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第五章

 ファンファーナはまず、イーシスが調べようとしていたところから探ることにした。

 といっても、暗号のような文字は判別が難しく、アランでさえ唸っていた。

 だが、裏社会に通じているアランは、いくつか見当をつけたようで、比較的安全なところをファンファーナに任せてくれた。


『いいですかい? 深追いは絶対しないでくだせぇ。それと、安易に王立警備団の連中に頼っちゃならねぇです』


 クドクドと忠告するアランの顔には、ありありと不安と心配の色が浮かんでいた。

 本当ならばファンファーナと一緒に行動したいのだろうが、二手に分かれたほうが時短に繋がる。

 アランは後ろ髪引かれるように何度も振り返りながら店を出て行った。

 彼のほうが危険度は高いというのに、ずっとファンファーナの身を案じていた。

 普段からは想像できない過保護な一面に、ファンファーナの胸はほっこりと温かくなった。


 どうして自分の周りはこんなに優しい人ばかりなのだろう。


 思わず、頬が緩む。


(――いつもはセルヴィックに守ってもらっていたけれど、今度はわたしが助ける番ね)


 緊張に高鳴る鼓動。

 ここは、籠の中ではない。

 甘いばかりの世界ではないのだ。

 顔を軽く叩いて気合を入れたファンファーナは、アランが姿を消した道とは反対に進んだ。

 アランが描いてくれた地図を頼りに、なにか情報はないかと耳をそばだてていると、視界の端を見たことのある顔が過ぎていった。


「あの人は……」


 名をアイリシア・ザッファートンと言っただろうか。

 こげ茶の目立たないローブを頭からすっぽり被り直した彼女は、きょろきょろと辺りを見回すと、すっと暗い細路地に入って行った。

 なにか新しい情報があるかもしれない、とファンファーナは彼女のあとを追いかけていた。


 しかし、迷路のように入り組んだ路地はあっという間に彼女の姿を隠してしまった。

 どこに行ったのだろうかと狭い道を駆けていると、大きな物音がした。

 何事かとファンファーナが近づくと、そこには地面に倒れたアイリシアの姿があった。周囲には、樽や空き瓶が散乱している。

 アイリシアの髪を掴んで顔を上げさせた大柄な男は、彼女に向かって唾を吐いた。


「もう一回言ってみろ!」

「で、ですから、あのなんでも屋と第八番団副団長が繋がっていると……ぁ、ぅ……っ」

「証拠はどこにあるっ」

「み、見たんです! 彼がなんでも屋の娘と親しくしているところを……っ。お願いです、これ以上は危険です!」

「ふざけんな!」

「きゃっ」


 髪を離した男は、勢いよくアイリシアの面を叩いた。

 つぅっと鼻から流れる血を不愉快そうに見下ろした男は、苛々と踵を鳴らした。


「貴族の坊主になにができるっ。……いいか、あの男をなんとしてでも見つけろ。じゃねぇと、てめぇの命はないからな」

「……っ!」

「わかったら、ひでぇ面を俺に見せるんじゃねぇ。消えろ」

「ぁ、…ま、待って……あなたっ」


 悲痛なアイリシアの叫びにも振り返ることなく、大柄な男は去っていった。

 立ち上がることもできずに、うっ、うぅ、とすすり泣くアイリシア。

 今目の前で起こったことが理解できなくて呆然としていたファンファーナは、ハッと我に返ると急いで駆け寄った。


「だ、大丈夫?」


 頬は青紫に腫れ上がり、涙と血で濡れた顔は酷い有様だった。

 屈強そうな体つきだったから、威力もかなりのものだろう。こんな細い体で受け止めていたなんて、とギリッと歯を食いしばった。

 まったく動けなかった自分が恨めしい。

 ファンファーナは、絹のハンカチを取り出すと汚れた顔を綺麗にした。傷に触らないように慎重に拭っていく。


「ごめんなさい……助けることができなくて」

「あ、なた……」


 アイリシアは、ようやく自分の前にいるのがだれかわかったらしい。

 とたん、ひぃっと小さな悲鳴をあげた彼女の顔は、恐怖に引きつっていた。


「大丈夫だから、落ち着いて」


 今にも気を失ってしまいそうなほど動転しているアイリシアの手を優しく取った。


「手当て、しないと」

「ぁ……」


 反射的に手を引いたアイリシアだったが、ファンファーナの顔を見た瞬間、大人しくなった。

 真綿で包み込むような慈愛に満ちた眼差し。

 アイリシアよりもずっと年下だというのに、どこか逆らい難く、そして身をゆだねてしまいたくなる安心感があった。


「怖がらないで、なにもしないから」


 痛かったでしょ、と細い腕でアイリシアの頭を胸に引き寄せた。


「わたしは、あなたの敵ではないわ」

「……っ」

「だってあなたは大切なお客様だもの。ファンファンのなんでも屋は、『燃え』が大事だけれど、もっと大事なのはお客様の笑顔よ」


 ファンファーナは、店に来て解決したときの客の晴れやかな笑みが一番好きだった。

 『燃え』とは違う、心がじんわりとする感じ。

 きっとそれは、閉ざされた離宮では決して味わうことはできないだろう。

 父や兄たちが守り、慈しむ民の幸せを間近で感じることができるのだから。


「わたしに、あなたの笑顔を守らせて?」

「ふ……うぅっ、……ぅぁぁっ」


 止まった涙が再びあふれ出す。

 すがるように胸に顔をうずめて泣きじゃくるアイリシアは、小さな子供のようだった。

 ファンファーナは、彼女が落ち着くまでそのままの姿勢でいるのだった。









「困ったわ」


 頬に手を当てたファンファーナは、愛らしく小首を傾げた。


「お茶の淹れ方も、手当ての仕方もわからない」


 すべて人任せだったファンファーナは、お湯の沸かし方すらわからない。

 こんなことならば、セルヴィックに教わっておくのだった。

 危ないからと厨房にすら入らせてもらえなかったため、どこに何が置いてあるのかさっぱりだ。


 とりあえず、水瓶から桶に水を入れて布巾を浸した。

 水は、ひんやりと冷たい。

 ぎゅっと絞ったファンファーナは、急いで彼女のところへ戻った。

 彼女は店の椅子に腰掛け、ぐったりとしていた。

 ファンファーナの気配に気づいた彼女は、ゆっくりと視線を上げる。時間が経つにつれ、どんどん腫れ上がっていく頬が痛々しい。


「やはり、お医者様を呼んだほうが……」

「いいえ、大丈夫です」


 口を開くと痛みが走るのか、顔をしかめながら拒否したアイリシアは、受け取った布巾を頬に当てるとホッとしたように息を吐いた。

 けれどその目に輝きはない。

 絶望しているような暗い目がファンファーナをとらえた。


「話、聞いていました?」

「ぁ……」


 ファンファーナは言葉に窮した。


「……いいんです。人気がないといっても、住宅街で騒いでいたら聞こえて当たり前です」「なにがあったのか聞かせてもらってもいい?」


 ファンファーナがアイリシアの前に腰かけてそう問いかけると、彼女の瞳が迷うようにゆらゆらと揺れた。

 だが、悩んでいたのも数秒だった。

 心の整理をつけたのか、ぴんと背筋を伸ばしたアイリシアは、深く頭を下げた。


「ア、アイリシアさん?」

「……嘘、なんです」

「え?」

「有翼人の男性が、わたしの夫だということは……」

「!」

「わたしは、あの人のためだったらなんでもしてあげたかった。たとえ、自分がどうなろうと……。でも、あの人はますます危険な道に入っていって……」

「あの人……?」

「わたしの夫です」


 ゆっくりと顔を上げたアイリシアの瞳が苦痛に歪む。


「わたしに手を挙げたあの人が、夫なんです」


 声を絞り出すように告げた彼女は、静かにこれまでのことを語り始めた。

 自分の夫が、闇の売人と関わってから人が変わったようになってしまったこと。

 今では犯罪に手を染め、有翼人の売買にも手をかしていることなど。

 それでも夫を愛している彼女は彼に暴力を振るわれても逆らえず、いつか改心してくれることを祈っていることを……。


「ごめんなさい、巻き込んでしまって……っ」


 すべてを聞き終えたファンファーナは、震えるアイリシアの手をがしりと握った。


「感情的燃えね!」

「は? も、もえ……?」

「そうよ。素敵ね」


 呆気にとられるアイリシアに、にっこりと満面の笑みを送る。

 蒼の双眸はいつも以上にきらきらと輝いていた。

 それに気圧されたように体を引くアイリシア。

 だが、ファンファーナは手を強く握ったまま離さなかった。

 でも、と言葉を続けたファンファーナは、笑みを消すとじっとアイリシアを見つめた。


「だれかを一途に愛することは素晴らしいけれど、そこに憂えがあったらいけないわ。燃えは、心が高鳴って楽しくならなければ」

「……」

「わたしが解決してみせるから」

「そんな……!」


 アイリシアの顔が青ざめる。

 なにかを恐れているような顔つきに、ファンファーナは安心させるように表情を和らげた。


「わたしもね、助けたい人がいるの。だから絶対、この事件は解決させないといけないのよ」


 そう、絶対。

 ファンファーナは、自分に言い聞かせるように繰り返したのだった。




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