04 小林リンはXXXのキャラクター 3
「リン……リン……」
まどろむ意識の中、聞きなれた声がリンの名前を呼んでいた。
リンが瞳を開くと、目の前に深いクマの入った目があった。あきらの目だ。
あきらの顔が、リンの寝顔を覗き込んでいた。
「あきら……?」
「起きた?」
リンと目が合うと、あきらが満足そうに笑った。
「危険区域に少年が倒れていたって聞いて来てみれば、リンだったからびっくりしたんだよ」
「ここは……?」
見慣れない部屋だった。
畳敷きの八畳程度の和室だ。つぶれてペラペラになった布団の上に、リンは寝かされていた。枕は、若干かび臭い。
薄暗く、掃除の行き届いていない感じのする部屋だった。
「官舎の仮眠室だよ。臭いでしょ、その布団」
そう言って、あきらがクスクス笑う。リンが敷き布団をめくると、裏地にびっしりと黒カビが生えていた。見なければよかったと思いながら、リンが布団から起き上がる。
「何故、あきらがこんなところに?」
「言ってなかったっけ? 私、ここの職員さん」
そう言って、あきらが黒い手帳をスーツの内ポケットから取り出して見せた。
警察手帳だった。
手帳の中には、あきらの顔写真と、『警視正 加茂 あきら』の文字。
「警察官だったのか?」
「知らなかったの?」
「初めて聞いたのだ」
リンが目を丸くする。
あきらが警察手帳をスーツの内ポケットにしまった。
「それよりも、何で立ち入り禁止区域にいたの?」
「立ち入り禁止……?」
「危ない目にあったって、聞いたよ」
言われて、リンは思い出した。
「そうなのだ! マンションが立ち入り禁止になっているというのに、防犯カメラにあきらが帰宅したのが見えたから、慌てて連れ戻しに行ったのだ!」
先刻までの出来事が順々に思い出されていく。
リンの言葉に、あきらは目を丸くした。
「確かに、現場に行く前の空き時間に、家に寄ったね。明後日には一度家に戻るって、言ってたでしょ」
「まさか危険区域に指定されている家に帰ってくるとは、思わぬではないか……」
リンが唇を尖らせると、「心配してくれてありがとう」と言って、あきらが笑った。
「リンも、怪我が大丈夫そうで何よりだよ。大変だったね」
あきらがリンの枕元から立ち上がった。
「じゃあ、私はまだ仕事があるから、もう行くけど。リンは少し休んでいくといいよ」
そうすすめられたが、リンはこれ以上、カビカビの布団で眠る気にはなれなかった。
***
アニメ・マンガ・小説といったコンテンツのキャラクター達が、何の前触れもなく日本に現れる現象――通称『異世界転移』が日本で観測されるようになって、半年あまり。
フィクションのキャラクターたちが、日本各地で様々な問題を起こす中でも、特に警察庁を騒がせていたのは、『楽園ブレイクアウト』の主人公、『白銀ヒビキ』による日本への無差別なテロ攻撃だった。
霞が関、警察庁――『白銀ヒビキ対策本部』にて、若き警視正、賀茂あきらがパワーポイントを操作する。ひどく不健康そうな雰囲気の女性だった。色素の薄いセミロングの髪に、黒のスーツ姿で、眼鏡の下にはくっきりとしたクマが目を縁どっている。背丈は小柄で、肌は病的なまでに白い。
「6月15日に最初に破壊されたのが、秋葉原。ついで池袋、上野、横浜、二子玉川……そして、これが昨日破壊されました、東京駅の空撮画像になります」
薄暗い室内。あきらの説明で、白いスクリーンに、破壊された街の画像が次々と映し出されていく。都心のビル群は、空爆でも食らったような見るも無残な瓦礫の山と化していた。
「更に先に破壊された足立区の……」
「被害状況の報告はもういい」
神奈川県警の本部長が、苛立ち混じりにそう言って、資料を机に投げた。荒い鼻息をつく。
「それよりも対策だ。我々は、白銀ヒビキにどう対応していくつもりなのかね? 紫外線の集中放射などという嘘で、国民をだますのにも限界があるだろう?」
本部長の質問に、あきらの動きが一瞬止まる。
「白銀ヒビキは、魔法障壁とよばれる防御壁を展開しており、対人兵器では傷ひとつつけることができません。また、手にした弓からは、戦車の砲弾並みの威力を持つ攻撃を、絶え間なく放ってきます。現状、これに対応できるだけの装備は、我々にはありません」
分かり切ったことを質問しておきながら、わざとらしい落胆の空気が会議室の中に流れた。
「防衛省を通して陸自にも、協力を要請していますが、市街地での爆撃や戦車での活動に承認を得るには、しばらく時間がかかります」
「あれはどうなりました?」
次いで手を上げたのは、千葉県警特殊部隊の部隊長だ。
「日本人に友好的なキャラクターの協力を要請するという話が、ありましたよね?」
「それについては、目下候補者を捜索中です」
あきらが表情を崩さず、落ち着いた声で告げる。
「その件について、私からよろしいでしょうか?」
手を上げたのは、武道採用の若手巡査部長、荻野だった。
荻野は、先日の出動で負傷したあばらを押さえながら、席を立つと、声を弾ませて言った。
「顔に刺青のある、赤毛の少年に心当たりはありませんか? 先日、白銀ヒビキに対応した折、私はその少年に助けられたんです。自分はマンガのキャラだと言っていました」
ピクリと、あきらの眉が揺れる。
「そのような情報は入っていませんが……見間違いの可能性は?」
「私以外にも、狙撃犯の誰かが彼を見ているはずです。白銀ヒビキの狙撃した折、彼を誤射した者がおります」
「誤射っ!?」
あきらが目を丸くする。思わず、手にしていた説明資料をぐしゃりと握りしめてしまった。
「そんな話、聞いてないんだけど……」
気を取り直すように、あきらが眼鏡を直す。
「凄まじい強さでした。あの白銀ヒビキを、体術だけで赤子のようにいなし、銃弾を頭に受けても、血の一滴すら流さなかった」
荻野が興奮気味に話す。
あきらがわざとらしい咳払いをして、荻野の話を中断させた。
「では、当面はその人物を探しつつ、白銀ヒビキへの対応を検討していくということで……」
あきらが半ば強引に会議の終了を告げようとしたとき、廊下から悲鳴じみた大声が庁舎内に響き渡った。
「ぬおおおっ! あきら! あきらぁ! どこにいるのだぁ!?」
リンの声だった。
あきらの表情が引きつる。
まさか使用中の会議室内に、一般人が飛び込んでくるようなことはないと信じたい。あきらがそう考えたのもつかの間、会議室入り口のドアが勢いよく開け放たれた。
「あきらぁ! 見つけたのだ!」
部屋にリンが飛び込んできた。
そして、背後から迫る警察官三名から、リンは隠れるように、あきらの背後へと回り込んだ。
「助けてくれ、あきらぁ!」
情けない声でリンが訴える。
「何事だ、会議中の札が見えなかったのか!?」
リンを追ってきた警察官たちを、会議に参加していた重鎮たちが睨みつけた。
縦社会の警察組織において、これだけの管理職からにらまれるのは相当なプレッシャーだろう。あきらは気の毒に思う。
「失礼いたしました! 公務執行妨害の被疑者が官舎内を歩き回っていたため、任意同行を求めたところ、庁舎内を逃走されしまいまして」
先頭を歩いていた天然パーマの警察官が、状況を報告する。
「ワガハイも急いでいたのだ、投げたことは謝ると言っているではないか。あきらからも、ワガハイが悪者ではないことを説明してくれ」
どうやらリンが何かしでかしたらしい。
「何だか、今日は変なトラブルが連発するなぁ」
はぁ、と。あきらがため息をつく。
すると、リンを一瞥した荻野が目をまたたかせた。
「彼です!」
そして、リンを元気よく指さした。
「彼が先ほど申し上げました、赤毛の少年です! 銃弾を受けてもものともせず、白銀ヒビキを拳ひとつで退けた……確か、そう! 彼は『リンリン大惨事』というマンガの主人公だと!」
「『リンリン☆彡しょうりんじッ!』なのだ! 大惨事って何なのだ!?」
警察幹部たちの視線が、リンに集まる。
何事かと目を瞬かせるリンの隣で、あきらが頭を抱えていた。
「どうかしたのだ?」
「別に。ただちょっと、予想外の大惨事が起きちゃってね……」
疲れた声で、あきらが答えた。