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第四章

 影の力を借りて離宮を抜け出したファンファーナは、アランから衝撃の事実を聞かされた。


「嘘よ!」


 そう叫び、アランの制止を振り切って店を飛び出した。


(信じたくない、信じられない!)


 前も見ずに走っていたファンファーナは、どんっとなにかにぶつかった。


「……ぁ」


 後ろに倒れると目を瞑った刹那、強い力で腕を引かれた。


「前をしっかり見ていないと危ないだろ」


 顔を上げると、そこには呆れた顔のハイラントが立っていた。

 細身だというのに、やはり王立警備団の団員だけあって鍛えられているようだ。

 知っている顔を見つけたファンファーナの大きな目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 ぎょっとしたように目を見開いたハイラントは、痛かったか? と手を慌てて離した。


「ち、違うの……っ」


 必死に涙を拭ったが、たがが外れたように透明な雫は流れ続ける。

 感情が思うように制御できなくて、伝えたい言葉も声にならない。

 もどかしさから思わず、うぅ~っと唸ると、ハイラントがあやすようにぽんぽんと頭を叩いた。


「大丈夫だから。落ち着いて」


 低く、優しい声。

 荒れた心に、じんわりと染みこむような心地よい声だった。

 真っ直ぐな双眸が、今は癇癪を起こした子供を見守るような温かな光を宿していた。

 だからだろうか。

 口をついて出たのは、助けを乞う言葉だった。


「セルヴィックだけじゃなくて、イーシスまでいなくなって……わたし、どうしたらいいかわからなくて……っ」


 ハイラントの目が真剣な色を帯びる。


「なにが遭ったの?」


 ファンファーナを怯えさせないよう問いかける声音はとても柔らかだ。

 包まれているような安心感を抱いたファンファーナの目から涙は自然と止まった。目じりにたまった透明な雫を指先で拭うと、セルヴィックが姿を消してしまったことと、従業員のイーシスも同じく行方不明になってしまったことを伝えた。

 黙って聞いていたハイラントの顔が徐々に険しくなる。


「――二十人目の被害者か」

「! 今、巷を騒がしている事件のこと?」

「ああ、知っているのか」

「犯人の狙いはなに?」

「それが、見当もつかなくてね」


 軽く言いながらも、どこか悔しさが滲んでいた。


 王立警備団でも難しい捜査なのだろうか?

 いや、もし当たりをつけていても、ファンファーナに喋るはずもない。


 黙り込んだファンファーナを怖がっていると勘違いしたのか、ハイラントは安心させるように言った。


「心配しなくていい。俺たち王立警備団がきっと解決をするから」


 力強い言葉。

 真剣な眼差しは真っ直ぐで、澄み渡っていた。

 これが、か弱き市民の守護者なのか。

 思わず、すべてを任せて身をゆだねてしまいたくなる。

 三番目の兄とはまた違う神々しさを感じ、ファンファーナは眩しげに目を細めた。


「さ、店まで送ろう」

「でも、忙しいんじゃ……」

「可愛い子を放っておいたら、悪者に拐かされてしまいそうだ」


 茶目っ気たっぷりに片目を瞑ったハイラントに、ファンファーナは頬に朱を走らせた。


(こんなときに心に小さな火が灯るなんて、不謹慎ね)


 それは、身を焦がすような熱い感情ではなく、ふっと簡単に吹き消そうなほど淡いものだ。

 けれど、はぐれないようにと手をつながれ、とくんっと胸が大きく鳴った。

 ファンファーナの手をすっぽりと包み込む大きな節だった手。


(あったかい……)


 ずっと繋いでいたいと思ってしまうのは、いけないことだろうか。


「ファナ様っ!」


 ハイラントに送られて店へ戻ったファンファーナは、青ざめた顔のアランにぎゅっと抱きしめられた。


「し、心配かけやがって……!」

「ごめんなさい、アラン」


 悪いことをしたとファンファーナはしゅんと項垂れた。

 が、それも一瞬のことだった。

 アランの次の台詞を聞いた瞬間、顔が引きつった。


「あんた様になにか遭ったら、あっしがセルヴィックに殺されるでしょ。いつも氷のような笑顔でネチネチと嫌味を言われるあっしの身にもなってくだせぇ。ああ、恐ろしや。この場にあの男がいなくてほんとよかった」

「イーシスもあなたも、どうしてセルヴィックの顔色ばかり窺うのよ! わたしが雇い主なのにっ」

「そりゃ、わかるでしょ」


 どこか遠い目でため息を零したアランは、視界の端に立つ人物にようやく気づいたのか、不思議そうに瞬いた。


「おや、珍客ですかい。お偉い副団長さんが何の用で?」

「えっ」


 ファンファーナは、目を丸くした。

 ハイラントがそんなに高い地位だとは思わなかったのだ。


「ハイラント、副団長なの?」

「ああ、王立警備第八番団副団長だ」

「第八番団副団長……? なんだ、貴族の坊やか」


 どこか嘲るような物言いに、ハイラントがほんの少し眉を潜めた。


「確かに俺は貴族の出だが、なにも恥ずべき所はない」

「そうよ、アラン。失礼だわ。貴族であろうと、庶民であろうと職業を選ぶのは本人の自由よ」


 ファンファーナが叱ると、アランは投げやりな口調で謝った。

 いつもとは違うアランに、わけがわからず眉を潜めた。


「だけど、ファナ様。ココでは、身分の高さなんて足かせにしかならねぇんですよ」

「……なにが言いたい?」

「アンタもわかってるだろ」


 アランが含みを持たせると、ハイラントの眼差しが険を帯びる。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに柔和な笑みを浮かべたハイラントは、ファンファーナに顔を向けた。


「では、俺はこれで失礼するよ。空気を悪くしてしまったようだし」

「そんなことないわ……!」


 ファンファーナがせめてお茶だけでもと引き留めようとしたが、まだ仕事の途中だからと断った彼は店をあとにした。

 伸ばした手が虚しく宙をかく。

 ゆっくりと腕を下ろしたファンファーナは、キッとアランを睨んだ。


「どうしてあんなことを言ったの? ハイラントはわたしの身を案じてわざわざ送ってくれたのに」

「……ファナ様は知らねぇんです」

「なにが?」

「いいですか、ファナ様。警備団の連中なんざ、信じちゃいけないんですよ」

「……!」


 暗く澱んだ目を見た瞬間、ファンファーナは側にあった花瓶をアランに向かって投げていた。

 イーシスがいないせいで花も生けられていない小さな花瓶は、アランの腕に当たって、床に落ちた。

 陶器の割れた音が、ことさら大きく響き渡る。


「な、なにをしやがるんですか!」


 まさか花瓶を投げられるとは露とも思わなかったのだろう。

 避けきれなかったアランは、腕を軽くさすった。


「アラン、忘れちゃダメよ。あなたはわたしが拾ったんだから」

「ファナ様……」

「心を失った人形なんていらないの」


 ――あのときのように。


 心の中でそう呟いたファンファーナは、にっこりと笑った。


「しっかりと片付けてちょうだいね」



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