霊能探偵と、デートに繰り出す金髪令嬢
「笠沙技くん、こっちこっち!」
どうも、笠沙技だ。
今日は霊能探偵ではなくオフの笠沙技である。というのも、簡単に言うとデートだ。巧妙に細工され、そうなるよういつの間にか仕組まれていたデートである。
相手は嵯城院しるべ。
霊能業界で知らない人はいないトップアイドル、皆のあこがれのマドンナだ。
で、対する俺は良くてインチキ、悪くて胡散臭い。どっちも大して変わらない、自他ともに認める不審な職業を自称する男、霊能探偵笠沙技である。
つまるところ月とすっぽん、提灯と釣り鐘、お互い本来なら出くわすことのない、交わることのない二人だ。俺は普段、はかりと二人で考えたそれっぽい探偵スタイルであちこちをぶらついているのだが、そんな状態だとしるべと会話している俺は間違いなく不審者にしか見えない。
流石に今日は、多少気合をいれて服を選んだが、ハナビにダメ出しされたのはここだけの秘密。
それでもまったく不釣り合い、俺の目は生前の記憶を取り戻す前からなんか死んだ魚の眼と揶揄される代物で、隣に美女、美少女が並ぶと雰囲気が怪しくなる。
最近は特にそれが加速していて、下手をするとはかりと一緒に歩いているのに職質されたりするのだ。まぁ、大抵の場合はかりが免許証を見せて退散させているが、その度に不機嫌になるはかりはなんというか不憫でならない。
と、いかんいかん。
思考が脱線していた。今日の主役はしるべなのだから、しるべのことだけを考えなくては、流石に失礼というものである。普段から鈍いだのなんだの言われて、女性陣から失礼扱いされている俺ではあるが、そもそもこういうことをしているのが相手に伝わってしまうのがいかんのだ。
少なくとも、目の前の相手を一番に考えて、その人のために行動することは正しいことだ。だからそれに集中しよう。
「悪い、まったか?」
「ううん、全然。私待ってるの得意だもの」
「そういう問題じゃない」
とん、と額をつっついてしるべを叱る。これはいつもの光景だ。きっとしるべは今日も何時間も前から待っていたのだろう、現在集合予定時刻の一時間前であるが、その更に数時間前だ。
厄介なことに、俺がそれに合わせようとするとしるべは間違いなく察知して、更に数時間前にやってくる。一度なんとしても先んじて集合場所に行こうとした結果、一週間前にお互い同じ場所でブッキングし、以来この形で落ち着いている。
「……ごめんね? こうしないと、どうしても不安で」
「いいや、謝るのはこっちだよ、付き合えなくてごめんな」
しるべの特質というか、人間性というか。彼女は“一人でいないと”不安になるのだ。待ち合わせをした時、もしもその人が時間に現れなかったら、そう考えると、自分が数時間前からそこにやってきて、心を落ち着けないとその日の予定に支障が出てしまう。
トラウマ、というやつだ。
俺たちが出会ってから変わらない、しるべの変えられない欠点、と言える。
「それに、しるべはそういうところがないと、周りが逆に心配するから、これでいいって何度も言ってるだろ」
「もう、またそうやって。笠沙技くんは私のお父さんじゃないのよ」
唇を尖らせてから、しるべはコロコロと笑った。
天真爛漫。随分と大人びて、社会人らしくなってきたしるべではあるけれど、初めて出会ったときからこの溌剌さは何一つ変わらない。常に誰かの太陽であるような、戦場に出ている時とは正反対な可愛げのある振る舞いは、俺も少しばかり見惚れてしまう。
そんな隙を突いて、
「じゃ、出発よ笠沙技くん! 今日はいっぱい楽しもうね!」
――しるべは俺の手に思いっきり抱きついてきた。
ぞくり、周囲の視線に殺気が交じる。みればしるべはべーっと小さく舌を出して、申し訳無さそうにしつつも自慢気にこちらを見上げてくる。
……うん、まぁ、いつものしるべとのデートだ。
このくらい、なんてことは……なんてことは……あ、なんか霊質を感じる、これ御魂学園の生徒にも視られたな!?
あとが怖いと思いつつ、俺はそそくさとその場を後にするのだった。
===
しるべとは、よく二人ででかけている。
恋人同士のデートというには、やっていることは割と事務的だ。しるべは霊障事件の詳細を纏める仕事があるのだが、このデートはその業務の一環でもある。あちこちの霊障事件の現場を回って、その内容を書き留めて、お互いに考察する。
流石に俺も七年霊能探偵をやっていれば、一端の専門家として最低限の知識は有している。若干知識不足なところもあるが、そこはむしろ解説のタイミングがわかりやすいのでしるべとしてはありがたいらしい。
完全に霊安本部だけに向けて書く報告書なら、専門知識の前提は省いてもいいのだが、この報告書は御魂学園の生徒――俺よりも知識の少ない者たちも目を通すので、ある程度の注釈は必要なのだ。
二人でどう考えてもデートとしか思えない格好で霊障事件――言い換えれば心霊スポットを行脚する、これを業務と言っていいのかはいささか疑問なのだが、この業務、嵯城院家が強引にねじ込んできた代物なので、霊安本部としては否と言えない。
ベテランのおっさんたちは、毎回血の涙を浮かべてしるべを送り出しているのだとか。
怖い、俺ができれば霊安本部に近寄りたくない原因がそこにはあった。
午前中、目一杯各地の現場を回って、昼は前から目をつけていたレストランで食事。個人経営なのもあって、味はピンきりだが今日は当たりだった。
基本、俺たちは移動中に他愛のない話をすることが多い。先日あったこと――新作ゲームの話とか、御魂学園の様子とか、霊安本部での俺の評判とか――をぽつりぽつりと、思いついた端から互いに話す。
デート、というには色気の少ない内容であるが、昼食中の会話は更に悪い。
一言で言えば、その日回った現場を纏めて整理して、お互いに考えを述べるのだ。完全に仕事モードである。
「それで、最近はネクロプラズマによる事件と、“鼓子実事件”から波及する事件が多いわね」
「前者七割、後者三割ってことか」
「ネクロプラズマの方は、御魂学園がちゃんと対処してるけど、鼓子実事件は未だにどこまで影響が出てるのか把握しきれてないの。苑恚も結構本気だったってことね」
今、霊能業界を賑わす事件は、海外の霊障集団“ネクロプラズマ”の進行と、苑恚がやろうとしていた猫生贄霊障事件こと、鼓子実事件。鼓子実ねねちゃんの親御さんである鼓子実氏が主犯ということになるので、こう呼ばれている。本人は未だに精神的に安定しておらず、ねねちゃんも成仏できていない、根の深い問題だ。
「笠沙技くんの方でも、猫の幽霊ちゃんを成仏させたって聞いてるわ、くらいちゃんががんばった、って」
「どっちかというと、頑張るきっかけになった、が正しい気もするが」
まぁ、色々と思い出深い事件だ。くらいがコンビニに一人で行けるようになったり、事務所に来ようとして迷子になったり。最終的に何故かハナビの社前で見つかったのが謎なんだけど。
「ねねちゃんの件は、笠沙技くんに任せちゃっていいのよね?」
「ああ、はかりの方から報告は言ってると思うけど、ねねは俺が責任を持って連れて行く」
「解った。信頼してる」
食事をしながらなので、話の進みは遅い。
美味しいものを食べているときは、美味しいものにきちんと意識を向けるべきだ、というのは俺達の共通認識。そのうえでしるべには、この時間をより長く楽しみたいという意図があるようだ。
流石にそれは俺でもわかる。実際本人もそう言ってたし。
「笠沙技くんってさ、よく成仏できない幽霊さんを送ってるわよね」
「そうだな、俺の業務のメインはそこでもあるし」
「……寂しくないの? ねねちゃんとはもう結構な付き合いになるんでしょう?」
鼓子実ねねとの付き合い。
うちの事務所にいついてしばらくになるけれど、これほど長く事務所にいつく幽霊はそういない。基本的には会ったその日に、成仏してもらうのが普通だ。
ねねは、非常に例外的な立場である。
「約束、したからな」
「ねねちゃんと?」
「それと、ねねのお母さんとも、な」
死、というのは誰しも平等に訪れる。俺もしるべも、いつか死ぬ。俺たちの場合死んだ後にその魂がどうなるかはさっぱりわからないが、普通の人は、そのまま成仏して、来世に向かう。
俺の前世もきっとそうだっただろう。魂は輪廻して流転する。一つところにとどまることは良くないことだ。できることなら俺だって、来世は前世を思い出すことなく、普通に生きて、普通に死にたい。
それが、あるべき自然の摂理であり、人がもっとも原初的に抱く願いなのだと、俺は思う。
「……死にたくないって、誰もが思う。お別れしたくないとは、ねねも思ってるだろう」
「それを、私達が引き裂いちゃうかもしれないのに、辛くないの?」
「辛い……っていうかな、義務感はあるぞ、これができるのは、世界で俺一人だけだと思うとな」
「無理、してない?」
無理。
無茶だとは思う。全ての人を幸せにはできないし、誰もが納得する形で成仏できるわけでもない。きっとどこかで、ねねも何かを諦めて成仏しなくちゃいけないだろう。
でも、逆に言えば、人は諦めることができるのだ。
「俺はいつか、諦めてもいいんだよ。だから、今はこの義務感に応えたい。無理のない範囲で、俺の道理を通したい」
「……そっか」
「――――それに」
ふと、俺はぽつりとそれをこぼそうとしていた。
今、この場では何の関係もないはずなのに。
「それに?」
「……いや、なんでもない」
きっと、思い出したのだろう。
約束、という言葉から。かつてのことを、忘れられない過去のことを。
「それより、箸が進んでないぞ、これ以上止まったままだと、折角の料理が冷めちまう」
「え? ……あっ、いけない」
ごまかすように指摘する。
未だほんのりと熱を持つ、美味しい料理を慌てて口にする。料理は食べようと思えば、すぐに食べてしまえる。それでも、大事だとわかるから、味わって平らげる。
それが普通なのだと、俺は思った。
===
昼食を終えて、別の場所を一通り回る。やることは何も変わらないが、午後は日差しが強くなってくるので休憩が増える。そうしているうちに、気がつけば夕方。今は日が長いが、それでもチラホラと帰宅する学生やサラリーマンが見え始める頃だ。
このデートは業務の一環だが、時間的に業務は既に終了。そうなるように回る場所も決定している。
業務が終われば、俺達は俺たちはある場所へと向かう。いつだってそうだ、霊障事件の現場を見て回った時、必ず最後にはそこを訪れる。
そこは、美術館だ。
俺たちが住む街に古くからある私営の美術館で、お客さんは全然いないにもかかわらず、不思議と潰れない美術館。入館料が百円かかるが、俺たちは年間パスポートを持っているので、それを払う必要はない。
中は若干仄暗い作りとなっており、どこか不気味さがある。如何にも何かが“出そう”な場所で、時折学生たちの肝試しの会場になったりするのだとか。まぁ、実際にここで何かが出ることはありえないのだが。
ここは、実は霊障事件に関わった歴史ある物品の保管庫である。管理しているのは嵯城院家。つまりしるべの実家だ。霊障事件に関わる物品、つまり具体的に言うと妖刀と呼ばれていた物とかだ。
しかし、既に霊障は完全に取り払われており、妖刀を握っても呪われたりはしない。
俺たちはここへ定期的に脚を運んでいるのだ。しるべにとって、ここはとても大切な場所なのだそうで、こうして足を運ぶことで色々と気を休めているのだとか、なんとか。
「ここはね、時間に置いてかれた場所なのよ」
「っていうと?」
「ここにあるものは、いつだってそう変わるものじゃない。古くて、平凡で、変わらないもの」
「錆びたり、色あせたりすると思うけど」
「そこまで含めて、時間に置いてかれてるってことなのよ」
俺たちの時間は、当たり前のように過ぎていくとしるべは言う。
ここはそんな中で、昔から変わらず、しるべを迎えてくれるというのだ。
「しるべは、変わりたくないのか?」
「ううん、変わりたい。いつだってそう思ってるけど――変わらないものは、ほしい」
「変わらないもの?」
「うん、何でもいい。それはずっと変わらないんだろうなっていうものが、一つだけほしい」
手すりによりかかりながら、階下の展示物を眺めつつ、しるべはつぶやく。ここは吹き抜けになっている階段に絵画などが立てかけられているスペースで、上を眺めても、下を眺めても展示品が飾ってある。
開放的で、話をするのにはうってつけなスペースだ。
「おかしい?」
「いや、別に? 気持ちはわかるしな」
それこそ――
「俺も、変わらないものは持ってるしな」
前世の記憶という、今からでは絶対に変えようのない過去の記憶。挽回も、返上もできないそれは、俺しか知らない、俺だけの俺の証だと言える。
そうでなくとも――
「私もあるわ」
「ここか?」
「それもそうなんでしょうけど」
しるべは振り返って、俺を眺めながら微笑んだ。
「ここも含めて、私は変わらない思い出を大切にしたい」
思い出は、変化するものではない。
しるべはよほど、ここと、ここで起きた思い出が大切なのだろう。
「俺も、この場所は好きだよ。昔から、暇になったらたまにここへ遊びに来てたしな」
幼い頃、遊びの手品が少なかった俺は、よくここに通っていたものだ。同じように通っていた子と仲良くなったこともあったっけか。
その子は、今何をしているのだろうな。
「ふふ、知ってる」
くすくすと、からかうようにしるべは笑う。
ハナビとは別ベクトルに、しるべの考えは読めない時がある。それは、しるべが大人になって考えを隠すことが上手くなったのか、はたまた何か隠し事をしているのか。
よくわからない。
ああでも、そういうところが、多くの人にしるべが惹かれる理由なのかも知れないな、と思う。
「ねぇ、この後何食べる?」
「夜になっても蒸し暑いからな、さっぱりしたものがいいんじゃないか?」
――デートは、夜を食べるまで続く。
気まぐれなお姫様は、俺の手を取って駆け出す。楽しそうだ、と純粋に思う。しるべは昔から責任感が強かったから、こうして気を抜いて楽しんでくれると俺は嬉しい。
まぁ俺は……逆にお姫様をエスコートする霊能探偵として、失敗は許されない立場にいるわけだが。
これで万が一しるべを泣かすと、しるべの両親が展示品の刀を引き抜いて切りかかってくる。それだけは、絶対に避けなくてはならないのだ。
===
私、嵯城院しるべには秘密がある。
それは初恋の秘密だ。ある雪の日、両親の言いつけを守らずに家を飛び出して、普段は寄り付かない家が管理している美術館へやってきた。
そこで、運命の相手とも呼ぶべき人に出会った。彼はどこか浮世離れしていて、“大人”という存在に当時強い憧れを抱いていた私は、そんな浮世離れしていて他人とは違うように思える存在を、大人だと思ったのだ。
そもそも、嵯城院家は古くから続く霊能者の家系である。そんな家系の本家に、甲級の霊質を持つ私は神童として扱われ、普通というものを体験したことがなかった。
いや――今にして思えば両親は、伝統に縛られた嵯城院という家の中で、なんとか私を、私の望む通りに育てようとしていてくれたと思う。
小学校まで、私が普通の学校に通えていたのもその証拠。
霊能なんてものを知る由もない子どもたちと肩を並べて、普通の小学生として学校に通っていた。流石に嵯城院の名前は地元の名士として知られていたので、特別扱いは受けていたけれど。
それでも、友達はいた。当たり前のように、仲のいい友達はいくらでもいた。これでも人付き合いには自信があるほうだったから。
ただ同時に私はその友達へ、彼女たちは自分とは違うのだろうな――という思いは心のどこかで常に存在していた。
だって私は、文字通り神の童――いずれ神と成ってしまう、人ならざる存在だったのだから。
私にとってそのことは嫌で嫌で仕方がない事実であり、同時に他人と自分は違うのだという仄暗い優越感に浸らせる、そんな事実だった。
家族が私を最大限甘やかすのも、私の願いを叶えようとしてくれているのも、私がいずれ神になるから、普通には生きていけないからだ、とよく解っていた。そのことに不満はなかったし、今でも感謝している。でも、だからこそ。
そうさせなくてはならなかった私の存在そのものを、私は心のどこかで憎んでいたと思う。
七つになれば、神の子は人ではなくなる。
そうすると神の子の存在は世界から痕跡を失う。まず、人々の記憶。そして生きていた記録が奪われる。後者は例えば戸籍やどこかの学校に所属しているという事実だ。
そうなってしまえば、普通神の子は人の世界で生きられなくなる。そうなった時、それを拾うのが霊能の世界の人間。通常神の子は在野から見つかるが、私は嵯城院――霊能者の家系だ。
そして嵯城院は、そういった神の子が生まれてくることを予め想定していた。
具体的には、神の子が七つになる時に居座る部屋を作った。その部屋を毎日確認し、そこに誰も居なければ問題なし。もし誰かいれば、それが誰かはわからないけど、間違いなくその子は神の子で、そして嵯城院の人間だ。後は本人から事情を聞き取ればいい。
科学も霊能も使わない、非常に原始的な手法だった。
私は七つになるその日、そんな神の子が“宿る”部屋へと連れて行かれて、一日ここで待つように言われた。その理由は当然ながら私もよくよく理解している。ここから出てしまえば、私は二度と両親をかあさま、とおさまと呼ぶことができなくなる。
解っていた。
解っていたが、それと同時に――
もし私がここからいなくなれば、両親は自分の子供を名乗る誰とも知らない神の子を、育てる必要はなくなる。悲しそうに、私を視ることもなくなるのだとも、理解していた。
今にして思えば、愚かな考えだったと思う。
両親はとても善良で、私のような人ならざる子であろうと、愛してくれた。時折その愛で自分を傷つけて、悲しんでしまうことがあったとしても、心の底から両親は私を愛してくれていたのだ。
私はそれを踏みにじり――悲しませたくないという思いだけで、その部屋を抜け出した。
人が神の子になるのは、生まれた瞬間から数えて七年目の夜だ。日付が変わった瞬間に、私は人から神へと近づくことになる。
普段、習い事という名目で霊能の稽古を受けていた私は、休みの日に友人と遊ぶ経験に乏しく、友人たちは私を歓迎してくれた。そのうえで、私はそれを最後の思い出にしようと思っていた。
普通で、当たり前で、私には絶対に訪れない平凡な思い出を。
そうして友人と別れた後に、私はあの美術館へとやってきたのだ。
――当時は大嫌いだった、“役割を終えた物たち”が押し込められた美術館に。それはどうにも、自分の存在と重なってしょうがなかったから。
怖かった、のだと思う。
それが正しいことだと当時の私は思っていたし、飛び出した時には後悔などなかった。しかし友人たちと遊ぶうち、一人で街を歩くうち、どんどん怖くなっていた。
忘れられることが、一人になることが。
だから、忘れられた者たちが、忘れられないように眠る場所へ――嵯城院美術館と呼ばれる、あの美術館へ向かった。
そうしてそこで、彼に出会った。
名前も知らない、私より少し年上の、不思議な少年に。
彼は私を美術館に誘った。どうにも寂しそうに視えたから、と。断る理由もなくて、私はもう何度も見て、内容なんて全て覚えてしまっていた美術館を、その美術館が初めてだという彼と回った。
不思議な時間だった。楽しさで言えば、友人たちと初めて休みの日に遊んだ午前中のほうが楽しかった。でも、怖さでいえば、全然怖くなかった。隣に彼が居てくれると、どうしてか私は安心した。もうその頃には恋に落ちていたからだろうか。当時のことは、今でも私は判然としない。
ただ、一つだけ確かなこと。
私達は約束をしたんだ。
「また明日、ここで遊ぼう」
――と。
バカな話だ。私には明日なんてない。明日になれば誰もが私を忘れ、彼も私と遊んだことなんて、私の存在なんて忘れてしまうはずなのに。
結局、その日は後悔を抱えたまま、誰もいない美術館で一人凍えそうになりながら朝を待った。明日なんてこなければいい、このままここで眠りについて、二度と目覚めなければいい、とそう思いながら。
やがて迎えた朝日の下で、私は信じられないものを見た。
彼が、そこにいた。
――今にして思えば、彼の異常性はその頃から無自覚に発揮されていたんだと思う。縁を繋ぐ力、縁を歪める現象を無視する力。
それが、彼をここに導いた。
結局私は、彼と遊び終わった後。その日の夜、家に戻った。嵯城院の神の子を見極める方法はとてもシンプルで、そのことを知っていれば、七歳の子供があそこにいて、甲級の霊質を有していれば誰でも嵯城院家の神の子になれる。
それを利用して、私はもう一度、嵯城院の子供になった。
約束を、したからだ。
私は何れ、この世界からいなくなる。何も残さず消えてしまう。
子供の戯言と思ったか、鈍い鈍い彼は言う。
「だったらその時、俺は君を迎えに行くよ」
――当たり前のように、当然に。
それから数年。私は彼と再会した。“霊能探偵”なんていう胡散臭い肩書を背負って私達の世界に踏み込んできた、笠沙技という初恋の人と。
――私、嵯城院しるべには秘密がある。
それは初恋と、誕生日のヒミツ。
私が一日外にいたことで、私の誕生日は記録上、一日ずれてしまっている。世界中どこを探しても、私の誕生日の“前日”にプレゼントをくれるのは、この世に於いてただ一人。笠沙技くん以外に存在しないのである。