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第二章

 ぱしん、ぱしん、と小気味よい音が響く道場内。

 そんな中で、ゆっくりと竹刀を振り上げた人物が、ダン、と床を踏みつけると、相手に向かって勢いよくそれを振り下ろす。

 よける暇も無く、面、と言う鋭い声とともに、相手の頭上にきっちり決まった竹刀に、周りで稽古していた少年達からへぇ、という感嘆の言葉が漏れた。

 速さといい、竹刀さばきといい、この剣道部内でもトップクラスを争ってもいいといって腕前は、相手をしていた人物にとってもよい練習となったのだろう。

「先輩!お見事です!」

 面と手拭いを取り去る少年に向けて、垂れに須田と書かれた少年が手早く面を取り外すと、賞賛の声とともに破顔する。

 その言葉に、同じく垂れに高橋と書かれた少年は苦笑を浮かべながら、軽くその場で礼をして壁際へと近づいた。

 頭に巻き付けていた手ぬぐいを無造作に肩にかけ、精悍、というにはまだ幼さを残しながらも、鋭さを帯びた瞳と自信にあふれた表情が特徴的な少年だ。

 そんな少年の様子を眺めつつクスクスとおかしそうに小声で笑いながら、ちょこんと正座をしてその対戦を見ていた少女が立ち上がる。

 肩と背の半ばまで伸ばされた髪を一つに結い、一挙手一投足の度にそれがさらりと空気とともに動き回る。柔らかな雰囲気を纏う少女は、近づいてくる少年に、当然のような言葉をかけた。

「お疲れ様」

 そう言いつつ乾いたタオルを差し出され、少年はそれを受け取るとぼすりとそれに顔を埋めて顔中から流れる汗を拭った。

 本来ならタオルを渡すのはマネージャーの仕事なのだが、この少女がいる場合はマネージャー達が気を配ってその作業を少女に任せている。

 それどころか、マネージャー達が少年と少女の姿に憧憬の眼差しを送っているのは、この二人が余りにも似合いのカップルといえるからだろう。

 どちらも整った顔立ちをしているだけではない。勉学でも上位に食い込む成績の保持者でありながらも、それを鼻にかけたことは一度も無く、常に気さくな雰囲気を持っているからだ。

 小さく吐息をついた少年の姿に、少女は苦笑を口の端に滲ませてしまう。どうにも物足りなさそうな少年の表情を、どのようにしたら変えられるのかと少女は一瞬思案したようだが、考えてもどうしようもないという結論に至ったのか、すぐに話題を変えて道場の出口に視線を向けた。

「もう帰るわよ、勇一」

「あぁ。分かってるって、那美」

「覚えていたんなら良かった」

「それより、お前部活サボったのか?」

「まさか。今日はあたし部活休みだったの。

 まぁ、タイミング的にはちょうど良かったわよね」

「そっか」

「そうそう」

 何時もと変わりないやりとりを交わす二人を、道場にいる部員達がちらりと眺める。

 羨ましい、よりも、微笑ましいといった風情の二人の行動は、部員達にしてみれば見慣れた光景になってしまえばどうという事もない。

 それは、二人の関係にも由来するのだろう。

「天野先輩!」

「須田君、お疲れ様」

 二人に小走りに駆け寄ったのは、少年、高橋勇一が先ほどもまで対戦していた一つ後輩の須田忍だ。

 勇一の事を尊敬している須田に、少女、天野那美は労いの言葉とともに近くに置いてあったタオルを取るべく膝を折る。

 そんな那美に対し、慌てたように須田は言葉を綴った。

「天野先輩、僕はまだ練習がありますから、大丈夫です」

「でもあんまり無茶しすぎると、誰かさんみたいに試合途中で隙が生まれるわよ」

 その言葉に勇一の眉間にしわが寄るが、そんな態度に苦笑を浮かべて那美はちらりと道場の壁に掛かっている時計に目をやった。

 それに気づいたのだろう。勇一は仏頂面のままに二人に背を向けて、更衣室へと向かって歩き出した。

「勇一、早くね」

「わぁってるよ」

 そんな勇一の姿に、須田が不思議そうな顔で那美を見つめる。

 思わず、といった様子で小さく笑ってしまった那美の様子は、まるで子供の癇癪を眺める姉のようだ。

 同い年であり、家の隣り合った幼なじみ。

 だからこそ、那美は勇一の、勇一は那美の性格を充分に把握している。それ故にだろうか。お互いの行動やクセをいち早く読み取って、二人は何もいう事なく次の行動に移せるのだ。

 そんな勇一と那美の様子に、須田は眼を瞬かせながら不思議そうに尋ねた。

「何かあるんですか?」

「今日は、早く帰るように急かされてるの。

 それに、放っておくと、このまま時間忘れる可能性があるでしょ。だからお目付で私がいるんだけど」

 少し茶目っ気を含ませて那美が言うと、あぁ、と納得したように須田は頷いた。

 ここの所、勇一の機嫌が悪くなっているのは、その相手をしている誰もが感じていることだ。

 それもそのはず。

 この部では一、二を争うほどに強い勇一だが、それでも負けることがあるのは、当たり前といえば当たり前の事と言えるだろう。練習にも試合にも手を抜くことは全く無い勇一だが、それでも勝負の世界に入り込めば、一瞬の油断が勝敗を決してしまう。

 先日行われた他校との合同試合で、勇一が僅かに相手の剣先の動きを読み取れずに、鮮やかに一本負けしたのだ。その事実が、勇一にとって今だに燻る要因の一つとなっていることは、この道場内にいる皆が知っている。

 その解消というわけではないと思いたいのだが、ここの所、勇一の剣戟はいつになく鋭さを増している。先日の負け試合が感情面に現れている事は、那美に指摘されずとも勇一自身よく分かっているはずだと思いたいのだが、それを面と向かって尋ねる猛者など、この道場内にいる人間の中では片手の数で数えられる者達と、この場にいる那美ぐらいしかいないだろう。

 苛つきのためにか。勇一が力加減が出来かねていることと、その実力が実力のためだけに、相手をする人間も部内では限られてしまうため、率先して勇一の相手をしているのは今の所須田ぐらいのものだ。

 そんな須田と、茶飲み話しでもするかのように、那美は気軽にタネを明かして見せた。

「勇一のお父さんとお母さんが急用でいないから、今日は私の家で晩ご飯食べることになってるんだけど……あれじゃぁ、お兄ちゃんにからかわれること確定ね」

 嘆息混じりにそうこぼした那美の言葉に、須田は思わず吹き出してしまう。

 勇一の両親は、この矢沢学園大学部で教鞭を執る学者達だ。その二人が揃って遅いとなると、夕飯はカップ麺などで済ますであろう勇一の食事を案じて、那美が家に誘ったのはたやすく想像できる。

 照れくささを感じるための先程の勇一の行動だと察した須田も、那美につられるようにして笑みをこぼした。

 そんな会話を交わしている内に、勇一の姿が更衣室から現れる。

 制服に着替え、道場に現れた勇一は、お先に失礼します、お疲れ、とのやり取りを部員達と交わしながら、ふと何かに気付いたように視線を固定させる。勇一が武道場の玄関を見つめているのに気づき、那美もまたそちらへと視線を向けた。

 道場の出入り口には、一人の青年がたたずんでいた、

 完璧とも言える秀麗さの際だった顔立ちに、制服の上からでも分かる無駄の全く無い体躯。

 一瞬ではあったが、勇一の頭の中で青年への既視感が走る。

「……知り合い?」

「んなわけねぇだろ」

 勇一の硬直をいち早く見抜いた那美が、青年を見ながら尋ねる。だが、それは瞬時に却下されるものであり、勇一は苦々しい口調で那美の言葉を切り捨てた。

 もしも見覚えがあれば、即座に思い出すであろう青年だ。

 それほどまでに、青年は脳裏に直接焼き付けられるほど印象的な雰囲気を醸し出している。

 無論、那美も同じ事を考えていたのだろう。だからこその質問だったが、二人にとって初対面であるはずの人物は、じっと勇一達の行動を眺めていた。

 思わず睨めつけるような視線を向けると、小さな笑みをこぼして青年は立ち去る。

 自分を知っているかのような態度に、内心で苦虫を嚙み殺しながら勇一は那美へと視線を戻した。

「行こうぜ」

「あ、うん」

 足早に道場の床を蹴る勇一の後に、やや遅れて那美が続く。

 道場出入り口で軽く頭を下げた二人は、爽やかな風が吹き抜け萌えるような緑の下を歩き出した。

 しばらくの間何かを言いたげにしていた那美だが、幼なじみの性格をよく知っているために小さな吐息を放つと、話題をすぐさま切り替えた。

「おじさん達、今日も学校に泊まりなの?」

「だろうな。何か忙しい、とか言ってたし」

「身体壊さなきゃいいけど」

「大丈夫だろ」

 苦笑を浮かべながら那美の疑問に答えつつも、勇一の心は先程の青年の態度に引っかかりを覚える。

 自分達を、否、自分を見つめていたわけでは無い。

 そう言い聞かせながらも、どこかで確信めいた思いが心の中で生まれていた。

 あの青年は、自分を見定めていた。

 まるで、自分の力を確認するかのように……。

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