プロローグ
人工的な光が部屋を照らす。
ここが完全に暗くなることはなく、部屋の住人が眠る時でさえ、薄い緑色の明かりが一帯を照らす。
部屋には8歳から12歳くらいの少年が6人居た。
彼らは一様に手術着のような薄いひざ丈ほどのワンピースを身に着けている。胸元は広く真ん中には切込みが入っていおり、露わになってる鎖骨の上にはアルファベットと数字、それとバーコードが刺されている。
部屋の気温は常に一定に調節されており、寒さや暑さを感じることはあまりない。
彼らは皆、名前を奪われた実験体であった。この施設に来る前の記憶は断片的にさえ覚えていないものが多い。
人の脳は心が壊れてしまわぬように記憶を操作することがある。覚えていては心が壊れてしまうから。故にほとんどの子供たちは覚えていない。幼い子供はそれがより顕著である。
それは果たして幸せなのだろうか。いっそ壊れてしまったほうがこの場所においては幸せであろうに。
この部屋の中で一番年長の少年は来る前の記憶を保持していた。
少年は孤児であった。スラムで親のいない子供たちを束ねていた。この国には孤児が多い。それは、内紛が頻繁に起きることよりも、国内における政府の在り方に由来する。
スラムは常に人であふれ、食料も水も衣服も何もかもが足りない。冬には凍死者が、夏には脱水で死ぬものが多く、一年を通し餓死者が毎日のように出る。
独裁国家『フラーテル』。それがこの国の名であった。人を人とも思わない者たちが支配する国。いまだに貴族制、王制を維持し、民主化などという言葉は存在しない。
国際社会においてフラーテルは爪弾きものであった。国民に対する非道な行いは非難され、しかし、だからといって他国が何かをしてくれるわけではない。非難し、制裁を加えたところで、割りを食うのは底辺である。
少年は仲間を守ろうと必死であった。スラムの中ではそれなりに顔の利く立場であるがそれでも仲間たちは飢えていた。幼い子供は成長のための栄養が必要不可欠であるし体力もあまりない。水さえも死の原因となりうるこの国では今日を生き延びる事さえ大変なのだ。
一人、また一人と仲間たちが死んでいく。幼いものも年嵩のものも、平等に死んでいく。
そんな時、少年のもとにある貴族の使いが訪れた。
「わが主、グリューテル侯爵が貴方を自分の息子と認め引き取るとお申しです。貴方が面倒を見ている孤児たちも悪いようにはしないとのこと。」
宰相、アルベルト・グリューテル。その名を知らない者はこの国にいない。陰で自分のいいように国を操る一人。国王を傀儡とし、栄華を極める豚。国民全てが憎んでいると言っても過言ではない男だ。
少年は母にその男が父親であると知らされていた。この国では珍しい容姿をしていた少女はある時、視察に来た宰相に見初められ無理やり手籠めにされた。
少女には恋人がいたが引き裂かれ、少女は子を身籠った。その頃には宰相の興味はほかに移っており、程なくしてわずかばかりの金とともに捨てられた。少女は一人子供を産み、春を売りながら少年を育てた。
少年が4歳の時、客に移された病気で21という若さでこの世を去る。それ以来少年はスラムで生き抜いてきた。同じ境遇の子供たちを守りながら。10という幼さでスラムでそれなりの地位を得るのは生半可な努力では不可能だ。10の割に大きめの体と回転が速く地頭がよかったこと、スラムを牛耳る男に可愛がられていたことが幸いしたのだろう。
「ああ、そういえば名前は何とおっしゃるのでしょうか。」
目の前の執事と思しき男は少年に対しなんの興味もないという色を浮かべた瞳を隠そうともしない。
思い出したように名前を尋ねたのも記号としての呼び名を欲したからだろう。
「アルジェント。」
少年はアルジェントと呼ばれていた。それは彼の瞳の色に由来する。ヘテロクロミア。左右の目の色が少年は違っていた。この国では珍しい漆黒の髪と銀灰と月のない夜の瞳。その銀灰の瞳からいつしかそう呼ばれるようになっていた。
しかし、少年が母からもらった名前は違っていた。祇王朔也。それが少年の名前であった。だが、それを名乗ることはしない。
少年がこの場に居たくとも拒否権はない。拒否しようものなら殺されるであろうことは間違いなく、少年が拒否するなど夢にも思っていない確定事項として言葉を発している。
仲間のことも悪いようにはしないと言っている。通り名を名乗り、せめて利用してやろうという気持ちがあった。このままでは遅かれ早かれ全滅するだろうから。
朔弥が侯爵家に引き取られ三か月が過ぎた。貴族としての教育を少年は受けさせられていた。美しい隙のない所作、知識を詰め込み、言葉遣いも直させられれた。少年はとても良い生徒であった。優秀で一度行ったことを忘れることもなく1を言えば10を考えることができた。できないということは許されずすぐに身に付けなければ価値を失う。手放し難いと思わせようと必死だった。
それらの教育がひと段落ついたとき、仲間たちがどうしているのかがふと気になった。使用人に尋ねてみるとどうも歯切れが悪いのだ。その時の反応が少年には怪しく感じられたものの、まあ余所余所しいのも仕方がないことかと流した。生きて幸せならそれでいいと思ったのだ
しかし、使用人の会話を盗み聞き知ったのは、仲間たちが死んでいるという信じたくないものであった。
「それにしたって旦那様は酷いよな。殺すこたぁねえだろうに。」
「坊ちゃんもなんで信じたんだろうね。きっと体のいい駒として使われて用済みになったら処分されるんだろうさ。」
「悪いことにはしないって言って坊ちゃんが守ってたもの全部奪っちまうんだからほんと怖いよ。」
「こんなこと話してたのバレたら俺たちだって殺されちまうぞ。」
朔弥の仲間であった年下の子供たちはみな宰相の手のものに殺されていた。
酷い殺され方をした様で、その死体を処理したという下男の言葉に思わず嘔吐しかけたが寸前のところで耐えた。涙は出なかった。
ただ、朔弥は心の中で復讐を誓った。
朔弥が引き取られたのはなぜか。正妻の息子であり朔弥の異母兄である一人息子が病に臥せっていたためであった。それがなけれ引き取られることもなく仲間が惨たらしく殺されることもなかっただろう。
異母兄の病は治り、健康となれば朔弥は邪魔者でしかない。
朔弥が12歳のとき、アルベルト・グリューテルに捨てられる。1年で捨てるのなら、そのままあの場所に捨て置いてくれていればよかったのに。そう思わずにはいられない。
連れて行かれた先は人体実験を行う施設であった。
郊外にあるその場所は広く、様々な実験を行っていた。
朔弥が入れられた部屋には朔弥よも年かさのものが4名いた。
しかし、すぐに姿を消し朔弥よりも年下だろう子供が5人増え部屋の中は6人となった。
子供たちは最初、泣き叫びおびえていたが記憶がなくなったのだろう。ここを出たらという話をするようになる。
朔弥はここを出ることができないことを知っていた。スラム時代、噂に聞いたことがあったのだ。白い白いその場所に連れて行かれたら出ることなどできない。地獄が待っていると。裏手には死体を焼く焼却炉があり悪臭がするのだと。時折、手頃な者を攫って行ったり買い付けて行ったりとやばい施設であると知っていた。
部屋には、注射の痛みが嫌いな子。苦い薬が嫌いな子。大人の目を怯える子。暗闇が怖い子。色々な子供がいた。
朔弥は時に代わりに薬を飲み、注射を受け入れた。できる限り、自分が代わった。それでも年少者でなければならないと朔弥ではなく小さい子を連れて行く。
朔弥が、薬の副作用で苦しんでいるとき、いつか外に絶対に出ると言っていた9歳くらいの子が連れて行かれ戻ってくることはなかった。部屋の住人は時々増え、そしてまた減る。
朔弥が15歳になったある日、全員で部屋から連れ出された。この場所で3年も生き延びる人間はそうそう居ない。
連れて行かれた場所は広く、ほかにも子供たちがいた。全部で50名ほどだろうか。
一番年かさのものでも20歳は越えていないだろう。一番幼いものは3、4歳くらいに見える。
その部屋は天井が高く、二階と思しき位置は四面がガラス張りで白衣を着た大人たちが見下ろす。
配られたのは錠剤。一人5錠、それを飲まされた。30分ほど経っただろうか。多くの子供たちが急に苦しみだす。
朔弥は突然の出来事に呆然とした。苦しみが去ると、30人ほどの子供たちが死んでいた。研究員たちはそれを運ばせる。これから切り刻むのだろう。死後も人権など存在しない。
残されたのは23人寝るように言い渡され、部屋の電気が落ちる。もちろん真っ暗ではない。薄い緑色だ。
朔弥の部屋の子も二人が死んだ。
部屋の明かりがつくと、1人また死んでいた。
苦しんでいた子は5錠。朔や含め苦しまなかった子には5錠と怪しげな色をした水薬が配られた。また飲めということらしい。嫌がった子が一人射殺された。21人になった。
皆がいやいやながらも飲む。また2人死に19人になった。
――このまま死ぬのか。
部屋のスピーカーから声が響く。
『薬への適合おめでとう。これで無事、皆が人間を卒業した。思いのほか数が多いようで大変すばらしいよ。せいぜいが5、6人だと思っていたからね。しかし、こんなには要らないの。化物の死体も解剖したいしねえ?生きたまま実験するのもいいかもしれないがそれはまた別のモルモットで行くとするよ!だから、これからここで君たちには殺し合いをしてもらおうか。』
薬への適合、人間からの卒業、殺し合い。皆が一様に動揺する。
『君たちに飲んでもらった薬はね、我々が開発した人間の中に眠る力を強制的に起こすものなのだよ。稀に生まれてくるESP保有者を作りだす。薬に不適合だと死ぬ。適合していても苦しむ。無理やり起こすわけだから仕方のないことだがね。要は閉じた扉を無理矢理こじ開けるようなものさ。まあみないい声で鳴いてくれたと思うよ。とても気分が高揚した。一度適合しても二度飲まねば完全とは言えなくてね。二度目で死ぬ場合もあるが三度目以降は何の問題もなく薬を飲むことができる。まあ錠剤であればそれ以上飲む必要はないがね。水薬のほうは錠剤にする前の威力を抑えていない状態だよ。それを飲んで無事だなんて豊作だな。この水薬はね、強すぎて錠剤に適応していても耐えられない場合が多いんだ!それでも水薬を飲んだ8人、全員が生き残るなんて素晴らしいね?でもこんなに人数が多いとは思っていなかったから数を減らしたいんだよ。だから君たちには殺し合いをしてもらう。そうだな・・・7人。7人になるまで殺しあってくれたまえ。』
――殺しあえという。仲間と。
朔也中で怒りが溢れる。また理不尽に奪うのか。既にたくさん奪われたのに。これ以上奪うというのか、と。
突然、ガラスの割れる音が響く。しかし彼らにガラスが降り注ぐことはない。
スピーカーからはうめき声が聞こえる。
上から見ていた大人たちへとガラスの破片は襲い掛かり、その命を奪った。
「へえ、やるじゃん。」
赤い髪の青年が朔弥に話しかける。
彼は朔弥がやったと気づいているのだ。
「もうこれ以上仲間を奪わせない。」
「あいつ等は自分から死神に鎌を渡したんだ。ここから出よう。」
年かさの青年たちは不思議と、目覚めさせられた力を理解していた。理由はわからないが何ができるのか大まかに漠然とではあるが理解していた。
「ガキども守りながら外でるって言ってもだいぶ難しいんじゃね―の?」
白い髪の少年が言う。
「道ならたぶんわかる。ここに連れてこられた時の道は覚えているしこの施設の中で歩いた道も覚えてて頭の中で地図になってる。」
朔弥がそう言えば別の青年も覚えていると言った。
「俺も覚えてる。だから、二手に別れよう。チビたち守りながら外へ連れて行くメンバーとこの施設他に子供がいないか探してついでに壊すメンバー。」
朔弥は記憶力が良く、今までに通った施設内の道をよく覚えていた。覚えている人間が二人いるならと青年が提案する。
「それがいいな。追ってが来ても嫌だしさっさとしようぜ。俺とそこの黒髪、あとは金髪が施設壊すから残りは先に外に行ってくれ。多分道すがら警備員とか出てくるだろうから気をつけてな。」
施設内を捜索し、3人新たに子供を見つけ施設を壊しながら共に外へと出る。
先に出ていた面々と合流しどうするか手短に話し合う。
国から逃げるべきだという意見と幼い子供に無理をさせると死んでしまうかもしれないという意見がでた。22人。この人数で移動するのはだいぶ目立つ。
「とりあえずスラムに行こう。あそこなら目立たない。力についてもいろいろ試して知るほうがいいだろうし、スラム牛耳ってるやつが代わってなければ知り合いだから。」
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中。スラムほど適した場所はないだろう。
少しばかり離れてはいるが夜明けまでにはおそらくたどり着く。
スラムのボスは代わらずシュリと呼ばれる男のままであった。シュリは朔弥をアルジェントと名付けた本人であり、彼の本名を知る人物でもあった。
「久しいな、アルジェント。」
「シュリ・・・。」
「お前があの豚に連れて行かれてからそれとなく部下に探らせていた。あのクソみてぇな場所に捨てられたことも知ってたが助けようにもな・・・?」
「心配してくれてたなんて知らなかった。あの男は俺の仲間を悪いようにはしないと言った。行かないという選択肢は取れなかったからせめて利用しようと思ったがあいつらは殺されたって使用人が話してるのを聞いて復讐を誓った。でも、異母兄の病気がよくなったせいで俺は用済みになってあそこに連れて行かれた。」
「どうやって逃げてきたんだ?こんな大人数で。」
「後天的なESP発芽実験。あいつらに扱いきれる力じゃなかった。馬鹿どもは死神に鎌を与えて地獄への出発リストに自分から名前を書いたのさ。」
赤い髪の青年が言う。
「なるほどな。ガキどもは飯食わせてとりあえず寝かせろ。残りはこのままここで俺らと話し合いだ。」
幼い子供たちが部屋から連れ出される。いかつい男ではなく優しげな女性に連れ出されれば少しだけ怯えが減る。
「さて、自己紹介がまだだったな。俺はこのスラムの顔役やってる、シュリという。」
「私はユーリ。年のころはおそらく17。あそこにいる以前の記憶はあまりありませんが隣の国に親の仕事の関係できていた時に攫われたんだと思います。7年近くあの地獄で生きてました。よく死ななかったと思います。」
ハニーブロンドの長い髪の細身の青年はそう言う。7年という長い時間生き残るのは相当すごいことだ。投薬実験だけがあの施設で行われていたわけではないのだ。
「俺はジーン。18だと思う。半年前に誘拐されて売られた。」
赤い髪の青年が言う。
それに続けて、くすんだ金髪の青年、がたいのいい青年、寡黙そうな少年が自己紹介をした。3人は何も、名前すらも覚えていないらしい。
結局、施設を逃げ出せたのは22人であり、そのうち16人が幼い子供であった。
「俺はアルジェントと呼ばれてる。シュリがつけた通り名だけど。10歳までこのスラムにいた。2年間、拒否権なく引き取られた実父の家にいたが跡取りが問題なくなったからあそこに送られた。3年ほどいたと思う。」
「この国から出たいか?」
シュリが六人に尋ねる。
「復讐がしたい。」
ぽつりと誰かが言った。
「復讐はしたいけど、その対象はこの国だけじゃない。横暴な権力者に罰を与えたい。搾取するだけの存在なんて要らない。でも、それは俺の思いだから。幼いあの子たちには幸せになってほしい。そのためにはこの国から出て別の国へと行きたい。」
「この国から出たいなら出すことが俺にはできる。と、言っても俺の祖国に連れてくことしかできないけどな。」
「祇王珠理、それが俺の本名で朔也にとっては従兄妹違いにあたる。」
朔也という名にその場にいた人間のほとんどが誰だという顔をする。
「朔也は俺の本名だ。」
朱理は6人に様々な話をした。
それは自分自身のこと、ESPのこと、日本のこと、これからのこと。