05 小林リンはXXXのキャラクター 4
「リン、これを見て」
あきらがパワーポイントを操作し、ホワイトスクリーンに、空撮された少女の姿を映した。
うつろな瞳でドローンのカメラを見上げる白髪の少女。手には桜色の弓が握られていた。
「ワガハイにケンカを吹っかけてきた女の子なのだ。何者なのだ?」
「細かい説明は省くけど、彼女は白銀ヒビキ。『楽園ブレイクアウト』という世界から、異世界転移してきたリンと同じ、キャラクターだよ」
あきらが早口に説明を続ける。
「彼女は自分に過酷な運命を強いて、それを見世物にして楽しんだ日本人に対して、強い憎しみを抱いている。そして、そのうっぷんを晴らすため、彼女は自らの意思で日本を攻撃しているの。これはリンも見た通りね」
ホワイトスクリーンの写真が切り替わる。矢を放った少女と、壊されたビルの写真が並ぶ。
「これからどこを壊すかを、ちゃんと予告してくれるから、幸い死傷者こそ出ていないけれど、建物やら道路やら壊された物の被害総額は、数百億円を超えているよ」
「数百億……!?」
リンが生唾を飲みこむ。
「何と悪い奴なのだっ……」
リンが絶句する。
「で。その悪い奴を、警察官としては何とかしたいんだけど、相手が強すぎてどうにもできないの。自分たちでどうにもできないから、リンに手伝ってもらいたいって、そこの偉い人たちが言っているんだけど、どう思う?」
「どうって……そんなもの……」
リンが眉をひそめる。ずらりと並んだ幹部たちの顔を見渡す。幹部たちは、リンが要請を了承してくれるものと、確信したような顔をしていた。
「ケンカは嫌いだし、面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なのだ」
「だよね」
リンの回答に、パッとあきらの表情が明るくなった。
「そんな……」
リンの実力を知る荻野が、残念そうな声を上げる。
「本人の同意が得られない以上、無理強いをするわけにもいきません。やはり、白銀ヒビキにどう対応するかは、もうしばらく検討を……」
「加茂課長」
低い声が、会議室に重く響いた。警視長の原田だった。
「それを同意させるのが、君の仕事はないのか?」
「……」
原田は背の低い初老の男だ。だが、低く唸るような声には、重々しい迫力がった。
「お言葉ですが、彼は一般人です。我々に彼に無理強いをする権限は……」
「いつからここは上官の命令にノーを言える組織になった?」
あきらの言葉を遮って、原田が言い放った。
「それに彼は、人ではない。キャラクターだ」
わずかに原田が声を弾ませた。
「戸籍もなければ、国籍も持ってないのだろう? いうなれば、法律の外にいるんだ。多少の無理を通しても、問題はないとおもうがね?」
「……」
原田の言葉に、あきらが目を閉じた。
ふうと、吐きだした息が、内にわいた怒りの感情をかき消す者であったことは、そばにいたリンだけが気づいた。
「仮にその通りであったとしても、本人を前に口にするべき内容ではないかと」
原田が目を細める。
「彼との交渉は、私が責任をもって行います。どうか、この場でいきなり結論は……」
「待つのだ」
会議室内の緊張感が高まる中、リンが原田の視線からあきらを隠すように、一歩前に出た。
リンが原田と目を合わせる。
原田の迫力のある眼力にさらされても、リンは一切ひるむ様子は見せなかった。
会議室の中を進み、原田の机の前までリンが歩いて行った。
「お主、もしかしなくてもあきらの上司か?」
「いかにも。その通りだが?」
得体のしれない赤毛の少年を相手に、原田はひるむ様子もなく答えた。
「あんまりあきらをイジメないでやってほしいのだ。あきらはいつも仕事から帰ってくるとボロボロなのだぞ? 休みをくれとまでは言わないが、せめて夜は寝れる程度に家に帰してやってはくれないか? 今のままではいつか体を壊しかねないのだ」
「…………」
リンの言葉に、原田がポカンと口をあけた。
何を言われているのかわからない、といった表情だった。
しかし、その会話を聞いていたあきらに、一抹の不安が頭をよぎった。
「まるで賀茂警視の身内のような口ぶりじゃないか」
「リンっ――」
あきらがリンを止めるよりも早く。
「うむ。あきらはワガハイの家族なのだ」
満面の笑みでリンが答えた。
しまった――。あきらは表情にこそ出さなかったが、内心焦りを感じていた。
原田の目が、狡猾な色に光った。
「なるほど」
原田の目が、目の前のリンからあきらに向けられた。
「隠していたな。賀茂」
原田の鋭い眼光にさらされても、あきらは一切の怖気づく様子をみせなかった。メガネの奥の彼女の瞳は、真っ向から原田の目を見返していた。
「あくまで、交渉の途中にあったというだけです。標的である白銀ヒビキは、警察庁が総力をあげても、対抗することすらできない存在です。それと同等の相手と交渉をするのであれば、それなりの下準備が必要ではありませんか?」
「ふん。口では何とでも言えるだろう」
吐き捨てるように、原田が言った。
「賀茂警視正。君を本件の責任者から外す」
原田の言葉に、会議室内の警察幹部たちがどよめいた。縦社会の警察において、上司の決定は絶対だ。この場において、原田があきらを外すと言えば、それを覆せる者はここにはいない。
しかし、警察幹部たちは、本案件に対応できるだけの能力を持つ指揮官が、あきらをおいて他にないことを理解していた。それは、原田も同じはずだった。
「今後の指揮は私がとろう」
あきらの仕事は、原田が引き継ぐと、そう宣言した。それは、異例の事だった。
誰もが原田の腹の内を読み切れない中、続けて、原田はとんでもないことを口にした。
「賀茂警視正には、明日から白銀ヒビキとの戦いの前線に立ってもらいたい」
原田の言葉に、その場にいる誰もが耳を疑った。
思わず信じられないものを見る目を原田に向ける者さえいたが、原田は意にも介さなかった。
「お待ちください!」
誰もが、動揺する中、声を上げたのは、若手の荻野巡査部長だった。
「失礼ながら申し上げます。警察学校は卒業しているとはいえ、賀茂警視正は、特殊部隊としての訓練を受けていません。明日から前線で出るなど、自殺行為です」
荻野の言い分は、あきらを軽んじたものではない。むしろ、彼女の身をあんじている言葉だった。
荻野をはじめとする、熟練の特殊部隊員が、白銀ヒビキとの対応中に何人も病院送りになっている。
警察学校を卒業しているとはいえ、あきらはキャリア採用の警察官だ。とてもじゃないが、そんな危険な現場に明日から出られる体作りができていない。
それは、その場にいる誰にでも、分かっていることだった。
「殉職だけは避けてもらいたいな。……二階級も特進されたら、私より偉くなってしまうではないか」
そう言って、原田が面白い冗談でも言ったように「はっはっは」と声を上げて笑い出した。その場にいる誰も、原田に同調して笑う者はいなかった。
原田の目が、あきらに向けられた。
「まさか、上司の命令にノーとは言わないよな?」
原田の腹のうちに気づいたあきらが目を細めた。
あきらがリンに目配せをした。リンはすぐにあきらの視線に気づいた。あきらが目で出入り口の方を見た。それだけのアイコンタクトで、リンはあきらが『外に出ていて』と、リンに伝えようとしていることに気が付いた。
話についていけずに棒立ちになっていたリンが、そそくさと退室しようと出口に向かい始めた。
「待ちたまえ。君は今の状況が分かっているのか?」
原田がリンを呼び止めた。
リンは足を止めて振り返る。原田を見て、次いであきらを見た。
『無視して外に出て』
あきらの目がそう訴えていることに気が付いて、リンが出入り口のドアに手をかけた。
「賀茂警視正が死ぬぞ」
原田の言葉に、リンの動きが止まった。
振り返り、原田に目を向けた。
「どういう意味なのだ?」
原田が笑う。
「リン!」
あきらはリンが原田と会話するのを止めようとした。
だが、止めることができなかった。
再びリンが原田に詰め寄る。睨みつけるような目を原田に向けた。
「冗談だとしたら、笑えないのだ」
「冗談なものか。これから賀茂警視正は、危険な現場に行く。ひとつの間違いで命を落とすような危険な現場にな」
原田が立ち上がり、スッ――と、リンに顔を近づけた。
そして耳打ちでもするような声で、原田が言った。
「君、強いんだってな。賀茂警視正の近くで、彼女を守ってやったらどうだ?」
「ダメ」
背後からあきらがリンに詰め寄り、肩を掴んだ。
「私のことなら大丈夫。絶対に死んだりしない。だから、リンも、戦いたくないのに、無理をする必要はない」
上司の目も気にせず、あきらが言い切った。
リンがあきらの目を見る。彼女の目は真剣だった。
リンが少しだけ困ったような顔をした。
「確かに、ワガハイは争いごとは嫌なのだ」
「そうだよね、だったら……」
「でも、あきらが危ない目にあうのは、もっと嫌なのだ」
リンの言葉に、原田が邪悪な笑みと共に、頷いた。
「ワガハイがあきらを側で守る。話を聞かせてほしいのだ」
落ち着いた声でリンが言った。
あきらが力なくうなだれる。
リンの声は優しく穏やかだった。
しかし、どう説得しようと覆せない頑なな決意が、彼の瞳には宿っていた。