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その三


 しかし、その決意も長くは続かなかった。

 三日過ぎてもセルヴィックが戻ってこないのだ。

 不安は焦燥となりファンファーナの心を蝕んでいく。


「姫様、どうしました?」


 ひょこっと顔を出したのは、荷物を抱えたロイスだった。

 玄関の階段に行儀悪く腰掛けるファンファーナを不審に思ったのだろう。


「セルヴィックを待っているの……お使いに行ったまま帰ってこなくて……」

「街へ?」


 こくりとファンファーナが頷くとロイスもなんともいえない顔となった。


「セルヴィックさんなら事件には巻き込まれてはないと思うけど……」


 心配ですね、と眉を下げたロイスは、気落ちするファンファーナを励ますように、努めて明るく言った。


「大丈夫ですよ、セルヴィックさんはここにいるだれよりも強いですもん」

「でも、相手の人数が多かったら、セルヴィックも勝てる保証がないわ」

「……そう、ですね」


 困ったように視線をさまよわせたロイスは、荷物を置くとファンファーナの横に座った。


「ロイス……?」

「俺も待ちます」

「でも、仕事が……」

「いいんです。腐らないし」


 にこっと笑ったロイスは、ファンファーナの顔を見て眉を寄せた。


「姫様、ほんとは探しに行きたいんでしょ?」

「そうよ。当たり前じゃない……」


 この離宮に縛り付けられていなかったら、ファンファーナはすぐに変装してセルヴィックを探しに行っただろう。

 彼が行方不明なのはファンファーナが原因なのだから。

 ファンファーナの言葉に、ロイスはうーんと唸った。


「方法、なくはないんですよね……」

「ぇ?」


 ファンファーナは、大きく目を見開いた。

 少しの期待を覗かせる瞳に、ロイスの悪戯を思いついたような顔が映し出される。

 ロイスは内緒話をするようにファンファーナに顔を近づけた。


「黄点病は、知っていますか?」

「肌が黄色くなって、赤い発疹が出る病のことでしょ? 本で読んだわ」

「ええ、人から人へ移る恐ろしい病です」


 高熱が五日間続き、それによって命を落とす者もいるという。

 薬を飲み、安静にしていれば症状もよくなり、七日で完治する。

 同じ空間にいるだけで感染することから、黄点病に罹った者はすぐさま隔離され、完治するまでそこから出ることを許されないのだ。


「その病になれば、姫様は自由を手に入れることができるんです」


 名案でしょ? と顔を輝かせるロイスに、理解できていないファンファーナは小首を傾げた。


「どういうこと?」

「それは……」


 ロイスがファンファーナの耳元で囁くと、彼女は大きな目を零れんばかりに見開いた。


「そんなことができるの?」

「姫様の知らない世界じゃ、いろんなモノが手に入るんですよ」


 得意げに語ったロイスは、くりっとした目をすっと細めたのだった。









「――これは、黄点病ですな」


 王宮お抱えの侍医がそう告げた瞬間、居並んだ侍女たちの間から悲鳴が上がった。

 侍女たちが顔を青ざめさせながら見つめる先には、天蓋付きの寝台に力なく横たわるファンファーナの姿があった。


「ああ、お労しい……っ」

「姫様、気をしっかりお持ち下さいませっ」


 まるで今生の別れとばかりに泣き出す侍女たちに、老いた侍医がうるさそうに顔をしかめた。


「仕事の邪魔をするなら出ていきなされ。ただ居られては、黄点病が広まるだけです」


 口元をしっかり布で覆い、全身を真っ白な服に身を包んだ侍医は、近くにいた助手に視線をやった。有能な助手は小さく頷くと、騒いでいた侍女たちを一掃してしまった。


「お医者様……治りますか?」


 熱のためか潤んだ目で弱々しく問いかけるファンファーナは、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。

 透き通る肌が、今は無惨にも黄土色へと変わり、赤い発疹がいくつもついていた。

 見ているだけで痛ましい風体に、侍医は安心させるように目尻を優しく下げた。


「もちろんですとも。調合した薬を朝昼晩としっかり飲めば、瞬く間に症状はよくなりましょう」


 心強い言葉に、ファンファーナの硬かった表情もようやく緩んだ。


「これからどんどん熱が上がってきましょう。少しの辛抱ですぞ。四日も経てば熱も下がり、少しずつ回復していくはずです」


 ファンファーナは、ちいさく頷いた。


「それと、無闇に動いてはなりませんぞ。血の巡りが早くなると、病の進行は防げませんからな」

「……はい」

「さ、では、眠りなさい。眠れるときに眠るのがよろしいでしょう」


 これから四日間は高熱に冒されて辛いのだから、と言うと、そっと部屋をあとにした。

 侍医の気配が完全になくなると、ファンファーナはむくりと体を起こした。


「……姫さん、もう出てきていいよ」


 ファンファーナは病人とは思えないほど軽い足取りで隠し扉へと近づくと、そっと押し開いた。

 そこには、薄暗い石畳の螺旋階段にちょこんと腰掛けるファンファーナとうり二つの顔があった。

 燭台に照らされた顔には、不安の色が見え隠れしていた。


「なぁに辛気くさい顔してんのさ」

「ごめんなさい……わたしのわがままに付き合わせて」

「別にいいって。アタシは、金さえ稼げりゃいいんだし」


 ニッと笑んだファンファーナ――いや、影は、申し訳なさそうに項垂れるファンファーナの頭をこつんと叩いた。


「いつもの燃えだ、なんだとかの叫びはどうした? アンタがしおらしいのは気持ち悪い」

「……失礼ね!」


 ファンファーナがムッと頬を膨らませると、影はおかしげに笑った。


「あはっ、その方がいいさ! あ、それと、今回のは割り増し請求だから覚悟しな。怪しい薬を飲ませやがって」

「……ぅ、わ、わかっているわ。ロイスは、体には害はないって言っていたけど、気分は平気?」

「悪くないね」


 影は肩をすくめた。

 ロイスが手に入れてくれたのは、黄点病を表面的に起こすことのできる薬だった。

 もちろん、肌が黄色くなり発疹ができるだけなので、感染もしないし高熱が出ることもない。

 黄点病が悪魔の病と信じられていた時代、この秘薬を使って呪いたい相手を陥れていたらしい。今とは違い、昔は死の病と信じられ、黄点病が発覚した時点で家もろとも焼き払われていたという。

 そのため、無益の人を殺す道具として、この薬の使用は禁じられていた。

 この薬に関する資料もすべて闇へと葬り去られたようだが、密やかに売買されていたようだ。


「――期限は七日。もしアンタが戻って来なかったら、アタシは終わりだ」

「わかっているわ」

「アンタの兄貴らってホントうぜぇ」


 ファンファーナのそっくりな顔で、うぇっと吐く真似をした影。

 いくら顔が似ていても、まとう雰囲気は正反対だった。


「いいでしょ?」


 ファンファーナは、自慢するように笑った。


「……はぁ、兄貴が兄貴なら妹も妹か。――来な。アタシが支度を手伝ってやるよ」

「ありがとう」


 ファンファーナは、影の手を借りてファナに変装する。

 いつもは侍女頭やセルヴィックが側にいて手助けしてくれるのだが、今日は影だけだ。

 セルヴィックのことを思い出してちょっと瞳を潤ませるファンファーナをじっと見ていた影は、彼女を引き寄せた。


「泣くな。泣いてもなにも解決しない」

「ええ、そうね……」

「アタシはぶっちゃけ、あんな陰険な男どうでもいいし、アンタが危険を冒して助けに行くっていうのは気にくわないし、ほっとけよって思うけど、止めやしないよ」

「……」

「アンタが選んだことだから。……ここにいりゃ、何不自由しない暮らしができるくせに、アンタはいつも刺激を求める。出会ったときからアンタが眩しくて仕方ないよ。アタシと同じ顔なのに、こんなに境遇が違って、アタシが泥水すすってるとき、アンタは果実酒でも飲んで、のほほんって生きてきてさ」

「まだ、憎い?」


 ファンファーナは間近にある影の顔を見つめた。

 彼女と出会ったのは、五年も前のことだ。

 薄汚れた恰好で、犯罪に手を染めていた彼女を憐れに思って店へと連れ帰ったのがはじまりだ。

 汚れを落として、身なりを整えれば、自分と似ていることに気づいたのはそのあとだった。

 そこで思いついたのが替え玉だった。数時間という短い時間しか街へ出ることができないことに不自由を感じていたのだ。 


 今でこそ見分けがつかないほど似ているが、当初は顔つきも影のほうがきつく、態度もがさつだった。

替え玉としては不適合だった彼女をこの五年間で、ようやくここまで育て上げたのだ。


『アタシはもう堕ちた人生はイヤなんだっ。アンタがいなけりゃ、アタシは陽の当たったまっとうな道を進むことができるんだ!』


 今も耳に残っている。

 彼女の心の底からの咆哮。


 彼女は、ファンファーナから与えられる仕事に満足しなかった。

 見分けがつかないことを逆手にとって、ファンファーナに成り代わろうと企んだのだ。

 もちろんそれは失敗に終わったのだが、そのときに影は幸せに暮らすファンファーナに対してどれほど嫉妬し、憎しみを抱いているか饒舌に語った。


 それ以来、憑きものでも落ちたようにファンファーナに対して、つっけんどんでありながら少しずつ心を開くようになった。

 きっと彼女の中で負の想いを昇華することができたのだろう。

 まだ疑っているセルヴィックとは違い、ファンファーナは彼女に近づけたことを嬉しく思っていた。

 それが自分だけだったと思うと、少し悲しい。

 影が口を開こうとしたそのとき、扉の外が騒がしくなった。


「ファンファーナ!」

「薔薇の蕾ちゃんっ」

「オレの天使!」


 この世の終わりとばかりに叫んでいるのは、ファンファーナの大切な兄たちだ。

 侍医から話を聞いてすっ飛んで来たのだろう。

 いつもながら、ファンファーナのこととなると行動が速い。


「相変わらず恥ずかしい呼び名だな」

「そう、かしら?」


 白けた顔で扉を一瞥する影。

 気持ち悪いと肩をさする彼女に、ファンファーナは小首を傾げた。


「いかれた妹に相応しいよ」


 ま、品性良好な王子どもの中身が、ただの妹バカだって外の連中が知ったら、引くだろうけどな、と意地悪く口の端を持ち上げる影。

 王族相手でも臆することない、影らしい物言いにくすりと笑ったファンファーナは、扉に向かって声をかけた。


「兄様方……ごめんなさい」

「なにを謝ることがある! クソッ、明日視察がなければこの扉を蹴破って、お前に子守歌を聴かせてやることができるのに」

「大兄様、なにをおっしゃいます。その役目はボクが。次期国王たるあなたになにか遭ったら大変です」

「小賢しいな、レクサックス。ファンファーナを看病するのは、俺に決まっているだろ!」

「な、なにをなさっているのです、王子様方! 静かになさいませ。姫様のご病気を悪化させるおつもりですか!」


 落ち着きのない王子たちに、侍医の雷が落ちた。

 とたん、しんっと静まり返る。

 す、すまない、と小さく謝罪する声が聞こえてきた。

 ファンファーナは、吹き出しそうになるのを堪えながら、必死にか弱げな声を作った。


「……兄様方、八日後にはわたしも元気な顔をお見せすることができます。そのときにもう一度、会いに来ていただけますか?」


 間髪入れずに、もちろんだ、と力強い返事があった。


「さ、もう良いでしょう。せっかくお休みになられていたのに……。あなた方はっ」


 今後は離宮への立ち入りは禁止ですっと声を荒らげる侍医。

 そ、そんな! と情けない声が遠くなる。

 部屋を追い出されたのだろう。

 侍医の鋭い目がある限り、彼らがこっそり忍び込んでくることはないだろう。

 ホッと胸をなで下ろしていると、影がなんとも言えない顔で扉を見つめていた。


「いつもながら強烈なヤツらだな。……アイツら、アンタのこと三歳児と勘違いしてないか?」

「一番上の兄様の歌声は素敵なのよ? 低い声が揺りかごの中にいるようで、どんなに気分が悪くても眠ってしまうの。不思議ね」

「……似た者兄妹。ホント、アンタらにはつき合いきれないよ」


 嘆息した影は、にこにこと笑っているファンファーナをじっと見つめた。


「どうしたの?」


 ファンファーナが不思議そうに問いかけると、影はくしゃりと顔を歪め、手を伸ばした。細い腕が、ファンファーナの体に巻き付くと、ぎゅっと力を込められた。


「怪我すんじゃないよ」

「ええ」

「じゃ、行ってこい。アタシがアンタの居場所、守っててやるよ」

「!」

「アンタは、アタシがいないとダメなんだからさ」


 どこか恥ずかしげにそう言った影。

 そこに先ほどの答えが隠されているようで、ファンファーナは嬉しさを噛みしめながら目を瞑った。





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