元お転婆令嬢と悪魔の初めての夜
この作品は前作「お転婆令嬢は誰かに攫ってもらいたい」から続くお話になります。
この作品単体でもお読みいただけますが、前作を読むと背景がわかりやすいと思います。
リンクはページ下記に設置しておきますので、是非!
私――、エバ・ヴァレンシュタインは、色々な事情からヴァレンシュタイン伯爵家を出奔した。
……いや、事実上は出奔で間違いないのだが、より正確に言うなら攫われたが正しい。
我が家に封じられていた自称小悪魔「イブリーシュ」により攫われた私は、現在国境を越え、隣国であったガイエスト帝国にあるポックルの森という場所に来ていた。
「ここまで来れば、ヴァレンシュタイン家と言えども追ってくることはないでしょう」
他国の貴族、それも魔道の名門であるヴァレンシュタイン家が国を跨いで何かしようとすれば、最悪の場合国際問題に発展する可能性がある。
いくら父様でも、迂闊な真似はできない――と思われる。
「……でも、もし王家を頼ったら?」
「その心配は、少なくともしばらくはありません。ヴァレンシュタイン家は、私の存在を王家に隠していました。王家を頼ればそれを公にすることになりますので、余程のことがない限りは考えなくてもいいでしょう」
「成程ね。確かに、もしイブリーシュのことがバレたりしたら、最悪お家取り潰しになるかも」
名門であるヴァレンシュタイン家から悪魔召喚者が出たと知れたら、国を揺るがす大ニュースとなるだろう。
しかも今となっては、それを世に解き放ってしまっている。
もしヴァレンシュタイン家がそんじょそこらの弱小貴族だったら、お家取り潰しどころか、一族全員が極刑となってもおかしくはない。
「でも、ヴァラン様……オーランド家にはバレちゃったのよね」
「そのくらいの情報封鎖はやってのけるでしょう。精神魔法はヴァレンシュタイン家のお家芸ですからね」
「ヴァラン様達、かわいそう……」
恐らくあの場にいたヴァレンシュタイン家以外の貴族は、一人残らず記憶を弄られてしまうのだろう。
記憶の操作は後遺症が出る可能性もあるし、術の行使中は凄まじい不快感を感じるとされているため、全員お気の毒である。
「後悔していますか?」
「うーん、罪悪感はあるけど、後悔はしてないわ」
ヴァレンシュタイン家だけでなく、あらゆる方面に迷惑をかけることになったため、罪悪感自体はある。
しかし、後悔については全くなかった。
たとえヴァラン様に婚約破棄を突きつけられなかったとしても、私は絶対にこの道を選んだ。
「それは何よりです。さて、それでは移動はここまでにして、野宿の準備をしましょうか」
「……やっぱり、野宿するの?」
「ええ、もちろん♪」
爽やかな笑顔でそう言われてしまう。
冒険者を目指す私としては、野宿をするのもやぶさかでないのだが、やはりいきなり野宿と言われると抵抗感があった。
いくらお転婆の私でも流石に野宿の経験はないし、そもそもベッド以外で寝たことはない。
しかも今はパーティ会場から抜け出てきたままの姿なので、完全に場違いなドレス姿である。
どう見ても地べたに直接寝るような恰好とは言えなかった。
「……ふふ、流石のお嬢さんでも、いきなり野宿と言われればそんな顔になりますか」
「っ!? 私、顔に出てた?」
「ええ。ですが安心してください。冗談ですので」
イブリーシュはそう言うと、光球を浮かべ自らの影を引き延ばした。
「どうぞお入りください」
「入れって、その影に?」
「ええ、この中は亜空間になっています。もちろん空気もありますので息苦しいということもありませんよ」
そういえば、パーティ会場でイブリーシュが現れたときも、私の影から出てきたことを思い出す。
あれは悪魔の特性によるものだと思っていたが、空間魔法の類だったようだ。
「怖いですか?」
「っ! そんなことないわ!」
イブリーシュはただ微笑んでいるだけだが、それが挑発でもしてるかのように思えたので、私は強がってみせる。
そして目をつぶり、思い切って影の中に飛び込んだ。
薄い水の膜を潜ったような感覚。
周りの空気が、ジメジメとした生暖かい空気からヒンヤリとした空気に切り替わり、緩やかに落下していく。
そしてほんの2秒ほどで、私の足が地面についた。
「……っ!?」
恐る恐る目を開けると、そこには懐かしい、イブリーシュと出会ったあの屋敷があった。
「懐かしいでしょう?」
少ししてから私の後ろに着地したイブリーシュがそう語りかけてくる。
「え、ええ……、でもコレ、どうしたの?」
「長いこと住んでいた屋敷ですからね、流石に愛着があったので、ついでに頂戴してきました」
どうやらイブリーシュは、私を攫うのと同時に、自分が封じられていた屋敷まで奪ってきたらしい。
しかし、封印されていた因縁の場所なのに愛着を持つとは……、私が言うのもなんだが彼もまた変わり者だと思う。
「……ん? ということは、寝るときはココを使えるってこと?」
「ええ、もちろん」
「……もしかして、さっき野宿をするって言ったのは」
「はい。お嬢さんの困った顔が見たくて、つい意地悪をしてしまいました♪」
「やっぱり!」
イブリーシュは、キレイな顔立ちをしている癖に妙に意地悪なところがある。
やっぱり小悪魔だからなのだろうか?
「ふふ、怒った顔も可愛らしいですね」
「か、からかわないで!」
からかっているとは理解しているが、男性に可愛いと言われればどうしても照れてしまう。
5年前はまだ子供だったからかこういうことには無頓着だったが、今となってはイブリーシュのことを男性として意識してしまっているため、胸がドキドキした。
「ふふ、さてお嬢さん、中にお入りください。暖かでふかふかのベッドが待ってますよ」
私はイブリーシュに招かれるがままに屋敷の中に入る。
そこには、5年前と変わらぬ綺麗な内装と、ヒンヤリとした心地良い空気が広がっていた。
「本当に懐かしい……」
あの頃は、毎日ここに来るのが楽しくて仕方がなかった。
イブリーシュのお話はとっても面白かったし、色々な魔法を教えてもらったのも良い思い出だ。
たった5年とはいえ、私にとっては随分昔のことのように思える。
ここに来れなくなってからの5年は、私にとって苦痛の日々だったから……
「食事はどうされますか?」
「パーティの料理をつまんでたから、大丈夫」
「では、湯浴みは?」
「それも大丈夫」
ドレスを着る前に身体は清めているので、入浴は必要ない。
「……って、ここお風呂もあるの?」
「はい。なにせ数少ない楽しみだったので、生活関連の施設や器具は充実していますよ」
「……とても封印されてたとは思えないわね」
私の目から見ても、イブリーシュの魔力は凄まじいものがある。
恐らくかつてのヴァレンシュタイン家の総力をあげても、封じるだけで精一杯だったのだと思われる。
「さて、そうなりますと、あとは寝るだけになりますが……、どうしましょうか?」
「どうって?」
「それはもちろん、初夜についてですよ」
「初、夜……? 初夜って……っ!?」
私も貴族の令嬢として、その手の知識についてはしっかりと教育されている。
だから初夜がどんなものかくらい知ってはいたのだが、そんな単語がイブリーシュの口から出るとは思っていなくて、しばらく頭が回らなかった。
「お嬢さんは私を好いていると言ってくれました。私はその告白を受け入れ、こうして攫ってきたのです。これはもう、婚姻を結んだのと同意と言えるでしょう。つまり、今夜が初夜となるワケです」
「そ、そ、そ、そうかもしれないけど!」
私は動揺して口がうまくまわらない。
顔も熱いし、きっと真っ赤になっているに違いなかった。
「お嬢さん……」
音もなく距離を詰めてきたイブリーシュが、私の腰に手を添え、もう片方の手で顎をクイッと持ち上げてくる。
そして段々と顔を近づけ…………、ニンマリと笑った。
「冗談です♪」
「っ! バカ!」
私は思い切ってイブリーシュの胸を突き飛ばし、ついでに飛び蹴りをお見舞いした。
「グハッ!」
イブリーシュは、線の細い見た目通りの重さだったようで、強化を施した私の蹴りでドアの外まで吹っ飛んでいった。
結局、その日はイブリーシュとは別室で寝ることになり、初夜については有耶無耶になった。
なったのだが……
(イブリーシュって、悪魔だけど、人間とそういうことできるのかしら……?)
そんなことを悶々と考えたせいで、結局あまり眠れないまま朝を迎えたのであった。