07 回想 『楽園ブレイクアウト』
創りもの日本で生きていた頃の私は、取り柄のない真面目なだけの女の子だった。
人付き合いは苦手で、誰かと遊んでいる時よりも、本を読んでいる方が好き。そんなどこにでもいる女の子だった。
私には双子の妹がいた。名前を白銀カナデといった。
カナデは私とは相対的な女の子だった。活発で、外交的で、努力家。妹とは名ばかりで、姉の私なんかより、ずっと出来が良かった。勉強も運動も、妹の方ができた。
どうして私は、カナデよりも先に生まれてしまったのだろう。妹でいれたなら、こんな劣等感に苦しむ必要はなかったのに。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と、私を呼ぶ妹を疎ましく思ったことは、1度や2度ではない。
それでも、カナデは、私を姉としたってくれていた。
そして、私は異世界に召喚された。カナデと一緒に。
異世界を救う運命を持つ英雄の名は、「白銀ヒビキだ」と告げられた。カナデが共に召喚されたのは、召喚術者の手違いで、私の召喚に巻き込まれただけだった。
その言葉を聞いたとき、胸が張り裂けそうなぐらいに興奮した。
何度も本の中で読み返した異世界と言うシチュエーション。ヒビキではなく私が選ばれたという事実。
胸の中の劣等感が払しょくされ、すさまじい高揚感が湧き上がってきた。
私たちは魔王を倒さなければ、日本には帰れないと聞かされた。そんな設定、どうでもいいと思った。
心細げに身を小さくしていたヒビキに、私は言った。
「大丈夫。私が……お姉ちゃんが守ってあげるから」
生まれて初めて、私は妹の前で自分を「お姉ちゃん」と呼んだ。
英雄になるための修行は、苛烈を極めた。
毎日、死ぬ寸前まで訓練を強要された。運動部に入ったこともない私の心はすぐに折れそうになった。
そんな私を見て、カナデが言った。
「英雄なんてやめちゃえば? 日本に帰れなくてもさ、2人でどこか逃げて暮らそうよ」
その言葉に甘えたくなった。だけど、逃げ出した先で、私はまた妹に負ける。そう思うと怖くなった。
私は英雄であり続けることに固執した。
転機が訪れる。
魔王の軍勢がわたし達のいる王都に攻め入ってきたのだ。
目的はもちろん、魔王を殺すと予言された、英雄――白銀ヒビキの殺害だった。
目の前で何人もの兵士たちが、魔王軍に殺された。
初めて目の前で人が死んだ。怖い、怖い怖い怖い怖い。
パニックになる私の手を引いて、逃がしてくれたのはカナデだった。
だが、逃げ場などどこにもなかった。
やがて私達は、王城の奥の奥。宝物庫まで追い詰められた。
鍵をかけた扉の向こうに、無数の魔王軍の気配があった。
扉は今にも破られそうだった。
私たちが殺されるのも、時間の問題だった。
するとカナデが、宝物庫にあったた宝箱のひとつを開いた。
乱雑に中身を引っ張り出し、中を空にする。そして、振るえる私を、半ば強引に中へと押し込んだ。
「隠れて」
カナデが言った。
宝箱の中は、人ひとりが入るのがやっとの隙間だった。
「カナデはどうするの……?」
震える声で、私が質問する。すると、カナデが笑って見せた。私を安心させようとしているのが、見て取れた。
「わたしもどこかに隠れる。だから、お姉ちゃんは何があっても、ここから出てきちゃだめだよ」
そう言って、カナデが宝箱の扉を閉めた。そして、宝箱に鍵をかけた。
宝物庫には隠れられそうな場所は、ほかにもあった。
だから、私は信じてしまった。
この時のカナデの嘘を。
数分後、扉をけ破る音が聞こえた。
無数の足音が部屋の中になだれ込んできた。
私は、カナデも隠れえたものだと信じていた。
宝箱の外から、声が聞こえてきた。
「見つけたぞ、英雄! ――白銀ヒビキ!」
魔王軍の声に、心臓がどきりと跳ねた。
まさか、宝箱の中に隠れていることがばれたのだろうか?
恐る恐る、私は宝箱の鍵穴から、外の景色をうかがった。
目に飛び込んできた光景に、私は目を疑った。
「カ、ナデ……?」
震える声で、妹の名前を呼んだ。
「そうだ、わたしが白銀ヒビキだ!」
宝物庫に置いてあった宝剣を振り回し、雄々しくカナデが名乗りをあげた。
双子の姉妹だ。中身は正反対の私達だが、見た目は両親でさえ見間違うことがあるほどに、瓜二つだった。カナデは私に――英雄に、なりすませるほどに、外見が私に似ていた。
「うわぁああああ!」
カナデが宝剣を振り回した。剣を握ったこともない彼女の剣筋は、魔王軍の兵たちにとって、見切るのは容易なものだった。
いともたやすく、カナデの宝剣が弾き飛ばされる。そして。
「――――」
先頭にいた魔王軍の兵士が、横薙ぎに剣を振り抜いた。
鋭利な刃がカナデの体を撫でて、ビクリと彼女の体が震えた。
そのままカナデの体が倒れた音が聞こえた。
「やったぁぁぁ! 俺が打ち取った! 俺が英雄を打ち取ったぁ!」
カナデを殺した魔王軍の兵士が、喚起の叫び声を上げた。
そして、カナデを斬った魔王軍の兵士は、剣をさやに戻し、腰の短剣と持ち替えると、しゃがみこんだ。
鍵穴から見える景色では、魔王軍の兵士が何をしようとしているのか分からなかった。
ただ、カナデが倒れたあたりから、ぐちゃぐちゃとミンチ肉をこねるような音が聞こえていた。
「英雄の首にかけられた報奨金は、俺のものだぁ!」
魔王軍の兵士が叫んだ。
その声を皮切りに、魔王軍の兵士たちが一斉に短剣を抜いた。
そしてカナデに群がると、彼らは何かを持って行った。
何を持って行ったかは、ヒビキには見えなかった。
考えたくなかった。
頭の中がいっぱいになって、そしてヒビキは宝箱の中で意識を失った。
『お姉ちゃん……お姉ちゃん……』
カナデの声が聞こえた。
『嘘ついてごめんね、お姉ちゃん。でも、わたしが生き残っても、魔王を倒して家に帰るなんて、無理そうだったからさ……』
すぐにこれは夢なんだと気が付いた。
『だから、……ごめんね』
夢の中のカナデがそう言った。
ヒビキが意識を取り戻した。
宝箱の外は静かだった。箱の内側から鍵をあけて、ゆっくりと宝箱のふたを開けた。
「カナデ……?」
妹の――カナデの名前を呼ぶ。返事はない。
カナデは殺されたのだ。返事があるわけがない。
カナデが倒れた場所に目を向けた。そこには大きな血だまりができていた。
彼女の体は、爪の一枚すら残されていなかった。
「ああっ――」
喉の奥が、瞳孔を上げた。
「ああああああああああああっ」
悲鳴と共に、ヒビキは目を覚ました。
場所は、公園のベンチの上。。
べったりと嫌な汗をかいた肌に、夜風がひどく冷たくしみた。
「また、あの日の夢……」
周囲に気配をさとられない隠密魔法が問題なく発動していることを確かめる。そして、ヒビキは額の汗をぬぐった。
ジッとヒビキが頭を抱えた。
これまでの記憶が、走馬灯のようによみがえる。
あの日、カナデの死をきっかけに、ヒビキは変わった。
英雄になるために、カナデの仇を討つために、どんな努力も惜しまなかった。命がけで訓練に挑んだ。死んでも構わないとさえ思っていた。
そして、命がけで挑んだ契約の儀式で、魔王を打倒するに足る武器――アルテミスの弓を手に入れた。
この弓は、カナデが与えてくれたんだと思った。
そして、ヒビキはその後も、たくさんの苦難を乗り越えて、魔王を打倒した。
異世界を救った英雄になった。
それでも、カナデは帰ってこない。
異世界では戦争をしていたのだ。これも運命ならば仕方がないと、諦めていた。
だけど、それがもしも、仕組まれた運命だったら。
白銀ヒビキという人間のドラマを盛り上げるために、物語を読んでいる者が楽しむために。神にも等しい存在が、カナデにあんな凄惨な運命を強制したのだとしたら。
そして、その神にも等しい存在が、手の届くところにいたとしたら――。
許せるはずがなかった。
許していいはずがなかった。
「きっとね……カナデはそんなことしなくていいって言うんだろうけどさ……」
ぽつりとつぶやいたヒビキの声が、夜の闇に溶けていく。
「お姉ちゃんね……。カナデの仇だけは、絶対にとるって決めてるんだ……」
それがたとえ、誰にも望まれていない物語だとしても。
自分自身が、世界を壊す魔王になったとしても。
この世界を、許すことはできないと、夜に英雄が呟いた。