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その二



「いつもありがとよ」


 申し訳なさそうな老婆に、荷物を玄関に下ろしたハイラントは、いつでも手伝いますよと返した。

 老婆の皺が刻まれた顔に笑みが浮かぶ。


「ああ、まったく、アタシがもう三十年若かったら……」

「足りませんよ~」


 控えめに突っ込むのは、ハイラントの部下である若い青年だ。


「アタシの孫はどうだい? こういっちゃなんだけど、そりゃ器量よしの娘でね、まったく息子の血を引いているとは思えないほどしっかりして……」

「ごほんっ、副団長は仕事があるので失礼します!」


 老婆の言葉を遮った青年は、ハイラントの背を押してその場から退散した。


「途中で帰るのは失礼だろ」

「まったく、副団長は甘いんだから。それで何人の子と婚約させられそうになったんです!」

「……うっ」

「いいですか、副団長。あなたはモテるんですから、ちっとは自覚してください! 優しくて、頭が良くて、腕が立って、おまけに貴族なんて……玉の輿狙いの娘なんざ、た~んといるんですよ! オレは、いつか副団長が野獣と化した娘に襲われるんじゃないかと肝を冷やしているんですっ」

「大げさな」

「大げさじゃありませんっ。わかんないんですか? あのわざとらしく救いを求める声とか、ぎらついた目に! ああ、恐ろしや。……女って怖い」


 自身も怖い体験をしたのか、ぶるりと体を震わせる部下の頭をぽんと叩いたハイラントは苦笑した。

 他人事のような様子に、部下の青年はムッと唇を尖らせた。

 喜怒哀楽がはっきりしているのが彼の美点だろう。ハイラントよりも年上だが、とてもそう見えないほど童顔だ。女性に対しても愛想よくにこにこ笑っていれば、ハイラントほどじゃないとしても可愛がられそうだが、本人はそれを望んでいないらしい。

 いわく、自分の人生はハイラントに捧げている、とのことだ。


「だいたい、副団長が独身なのが問題なんです。もうそろそろ身を固めてもいい時機でしょ」

「ああ、」


 ハイラントはそういえばと首を傾げた。


「家を出るときに、父が縁談の話しを持ってきたな。もう時効だろうけど、諦めていないならば、その娘と結婚するだろう」

「な、な…そんな重要な話、なんで教えてくれなかったんですか!」

「聞かれなかったから」

「ああ、クソッ。それなら婚約者有りって情報を流せば……いや、もっと過熱するか? 既成事実を作ってしまえば……ああ、恐ろしや」


 頭を抱えて悩んでいた青年は、「っていうか」と声を荒らげた。


「そ、それでいいんですか? せっかくお貴族様とは無縁の世界にいて、親に決められた道を進むなんて……」

「愛がないほうが楽だろ」


 俺はお前たちの世話をしなければいけないんだから、と茶目っ気たっぷりに片目を瞑るハイラント。

 青年はだぁっと涙を流すと、彼の足にすがりついた。


「い、一生ついてきますぅぅぅっ!」

「ちょっ、ちょっと!」


 くすくすと周囲から笑い声が聞こえてくる。

 まったく、と呆れたため息を吐きながら足を進めると、青年が待って下さいと追いかけてきた。

 ハイラントたちが歩けば、周囲からは好意的な声がいくつもかかる。

 ハイラントが赴任してきた頃には見られなかった光景だろう。

 一人一人に挨拶を返していたハイラントは、強い視線に気づいて顔を向けた。

 そこには、こちらを睨みつける同僚たちの姿があった。

 彼らは、忌々しげに顔を歪めると路地裏へ姿を消した。


「あ~、放っておきましょうよ」


 ハイラントの視線を追った青年は、緩く首を振った。


「駄目、ですよ」


 青年は続けて言った。


「見ざる、聞かざる、言わざる、です。賢く生きましょ、副団長」


 青年の双眸が鈍く光った。


「それで、満足か?」


 ハイラントが静かに問いかけると、青年の顔が一瞬、泣きそうに歪んだ。


「そんなこと、考えちゃいけないんですよ。それが、ここの決まりです」

「……お前は、穢れない澄んだ瞳の前で正義を語れるか?」

「え?」


 ハイラントの胸に去来するのは、いつかの少女の姿であった。

 自分を聖ウィルトンに喩え、キラキラと輝くように見つめてくれた少女。

 真っ直ぐで濁りのない双眸は、何事にも染まらないから美しいのだろう。

 正義感が強くて、無鉄砲で、どこか目が逸らせない魅力を備えた子。


 ハイラントは、彼女の前で胸を張って正義の味方で居続ける自信がなかった。

 王立警備第八番団副団長の肩書きはあろうとも、彼が動けるのはごくわずかな範囲だ。

 生ぬるいこの場所で仕事をしているから忘れそうになる。

 街の人たちが、自分たちにどんな気持ちを抱いているか。

 少女の店にいた、あの男の殺気だった眼差しを思い出したハイラントは、あれが市民の総意だろうと思った。

 どんなにハイラントが心を砕いても、現状はなにも変わっていないのだから。









 カランッと鈴の音が鳴る。

 アランが戻ってくるからと鍵を開けっ放しにしていたファンファーナは、慌てて扉に駆け寄った。


「ごめんなさい、今は休業中……」


 言葉が途中で切れる。


「ああ、すまない。貼り紙は見たんだが、気になって……」

「ど、どうぞ……!」


 ハイラントの姿を見た瞬間、ファンファーナはすっかり舞い上がってしまった。


 やっぱり格好いい。


 凛とした佇まいに、鮮やかな深紅のマントがよく映える。

 英雄にでも出会ったような気持ちで、うっとりと見とれていたファンファーナだったが、どこか表情の暗いことに気づいて小首を傾げた。


「なにか、あったの? ……って、あるわよね。事件は毎日、いろんなところで起きているんだから。でも、あなたたちがいれば、ちゃちゃっと解決ね!」

「そう、だろうか……」


 いつになく歯切れの悪いハイラントに、ファンファーナは不思議そうに瞬いた。


「えーっと、わたしは、アランのように王立警備団のことよく知らないわ。でも、王立警備団は民の誇りっていうのはわかるわ。あなたたちがいるから平穏が保たれる」

「それが、偽りでも?」


 ハイラントのどこか翳った双眸がファンファーナを射抜く。


「腐敗は決して消えることない」

「……っ」

「なぜなら、」


 なぜならと苦しげに言葉を繰り返したハイラントは、くしゃりと顔を歪めた。


「すまない。こんなことを言いに来たんじゃないんだ」

「……よくわからないけど、ハイラントは腐っているの?」

「え?」

「光は一つでもあればいい。そう思わない? 闇を照らすのは光だけ。闇を退けるのも光だけ。光を求めて闇は蠢く。あなたが光じゃないなら、わたしが光になるわ」

「ファナ……」

「なーんて、えへっ、聖ウィルトン一世になりきってみちゃった」


 ぺろっと小さく舌を出したファンファーナは、気恥ずかしげに頬を掻いた。


「まあ、つまり、国王様だって、すべてを見通すことができないでしょ。だったら、自分の手が届くところから腐敗をなくせばいいんじゃないかしら。消えない光があるなら、いつかは闇が晴れて明るい空が覗くわ。そうでしょ?」


 ファンファーナが無邪気に笑うと、思い悩んでいたハイラントの表情も明るくなった。


「君は……不思議だ。俺の心に容易く入り込んでくるんだから」


 ふっと浮かべた柔らかな笑みに、ファンファーナの胸が小さく波打った。

 自分だけに向けられた笑顔は心臓になくない。

 思わず胸に手をやったファンファーナは、感情的燃えを抑えるように深呼吸を繰り返した。


「……ふぅ、…よしっ。燃え最高っ」


 気を取り直したファンファーナは、改めてハイラントに視線を向けた。


「ちょうど、あなたに聞きたいことがあったの」

「俺に?」

「街の人たちが行方不明になっている事件で、なにか進展はあった?」

「ああ、残念ながら俺は関わっていなくてね。ほとんど耳に入ってこないんだ」

「そう。残念……」

「役に立てずにすまない。俺は、名ばかりの副団長だから」


 そう言って自嘲するハイラントをまじまじと見つめたファンファーナは、名案が浮かんだとばかりに顔を輝かせた。


「だったら、実績を積めばいいわ! ハイラントが事件を解決すればいいのよ」

「俺が?」

「わたしも早く二人を助けたい。わたしたち、利害が一致しているでしょ。こういうときは助け合って捜査すべきよね! そうに決まっているわ。ふふふ、『ファンファンのなんでも屋』にお任せよ」


 腰に手を当て、決め台詞を高らかに口にしたファンファーナは、蒼い双眸をきらめかせた。







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