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第一章


「燃えが足りないわ!」




 ファンファーナは、すっくと立ち上がるとそう叫んだ。

 静かに給仕をしている侍女たちは、いつものことと顔色一つ変えない。


「姫様、お茶が冷めます」

「あっといけない。紅茶は舌が火傷するくらい熱いのが一番よね!」


 淡々と告げられたファンファーナは、再び椅子に座ると、湯気が立ち上るカップを手に取った。

 ふぅっと息を吹きかけてから、一口飲む。


「……熱っ」


 ファンファーナは、ちょっと涙目になりながら側にあった水をがぶ飲みした。

 いくら水で冷やしても、火傷を負った舌は、ピリピリと痛い。


「でしたら、もう少し冷めるまで待てばよろしいのに」


 侍女の呆れた声もなんのその。

 ファンファーナは、再度、冷ましながら少しずつ紅茶を口に含んだ。

 すべてを飲み干すと、その顔は達成感に輝いていた。


「これよ、この感じよ! カッとお腹の底から熱くなる感じ。これが、体感的燃えよねっ」

「……また、わけのわからないことを。セルヴィックさん、あなたのせいですよ」


 カップを掲げてうっとりと言い放つファンファーナを冷めた目で見つめた侍女の一人が、窓際の椅子に優雅に腰掛ける青年をちくりと刺した。


「馬鹿につける薬はありませんよ」


 分厚い歴史書を読んでいた青年は、銀縁眼鏡を人差し指の背で押し上げると、爽やかな笑みを浮かべた。

 元より整った顔立ちをしているためか、笑みの一つでも浮かべれば、驚くほど魅力に溢れていた。

 しかし、ほぁっと見惚れるほかの侍女とは違い、嫌味を言った侍女は、つき合いが長い分、彼の見た目には騙されなかった。


「あなた、姫様の教育係でしょ!」

「兼、護衛です。ははは、つむじ風のような姫を私ごときが押さえられるはずもありませんよ」


 そう言って、また読書にふけってしまう。

 彼も彼で主人に負けないくらい唯我独尊だ。

 灰青色の色素の薄い髪を胸元で緩く編み上げ、表情も穏やかに光の中で寛ぐ姿は、目の保養。

 一枚の美しい絵画のような光景を目にしたら、文句も口の中に消えてしまうだろう。

 言葉を飲み込んだ侍女は代わりに深いため息を吐き出すと、見惚れている若い侍女たちに向かって軽く咳払いをした。とたん、ハッと我に返った彼女たちは、慌てたように部屋を出て行った。


「んー、体感的燃えはいいけれど、やっぱり感情的燃えも必要よね。影を呼んでちょうだいな」


 すっかり自分の世界に浸っていたファンファーナは、いい案が思いついたとばかりにとびっきりの笑みを浮かべて侍女に命じた。

 その笑みは、無邪気でとても可愛らしいのだが、内容を考えるとつられて笑顔になるわけにはいかない。


「姫様、この間も影を呼びましたでしょ。第三王子が突然訪問されて大変だったんですからね!」

「兄様ったら、鼻が利くのね」


 ファンファーナは、嬉しそうに頬を緩ませた。


 影の存在は、この離宮でも、ほんの一握りの者にしか知らせていない。

 兄たちにはもちろん教えていなかったが、彼らはなぜか影とファンファーナの見分けがつくようだ。本能で感じ取っているのだろうか。


 たが、内心不審に思っていても、それを表面に出すことはなかった。

 訝しみながらも影をファンファーナとして受け入れてくれる兄たちの存在が、ファンファーナにはありがたかった。


「こんな美貌が二つもあるのだから、世間て狭いものね」


 黄金に輝く髪をふわっと手の甲で払ったファンファーナは、影を思い浮かべてくすくすと笑った。


 卵形の小さな顔に、大きな蒼い双眸、すっとした鼻、花びらのような唇。

 肌は透き通るほど白く、黄金の髪は、これ以上ないほど輝いている。


 完璧な美貌が、この世にもう一つあるなんて、影に出会うまでファンファーナは知らなかった。

 もっとも、影のほうが髪の色が茶色だ。それと影には、背中にアザがない。

 それ以外は双子と言われてもおかしくないほど外見はそっくりだった。

 それをよいことに、ファンファーナは、影に留守番をお願いして、自分は離宮の外を歩き回っているのだ。


「ねえ、そんなに怒らないでちょうだい。見聞を広めるのも姫としての務めだと思うの。自分で行動に移さないと、わたしはずっとこの離宮に閉じこめられたままだもの……」

「姫様……仕方ありませんね」


 ファンファーナが悲しげに長い睫を震わせながら伏せると、ぅっと言葉に詰まった侍女が渋々と折れた。

 もとよりファンファーナに甘い彼女が勝てるわけがないのだ。

 がっくりと項垂れながら影を呼びに行く侍女を勝者の笑顔で見送るファンファーナ。

 すると、我関せずとばかり本を読んでいた青年――セルヴィックが、我慢できないとばかりに、くくっと笑った。


「お前もしたたかになったものですね」

「だって、セルヴィックが教育係だもの。それに、彼女にはああ言わないと、わたしは本当に籠の中の小鳥よ」

「やれやれ、困った小鳥だ。籠の中に大人しく囚われているものですか。お前だったら、籠を壊して飛び出すでしょうよ。そのとき、探す私の身にもなって下さい」

「それがセルヴィックの役目じゃないの。わたしが自由に羽ばたけるのも、有能な護衛が傍にいるからよ」

「……さようですか」


 ふぅっとため息を吐いた彼は、会話に飽きたように本に視線を戻した。


「もぅっ、セルヴィックったら、つれないのね。わたしと喋れるのは、とっても光栄なことなのに! わたしはこのヴィクトール国の第一王女なのよ。敬意を払いなさい! そして、心躍るような燃えを用意なさい!」


 ピッと人差し指をセルヴィックに向けて決め姿勢を取りながらも、その大きな目は期待に輝いていた。


「――ふむ、では、ご期待に添いましょう。いくらで、燃えを買いますか?」

「くっ、わたしの懐が寒いことを知っていてそんなことを言うのね! っていうか、雇われている身なんだから、わたしにタダで情報を寄越すのが筋でしょ!?」

「それとこれとは別です。金貨十枚と、銀貨五枚、銅貨二十枚……さあ、どれがよろしいですか?」


 三つの中から選択を迫られたファンファーナは、唸った。

 もちろん、金貨十枚の方が、燃え率はよい。

 けれど、いろいろとお金を使っているせいで、いつも金欠なのだ。

 そこを見透かしてあえて高値をつけてくるのだから意地が悪い。


「ど、銅貨二十枚で……」


 泣く泣くファンファーナは、燃えの階級を下げた。


「承知しました」


 にっこりと爽やかな笑みを浮かべるセルヴィックをファンファーナは悔しそうに睨みつけたのだった。




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