霊能探偵と、子猫霊と自分嫌いの暗がり少女。
こんにちは、保土棘くらいと申します。
御魂学園に通う学生で、今年で17になります。姉は保土棘あかり、私の大切な大切な、とても大切な姉でございます。私達は霊能者、現世とは異なる理で動く異能の導き手。
そのようなたいそうな肩書を身にまとった私、くらいではございますが、現在私は大きな問題に直面しておりました。
照りつけるような太陽に、蜃気楼が道に浮かぶような日でした。私はゆっくりと地を踏みしめながら進みます。にらみつけるように湯だった地面を見据えて、一歩、一歩ゆっくりと、確実に。
それは気の遠くなるような旅程でありましょう。人が生まれ、地に足をつけたその時から、人は旅をすると聞き及びます。これはその旅の一つ。
前人未到の秘境を踏破するような。帰還困難の大迷宮に足を踏み入れるような、そんな心持ちなのでした。しかし、これはまだ半ば、果てしない頂への一歩に過ぎないのです。
やがて、私はようやくその頂点、間近までたどり着きました。相手は難攻不落の大要塞。未だ攻略できたことのない未知の領域。私という存在の全身全霊を賭した歩みでさえ、儚い塵の如き一歩になりはててしまう強敵。
それを私は、意を決して、怯むこと無く、そう、怯むこと無く! 踏み出すのです!!
やぁああああああああああああああ!!!
ぷるぷる。(コンビニに入ろうと雄叫びを上げて一歩を踏み出して、自動ドアの先に脚を下ろそうとしながらも、それが叶わず震えている状況)
ふにゃあ……(なんとか脚をつけようとして、やっぱりムリだと逃げ出してしまい、遠巻きにコンビニを見る状況)
やぁああああああああああああああ!!!
ぷるぷる。(同上)
「――――何やってるんだ?」
「にゃああああああああああああああああ!!!」
あ、人、人。いえ、この声、声!! 聞いて、聞き覚え! あ、いや、バランスが崩れて、倒れちゃ……っ
ぽふん。
ふと、覚悟を決めて目を閉じた私を、誰かが優しく受け止めてくださいました。それは、優しいぬくもりで、私は安堵ともに、目を開くのです。
同時に、自分のしていた行為にも、正面からぶつかりながら。
「……れいのうたんてい、様」
「いやほんとに、大丈夫か――くらい」
霊能探偵笠沙技様。
私が敬愛する唯一の殿方にして、私達の命の恩人。その方が、私を片手で抱きかかえながら、真っ赤になっている私の顔を、覗き込んでくるのです……
===
「くすん……」
「落ち着いたか……?」
場所を移して、私は笠沙技様が買い込んだコンビニ弁当を頂いております。朝から何も食べていなかったので、とてもとても美味しゅうございます。ジャンクというのはそのチープさが命のようなところがございまして、このお手軽な弁当がまたとても美味しいのです。
「領収書は霊安本部までお願いいたします……」
「いや奢るって……それで、一体全体どうしたんだ?」
「私は……」
ふと、経緯を説明しようとして先程の光景を思い出してしまいます。あのような痴態を敬愛する殿方に見られたという事実、保土棘くらい、ここで自害する他ないのでは……?
「……もう、お嫁に行けない体にされてしまいました」
溢れ出る涙を堪えきれず、そうつぶやいてしまいます。ここは公園でして、人通りは多少なりともある昼下がり、泣き出した私に周囲がぎょっとしておりますが、一番慌てふためいているのは霊能探偵様と存じます。
「落ち着け!? 語弊がある、語弊があるぞくらい!?」
「この責任は、やはり霊能探偵様に取っていただくしか……!」
「……からかってやがるな!?」
「…………」
てへり。
叫ぶ霊能探偵様に、少しだけ落ち着きを取り戻し、私はそのように舌を出してみたりするのです。多少溜飲も下がるというもの、そう、実は私がこうなったのは霊能探偵様に原因があるのでした。
「しかし、急にどうしたんだよ。あかりは一緒じゃないのか?」
「…………先日、お姉ちゃんが霊能探偵様に穢された、といって泣きながら帰ってきた後、未だ部屋に引きこもっているのですが」
「大変申し訳ありませんでした」
――神速の土下座、手慣れた様子で堂に入るそれを披露した霊能探偵様。そう、現在私は一人で外に出なければいけない状況に直面しているのです。
原因は先日、霊能探偵様といちゃらぶを繰り広げていたお姉ちゃんが、そのまま公衆の面前に転がりでたあげく、そうなった原因である霊障の切り札を前もって霊能探偵様が潰してしまったせいで完全に無駄足となったことが、お姉ちゃんの心の疵となっているのです。
おそらく、今頃はこの土日を使って、溜まっていたマンガの“積み”を崩しているところでございましょう。まさしく積み滅ぼしといったところ。
「……御存知の通り、私は一人で外には出られないものでしたから、食事を取ろうにもお姉ちゃんを邪魔するわけにも行かず、意を決して魔城コンビニへ突入を試みようと」
「な、なるほど……」
――そう。
私は一人では生きていけません。お姉ちゃんがいなければ、他人と会話することもできないのです。例外は――しるべちゃん様とハナビ様にはかり様、そして霊能探偵様だけ。
一人でも、このくらいのことはできないと行けないのに。
私はまだ――“一人”が怖いのでした。
「ところで、なのですが」
「うん?」
「……そちらの子猫様はなんでございましょう?」
ふと、気になったので問いかける。霊能探偵様は、先程からずっと子猫様を抱えておりました。それは――コンビニから出てくるときも同様に。
コンビニとは、動物同伴でも大丈夫だったでしょうか?
「あれ? 視えるのか?」
「……?」
不思議な物言い。まさか、とは思いました。
「こいつは、霊猫だよ。霊障じゃない、純粋な霊魂だ」
まさかは、即座に肯定されます。
――その時、私は生まれて初めて、霊障になっていない無垢な幽霊様を目撃したのでした。
===
曰く、その子猫霊様は、現在霊能探偵様の事務所にいついている幽霊――鼓子実ねね様が連れてきた子猫の霊魂だといいます。ねね様は、先日の子猫生贄霊障事件の犯人のお子様でございますね。
未だ成仏せず、事務所にいらっしゃるとはお聞きしておりましたが、こうして猫の霊魂を運んでこられるとは、本当に猫が好きで縁があるのかもしれません。
「普通の人に―ー霊能者であっても――霊障化していない霊魂が視えることはない。ですのに、どうして私にはこの子が視えるのでしょう」
「理由はいくつか考えられるけどな。多分、それらが色々複合しているんじゃないかと思う」
「そうですねぇ」
理由。霊能のプロとして考えられるのは二つ。
私とこの子の縁――波長とでも呼ぶべきものが似通っているということ。例えばですが、私はお姉ちゃんが何かしらの理由で霊魂となった場合、それを無条件で知覚できるでしょう。それは血縁などの関係の他に、私とお姉ちゃんが近しい存在であるから、ということが挙げられます。
そしてもう一つは――
「……この子自身が、霊障化しかけている」
「おそらく、それが大きいだろうな。放っておけば、こいつは化け猫になってしまう」
私が現在抱えて運んでいるこの子猫ちゃんは、とても可愛らしい。ですがその瞳を正面から覗き込むと、なんとも言い難い妖しさを感じるのです。霊障の気配とそれは同様で、妖艶と表現することができるのですが、これによって子猫ちゃんが霊障になりかけているのは間違いないと断言できます。
つまり、自分と波長の合う子猫様が霊障化したことで、私の霊質がそれを感知した、ということなのでしょう。
「不思議ですね。こんなにも可愛らしいのに、いずれは恐ろしい霊障になってしまうだなんて」
霊障化しかけたことで、子猫様は現在実体を得つつあります。故に、こうやって抱えて抱きしめると、やわらかく、そして温かいのです。
まるで生きているかのように。
んなぁ、と子猫が楽しそうに鳴き声を上げる。つられて私もんなぁ、と口に出すと、隣で霊能探偵様がくすりと笑います。微笑ましい、という笑いなのですが、とても恥ずかしいです。
あうう。
「悪い悪い」
「霊能探偵様は意地悪です」
この人はいつもこうです。私のことを、目に入れても痛くない妹のように見てきます。私、こんなに立派に大きくなりました。子供だって作れます。なのに、霊能探偵様は私の頭を子供のように撫でるのです。
……一番いやなのは、それがどうしようもなく幸せな自分自身なのですが。
大人になりたい、霊能探偵様の隣に立ちたい。この気持ちは、大きくなれば思わなくなるものなのでしょうか。
幸せな、けれどももどかしい時間は、ぽつりと零した私の言葉で変化していきます。
「……この子と私の縁が合う理由、わかる気がします」
ぽつり。
自分でもそんなことを口にするつもりはなかったのですが、思わず口をついて出ていました。
それは、私がこの子に移入している、ということでしょうか。この子のことを、解ったような気になっている。それが正しい、正しくないに関わらず。
「この子は一人ぼっちになってしまったのですね。母を喪い、一人になって、そして命ですらなくなった」
「…………」
「そして、怖いのでしょう。“自分自身”が」
この子を抱きかかえていると、なんとなくこの子が安心しているのが伝わってくるような気がする。霊能探偵様が抱えていらっしゃった時は、怖がっているわけではないですが、どこかぎこちなさを感じているようだったのですが。
それは、この子が怖がっていたからなのだと、私にはわかります。
「霊障に変わっていく己のことが、誰よりも」
堕ちるということは、望む、望まずに限らず恐ろしいことです。自分が自分でなくなる感覚、そしてそれを塗りつぶすほどの力の高揚。どうしようもない破壊の衝動は、抱えているだけで恐ろしく、発露してしまえばもはや止めようがありません。
だからこそ、叶うことならそうなる前に、誰にも知られることなく、一人になって、消えてしまいたい。
けれども、何より怖いのは――。
「怖い……」
「……くらい」
「私は今でも、怖い」
私は……
「私自身が、この世のなによりも恐ろしくて、仕方がない」
そっと、恐怖を押し隠すように、こちらを心配そうに見上げる子猫様を、抱きしめるのでした。
===
保土棘あかりと保土棘くらいは二つで一つ。
生まれた時よりそう“造られて”、あかりとくらいはずっと一緒に育ってきた。その中で、あかりに肉体の役割が、くらいには魂の役割が与えられていた。
簡単に言えば、二人は人為的に作られた霊障人間なのだ。霊質を持つ霊能者ではなく、生まれながらにして霊障と一つになった人間。
古くは“鬼”と呼ばれてきた保土棘の家系は、今はかつて存在していた鬼の在り方を模倣するべく、人為的に霊障を人へ憑依させる実験を繰り返していた。
その成功例があかりとくらいの姉妹である。
あかりが肉体。つまり“制御”を担当し、くらいは魂、力の源である“核”を担当することで、二人は表裏一体の人鬼と化す。こうなった時の二人の霊質は甲級を遥かに凌駕し、大神クラスの霊質を有するとすら言われるほどの爆弾だ。
現在は色々あってそのような状態になることはできなくなっているが、それでも当時のことをくらいもあかりも、記憶としては覚えている。
忘れることもできたが、忘れないことで戒めを選んだのだ。
しかし、その反動かくらいは一人で行動を起こすことができない。隣にあかりか笠沙技がいなければ、日常生活を送ることにも支障が出る。しるべとハナビ、そしてはかりなら会話は可能だが、くらいを行動させることはできない。
それでも快方傾向にある現在は、時折姉のススメで一人で買い物に出かけるなどしていたのだが、今の所全敗中だ。今回も、どうしてもといえば姉は部屋から出てきただろうがそうはしなかった。そして失敗した。
もとよりくらいは、魂としての純度を保つため周囲との接触が両親により禁止されていた。他人と言葉を交わすのはもっぱらあかり。そうなるように、言葉だけでなく霊能でもって、両親はくらいを調整していた。
だから、未だにその恐怖がくらいからは抜けていない。
今日だって、最後の一歩を踏み出せなかったのだ。
自分自身が怖い。自分が自分でなくなってしまうことが怖い。一人が怖い。けれども何より恐ろしいのは、
一人ぼっちになること。
孤独であることだ。
――もう、あの暗がりにくらいは戻りたくはない。誰も居ない、自分しか存在できない、あかりですら差し込まない――くらいくらい、闇の底に。
===
――ハナビの社の横を通り抜けて、二人は森の奥までやってきていた。
この森は、ハナビの社があることからもわかるように、また近くに御魂学園が存在していることからもわかるように、非常に霊験あらたかな森林である。
時折、霊能者と霊障の戦いの場にもなるこの森は、他にもいくつかの役目がある。それが――
「ついた。この先が黄泉の国だ」
――黄泉への入り口。
ほとんど整備されていない森の古い古い道をたどると、とある旧トンネルにたどり着く。今は使われなくなって、入り口にバーが立てられて、それすら古ぼけて錆びているそのトンネルは、黄泉の国への入り口であるという都市伝説が存在する。
そんな伝説があるものだから、実際にここは黄泉の国の入り口になってしまっているのだ。作ったのはハナビだが。
過去に何度か、くらいもここへ来たことがある。
こうして霊能探偵のお供としてやってくるからだが。――そもそも、ここは生と死の境界ゆえか複雑な霊質が入り交じることで異界化し、作ったハナビにすらたどり着けない魔境となっているため、それらの影響を受けずに道を視ることのできる霊能探偵にしか、ここへやってくることはできなかったりするが。
「さて、くらい」
「……っ」
霊能探偵は、後ろに立つくらいへ呼びかける。振り返って、そして、
「その子を、離してやってくれないか?」
そう、呼びかけた。
なぁ、と子猫の鳴き声だけが森に響く。不思議なほどに音のしない異空間にて、生者の鳴き声は響かない。死者の声だけが、この場を支配できるのだ。
くらいは、自分の表情が引きつっていることにすぐ気がついた。それを、努めて無視して、口にする。
「別に、私はそのようなつもりは」
「だったら、離してあげてやってくれ。その子はあっちに行かなきゃいけないんだ」
「解っています。解っております、それは……よくよく」
そう口にする度に、くらいの手が、顔が、こわばっていくのが自分でもわかる。
嫌だ、とは口にできない。口が裂けても言えやしない。だけど、体は口が正しいことを言葉にする度に、それを拒否するように固くなっていく。
言うことを聞かない感覚を、文字通り味わわせてくる。
怖い。
――この子を手放したくないと、ほんの少しでも思ってしまっている自分が、怖い。
「お姉ちゃんと、霊能探偵様。それに、私に良くしてくれる人たち。“私と違う”優しい人たちがこの世界にはいっぱいいることを、私は知ってます」
「……くらい」
「“私なんか”がこんなふうに優しくされるなんて、おこがましいと思ってしまうくらいに」
ああ、
言ってしまった。
“また”言ってしまった。
こんなこと、言わなければいいのに。言うべきではないのに。解っているのに、くらいにはどうしたって止められない。だって――
「私は、私が嫌いです」
どれだけ周りが優しくしてくれても、それを受け入れがたいほどに、自分が嫌いだ。
何よりこれを口にすることで、あかりはくらいを、叱らなくてはいけなくなる。それではくらいを救えないと解っていながら、正しい姉は、正しいことを口にしなければならない。
逆に、他の人達ならくらいに優しくしてくれる。でも、そのことがくらいにとっては申し訳なくて。
――どちらも、くらいを慰めてはくれるけど、救ってはくれない。
「くらいは、どうしてほしい? 叱られたい? 慰められたい?」
「……どっちもしてほしいし、してほしくない、です」
「そうだよな、何度も俺は、そう聞いて、確かめてきた」
くらいは、ダメな女だ。いやな女だ。心が挫けるたびに、なにかにとらわれる度に、こうして殻にこもって誰かを、笠沙技を困らせる。それは笠沙技に自分を見てほしいから? 笠沙技が自分に意識を向けていることが嬉しいから? だとしたら、くらいはとんだお子様だ。
大人になんて、到底なれっこない。今だって、きっと、これからも。
そして笠沙技は――姉でもない、優しい人でもない笠沙技は、いつだってこういうんだ。
「じゃあ、くらいのやりたいが決まるまで、俺は待つよ」
――――ずっとずっと昔、今から何年も前。
くらいは暴走して、そしてその末に殻に閉じこもった。あかりと共に周りにさんざん迷惑をかけて、あかりは|とあるとんでもない反則によって救われたが、くらいはその後も一人、自分が暴走して作った異界の中に閉じこもった。
そこは今くらいたちがいる場所のように、人がたどり着けないような場所で、くらいはずっと、ずっとそこに引きこもりたかった。
だけど笠沙技はやってきた。
やってきて、そして言ったのだ。
くらいが外に出たいって言うまで、俺は待つよ。
そう言った。
時間の流れすらあやふやになっていたその場所から出た時、外では一月が過ぎていた。多くの人に怒られて、優しくされて。そして笠沙技はくらいのしたいようにすればいい、と言ってくれた。
今回もそうだ。
笠沙技はいつだって変わらない。ダメダメなくらいが、前に進むのをずっとずっと待っていてくれる。こんな自分に――自分のために。
そう、思っていた。
ただ、今回は少し違った。笠沙技に声をかけられて、くらいは少しだけ気持ちが緩んだのだ。その瞬間に、
子猫がするりと手の中から抜け出した。
「えっ?」
「あっ」
声を上げる二人を他所に、子猫は一度だけ振り返り、感謝なのか何なのか、なーお、と鳴いてトンネルの奥へと消えていく。
くらいが行動する、しない以前に。
まるで子猫が促すように、一人でそちらへ向かっていったのだ。
笠沙技も、くらいも、呆然とすればいいのか、そこに意味を見出せばいいのか。どっちとも言えない心持ちで、消えていく子猫を眺めていた。
===
後に聞いた話。
ハナビはあの子猫のことを知っていた。あの子猫は今から“数百年”ほど昔、ハナビの社に迷い込んできた。そしてそこで力尽き、霊魂となって社の外へと抜け出していった。
以来、子猫はこの森林を塒に、あちこちを歩き回っていたらしい。霊魂故に、誰にも気が付かれることなく。
霊障となったのは、先日の猫の霊障事件の現場に居合わせたから。そのときに見かけたことを覚えていたねねが、子猫を見つけて笠沙技のもとへ連れてきたのだ。
ハナビは言っていた。あの猫は死ぬことを畏れている、死にたくないから現世に留まっているのだと。
それがなぜ、ああも素直に黄泉の国へと歩んでいったのか。
くらいには、わかる気がする。
ひとりじゃないとわかったからだ。自分と同じように、一人が怖いことを、自分を怖がる者がいることを知って、安心したから。だから、長くを死んだまま生きた猫には、未だ幼い――迷う少女に、道を示す必要があった。
必要があるのならば、しょうがないよな。
そう、笠沙技は困ったように笑う。彼の独特な死生観でも、これまで多くの霊魂と関わった彼にとっても、不思議な霊だった、ということだろう。
それでもくらいは、勇気を貰った。
コンビニに行って、一人で買い物ができるようになった。同じコンビニに、同じ道を通って、同じ時間に――であれば、なんとか。
不思議な話だ。たったあれだけの、短い時間の、交流とすら言えない交流だったのに。
それだけ、死という概念には重みがある。そういうことなのだろう。
「それじゃあお姉ちゃん」
「もう、焦らないの。ハンカチもった? 道は覚えた? お財布は大丈夫? 迷子になったらすぐに電話するのよ?」
「大丈夫だって、心配性だなぁ」
――その日、くらいはもう一つ、新しいことを始めようとしていた。
「霊能探偵様の事務所には、これまでも何度も行っているんですから、迷いようがないよ」
笠沙技の事務所へ遊びに行くのだ。
――猫娘ことねねちゃんが、また子猫を拾ってきたというから。今度は霊魂ではなく、生きている猫を。それを見に行くのである。
少し、怖さはあった。姉についてきてほしいという気持ちもあった。けれどもそれ以上に。
「それに、今日はすごい楽しみにしてたんだから」
「……それもそうね、じゃあ――いってらっしゃい」
ふ、と優しげな笑みを浮かべたあかりが、穏やかに手を振ってくらいを見送る。くらいは、玄関の扉に手をかけて、こちらも普段のくらいでは考えられないほどに穏やかな笑みで――
「行ってきます!」
そういって、くらいは飛び出していくのだった。
――なお。
よくよく考えると、霊の生贄事件の現場に居合わせたということは、もし万が一事件が成就していたら、あの子猫はとんでもない霊障になっていたのではないか? なにせ数百年も存在できるほどの霊質を保有した霊魂なのだから。
そう考えて、怖くなったくらいは考えるのをやめた。
結果、迷った。