち上がると、リエラの全身から身に付けているアクセサリーがこすれる音が部屋に響いた。


 ◆


 リエラとの事前打ち合わせを終えたディーンは、今度は教皇の執務室へと足を運んだ。

 教皇はリエラがいない状態でディーンに話したいことがあるようで、リエラとの打ち合わせが終わったら執務室へ来るように、と言われていた。

「重ね重ねではあるが、急な任務で申し訳なかった。」

 教皇はディーンが執務室に入るや否や詫びを口にした。教皇が傲慢だという噂をディーンは聞いたことがなかったが、それでも騎士長程度の者に対して詫びを口にすることなど普通はあり得ない。それは、ディーンがそれなりの罪悪感を覚えるほどだった。

 続いて椅子を勧められ、普段ならば決してそれに従うことはないのだが、教皇の態度からそれに従った方がいいと判断し、ディーンは教皇と向かい合って椅子に座った。

「全てはリエラが言い出したことでな、もちろん反対はした。だが、説得は出来なかった。我々に彼女を無理矢理従わせるだけの力はない。従うしかなかった。」

 そう言葉を口にした教皇の表情は、苦虫を噛み潰したような、諦めに近いものがあるようだと、ディーンは感じた。ディーンの知らない膨大なやり取りがリエラと教会の間で行われたことが如実に伝わってくる。最終的に教会側が折れて、リエラの旅立ちを止められないのであれば、リエラの要望を可能な限り叶えた上でディーンを教会側に確実に置いておこうとしているのだろう、とディーンは推測した。

「1年前の大戦のとき、私は戦場に出なかったので伝え聞く限りですが……教皇様の力でも神の巫女の力には及ばぬものなのですか?」

 多少言葉を選んでディーンは尋ねた。

 ディーンからしてみれば、神の巫女と同様教皇も手の届かない存在だった。

 神託を聞くという能力は血統によって守られているという。ディーンの目の前にいる教皇は既に高齢で、後継者はその息子になることが既に決まっている。また、その息子の息子、つまりは教皇の孫も既に教会内で修業を積んでおり、神託を聞く能力を発現させている。

 その3人共、魔力の高さは折り紙付きで、魔力のないディーンからしたら教皇の魔力は神の巫女に匹敵するほどなのではないかとすら思ってしまう。また、現にそれだけの力があると考えている騎士団員も少なくない。

「おそらく、教会にいる全ての者……私や後継者の息子たち、騎士団全員束になっても神の巫女の力の足元にも及ばない。神の巫女が教会に属しているのは、神託でそう指示されているから、ただそれだけでしかない。」

 そう言われても、ディーンは実感が持てなかった。

 髪が黒いという外見的な特徴はあるが、それ以外リエラは普通の少女と何ら変わりないように見えた。

 騎士団の中には、手合わせをしたことはなくとも、見ただけで強いとわかる者もいる。しかし、リエラには、熟練の戦士がまとうような隙のない緊迫感はなく、むしろ隙だらけのようにすら見えた。

 けれど、教皇は教会にいる全ての者の力を合わせてもリエラには届かないと断言している。

「リエラを見た目で判断していならない。隙があるように見せておいて、常に魔法で対応してくる。白き異端者である君には魔法による偽装が意味をなさないから、より隙があるように見えるのかもしれない。おそらく、旅の道中で君がリエラを守らなければならない場面は出て来ないだろう。共に旅をすれば、いずれわかる。」

 ディーンの心を読んだように、教皇はそう続けた。

 これはもう、教皇がそう言うのならそうなのだろう、と思うしかないな、とディーンは考えた。

「話がそれてしまったな。こちらは旅費と道中報告用の書類だ。旅費に関しては現金と小切手を渡しておく。教会名義の小切手だ、教会が運営する銀行に行けば現金になる。基本的にいくら使ってもらっても構わない。」

 そう言って教皇はディーンの目の前に白紙のままの報告書の束、現金、小切手を並べた。

 随分大盤振る舞いだな、とディーンは思ったが、口には出さなかった。目の前に差し出された現金だけで旅の資金全てが賄えてしまうくらいなのに、更に小切手までもか、と。現金だけでディーンの騎士としての給与の1年分はあろうかという額だった。

 小切手には目の前に積まれた現金と同額が記されており、それが束になっている。

 旅の資金を渋られることはないとは思っていたが、これほどまでとは。

 リエラを教会の外に出すと決めたからには、協力は惜しまないということなのか、とディーンは考えた。

「報告書は可能な限り毎日送ってもらいたい。旅の行程、出会った敵、リエラに変わった様子はなかったか、その辺りを詳しく。」

 白紙の報告書の束を指で示しながら教皇は言った。しわだらけの指が蝋燭の明かりに照らされる。

 教皇の指にも全ての指に指輪が嵌められており、教会の上位者は指輪をするものなのだな、とディーンは考えた。騎士団員は武器を扱う上で指輪などは邪魔になるから、たとえそれが魔力を強化する物でも身に付けないのが通例で、傭兵ともなれば魔力を強化する指輪など高価すぎておいそれと身に付けられない。

 身の丈に合わない任務を受けてしまった居心地の悪さを、ディーンは更に感じることになった。

「居場所を文書に残して大丈夫なのですか?そこからアガートやモルスに知られてしまう可能性があるかと。それに、変わった様子というのは……」

 考えを振り切ってディーンは教皇に質問した。

 シスター長も報告書を毎日送るようにと言っていたが、通常任務は完了後にまとめて報告書を出す。長期任務の場合は3日に1度くらいの割合になることが多い。それが毎日というのもまたこの任務の異例さを表しているようにディーンは感じた。

「居場所に関しては、おそらく旅に出て数日後にはアガートやモルスの知るところとなるだろう。教会にも間者はいる。可能な限りこの任務を知る者の人数は絞っているが、長くはもたない。君の部下やその親族から、君が長期任務に就いたという情報を得て、そこから知られてしまうという流れが最もあり得る。

 アガートもモルスもリエラを捕らえるなり殺すなりしたいと常に考えている。最初は様子見で適当な傭兵を差し向けるところから始まり、次第に本格的な暗殺を狙ってくるだろう。だが、先程も言ったように大抵の火の粉ならリエラ自身で振り払う。正面から……というよりも、剣でも魔法でも、それで直接攻撃してくるような敵ならまず間違いなくリエラの相手にならない。だから、その点は心配していない。心配なのは、旅慣れた頃に何らかの策略をもって攻撃されたときくらいだが……今からそれを考えても仕方ない。つまりは、狙われているのがわかっているなら、こちらも居場所は知っておきたい、ということだ。リエラの様子については……君自身の主観で構わない。気付いたことを教えてほしい。」

 教皇の答えは、居場所に関しては明確なのに、リエラの様子に関しては酷く曖昧だった。

 ディーンはリエラと今日初めて会ったばかりなのだから、少なくとも教会でのリエラをほとんど知らない。ただ、あえて教皇が伝えてくるということはそれなりに意味があるのだろう、とディーンはその言葉を聞き流さずに心に留めておくことにした。

「神の巫女や神託について、お尋ねしてもよろしいですか?」

 旅の注意事項の説明が一通り終わった後、ディーンは教皇に尋ねた。

 教会の騎士長を務めているとはいえ、ディーンが神の巫女や神託について知っていることは限られていた。

 特に神の巫女については全ての属性の魔法を使えることと1年前の大戦を収めたことくらいしか知らなかったし、神託についても教皇が不定期に神の言葉を授かり、それを神の巫女に伝えている、ということくらいしか知らない。1年前の大戦に神の巫女を派遣するよう神託が降りたということは公表されていたが、それ以外の神託についてディーンは何も知らなかった。

「残念だが、教会が公にしていること以外を伝えることはできない。今ここで言えるのは、リエラを旅に出すように、という神託は降りてきてはいないということだけだ。神の巫女については、リエラに直接訊いてみるといい。リエラが話したくなれば話すだろう。我々にそれは止められない。」

「わかりました。」

 何かしら神の巫女や神託について聞くことができたのならもっと質問したいことがディーンにはあったが、これ以上は何も聞くことはできないと思われた。

 結局、神の巫女についてわかったことと言えば、リエラという名前と姿だけだった。

 ディーンは目の前に置かれた旅費と報告書の束を手に取って執務室を後にした。


 ◆


 翌朝。

 旅支度を整えたディーンとリエラは教会の裏門前で再会した。

 リエラは旅人が良く使うローブに着替え、大きめのカバンを背負っていた。フードは被っていなかったので、ディーンはそこで初めてリエラが長い髪を後ろでまとめていたことに気がついた。

 ディーンもまた普段着慣れていない旅装束に身を包み、使い慣れた剣と荷物を携えていた。

 ディーンが部下たちにしばらく留守にすると伝えたとき、部下たちが一斉にざわつき、そしてなるべく早く帰ってきてほしいと口々に言われた。ディーンはそれがうれしくもあり、それと同時に不在の理由を説明できないもどかしさも感じた。

 見送りは誰もいなかった。

 神の巫女が教会から出ることを誰からも悟られないようにするための配慮だった。

 騎士長が単独任務を命じられること、神の巫女が教会の外に出ること、徒歩で世界を巡ること、全てが異例尽くめの旅の始まりだった。


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