第七章
「姫様、どうなさいました? まだ、具合がお悪いので?」
ぼんやりと窓の外を眺めていたファンファーナは、ハッと我に返ると緩く首を振った。
「大丈夫よ……」
あのときのことが、まるで夢のように感じられる。
翌朝目を覚ましたファンファーナは、心配するハイラントたちをなだめて城へ戻った。
影と入れ替わり、事なきを得たが心は晴れなかった。
ハイラントたちの活躍により、人身売買に手を染めていた者たちは次々と捕まった。
親玉が殺されていたこともあり、側にいたファンファーナも問い詰められたが、真実を告げることができなかった。
「セルヴィックさんも早く見つかるといいですわね」
何も知らない侍女は、呑気にそう呟いた。
だが、ファンファーナは知っている。
セルヴィックが二度と戻ってくることがないことを。
(今度会うときは……)
そう、きっと。
自分が覚醒したとき。
ファンファーナは、膝の上に開いていた本に目を落とした。
そこには、有翼人について詳しく書かれていた。
純血の有翼人は、産まれたときから翼が背に生えているという。
けれど、純血な有翼人と人間との間に産まれた子供は半翼の子と呼ばれ、産まれたときにはまだ翼を持っていない。一生生えない者もいれば、物心ついたときに翼が現れる者もいる。
すべては神の御心次第だ。
ファンファーナはきっと半翼の子なのだろう。
母の話をついぞ聞いたことはなかったが、今思えば母が純血の有翼人だから父が隠していたのかもしれない。
そう考えれば、ファンファーナだけ離れて暮らす理由も納得する。
半翼の子であることがばれたら、政治に利用されるだけではない。
有翼人であることは諸刃の刃なのだ。
と、そのとき。
ピィィィィッと甲高い声が聞こえた。
開け放っていた窓から孤を描くように入り込んできたのは、ファンファーナの大切な相棒だった。
「まあ、トゥーリィー。お帰りなさい。アランたちは元気だった?」
しばらくお店に行けないことをトゥーリィーに伝えてもらったのだ。
ピッと愛らしく鳴いて頭を傾げた小鳥は、差し出された指先にとまった。
可愛いと憂鬱な気持ちも忘れた顔を綻ばせたファンファーナは、小鳥の足に巻かれた紙に気づいて取った。
小さな紙切れを開いて読んだファンファーナの顔色が変わった。
そこには、ハイラントが副隊長の任を解かれ、降格された旨が書かれていた。
(なぜ……? 昇進してもいいくらいの活躍だったのに)
ハイラントが権力を失えば、民が正義を失ったと同じだ。
いよいよ、上層部の連中がハイラントを潰しにかかったのだろうか。
「憂えているおまえも可愛いけれど、ボクにも言えない悲しみを抱えているのかな?」
「兄様……! まあ、いついらしたの?」
「返事がないから、勝手に入らせてもらったよ。……顔色は良さそうだね」
ファンファーナの前に跪いて顔を覗き込んだレクサックスは、安心したように微笑んだ。
紙切れを悟られないようにクッションの下に隠すと、トゥーリィーに寝室へ行くよう促した。
心得たように愛らしく鳴いたトゥーリィーは、優雅に翼を広げて飛んでいった。
目を細めてその様子を見つめていたレクサックスは、ぽつりと呟いた。
「せっかく、黄金の鳥籠を用意したのに、おまえは閉じこめるのを嫌うね」
「小さな鳥籠は、トゥーリィーには窮屈ですわ」
「そうか……そうだね」
頷いたレクサックスは、ファンファーナの頭を優しく撫でた。
しかし、彼の目がファンファーナの膝の上に置かれた本に落ちると、その顔は一変した。
バッと奪うように本を取った彼は、ハッと我に返ると気まずそうに視線をさまよわせた。
「……すまない」
「……いいえ」
「勉強熱心なのは素晴らしいことだけれど、これは持ち出し不可の書物なんだ。図書室に戻しておくね」
「わたしが知らずに持ってきてしまったのです。管理人を叱らないで下さいませ」
「ああ、もちろんだよ。ボクの可愛い薔薇の蕾ちゃんは、本当に優しいいい子だ」
レクサックスは、ファンファーナに真実を伝えようとはしなかった。
このまま隠しておくつもりなのだろうか。
彼らの優しさが、すべてを知ってしまった自分には悲しかった。
「……兄様、わたしの母様はどんな方でしたの?」
「なんだい、いきなり。だれかになにかを言われたの?」
彼の口調がほんの少し険を帯びる。
「……いいえ」
「そう。ならいいんだ。……おまえの母上は、とても美しい方だったよ。身分こそ低かったけれど、いつも微笑んでいて、笑みを絶やさない方だった。でも、美の女神はおまえの母上に嫉妬して、生きる力を奪ってしまったんだよ。ボクは、おまえの命も奪ってしまわないかと毎日心配で眠れないよ」
産後の肥立ちが悪く若くして天に召したことは知っていたが、有翼人の母の体が弱かったというのは本当だろうか?
有翼人は人間よりも寿命が長く、治癒力も高いという。
半身である翼を奪われない限り、健やかに生き続けることができるはずだ。
けれど、ファンファーナが真実を知ることはないだろう。
だれも教えてはくれないからだ。
「わたしは、母様に似ていますか?」
「……ああ、似ているよ。悩んでいたのは、おまえの母上のこと?」
「いいえ……」
「……セルヴィックのこと?」
「!」
思わず目を見開くと、レクサックスはそっと視線を逸らした。
「アレは、解任したよ。おまえの傍を何日も離れるなんて、とても許し難いからね」
どことなく歯切れの悪い言い方に、セルヴィックの裏切りを知っているのではないかと穿ってしまった。
「後任はまだ選考中だけれど……、おまえももう十五。ボクはまだ早いと言ったのだけれど、父上が乗り気でね」
「? どういう意味です?」
「おまえに縁談の話があるんだよ。相手は、王家にも引けを取らない伝統と格式ある大貴族の子息だ。家柄的にも申し分ない。今度、会ってみないか?」
そのとき、ファンファーナの頭に浮かんだのは、ハイラントの姿だった。
今、窮地に陥っている彼のことを思うと、胸がきゅっと痛くなる。
「兄様、わたし……」
「ん? どうしたの?」
優しく促されるが、ファンファーナはその先を続けられなかった。
あの父が自分のために選んだ相手なのだ。
それを簡単に袖にすることなんてできなかった。
けれど、素直に頷くこともできない。
「……なんでもありません」
「そう気負うことはないよ。嫌ならば断ればいい」
あまり乗り気でないファンファーナに気づいてか、反対しているレクサックスは上機嫌に言った。
「おまえはまだまだ兄様たちに守られていておくれ」