01 プロローグH.S. 私の妹が死んだとき、君はどう思った?
【フィクションのキャラクターが、日本に現れた】
私の物語を楽しんだすべての人へ。
私は衝動的な憎しみにかられ、今にもあなたを殺してしまいそうです。
空を重たい雲が覆い、雨が冷たい風とともに降り注ぐ。雨粒がアスファルトを叩く音が、遠くどこまでも広がっていく。
秋葉原駅前の広場。平日の正午過ぎ。悪天候のせいで、行きかう人もまばらだった。
そのまばらな群衆の中に、私が存在していた。
雨に打たれながら、うつむいた私は、怨嗟を込めた瞳で周囲を睨みつけている。
本来なら、私はここにいないはずの存在だ。
間違っているのは、自分がここに存在してしまったことだ。彼らに悪意はない。
もし、この世界にも悪役が存在するなら、それはきっと私のことだ。
正しいのは彼らで。
間違っているのは、自分だ。
だからといって、許すことはできなかった。
自分の不幸を見世物にされた。自分の人生を演出するという目的のために、妹を殺された。
考えないようにすればするほど、そのことばかり考えてしまい、一度抱いた憎しみが胸の中でどんどん存在感を増していく。
胸の中を渦巻いて、あふれ出した獰猛な憎しみが、私におおいかぶさる。
握りしめたアルテミシアの弓がきしむ。衝動に駆られるまま弓をひけば、目の前にいる彼らなど、簡単に消し飛んでしまうだろう。
そうしないのは、わずかな理性がまだ私の中に残っていたからだ。
だから、これ以上、私をかき乱さないでほしい。
私が何かをする前に、今すぐに消えてほしい。
そうでなければ、今すぐ私をここから消してほしい。
「写真いいですか?」
気が付くと、私の目の前には人だかりができていた。その中の一人、男が突然に、一眼レフのカメラを取り出しながら手をあげて、言った。
「……」
何を言っているのだ、この男は。
信じられないものを見る目で返す。男の表情がぱっと華やいだ。
どうやら、私の視線を質問に対する肯定と、男はとらえたらしい。
男が無心にカメラのシャッターを切る。周囲の人達も、男に合わせて、スマートフォンのカメラなどで、私を撮り始めた。
シャッター音とカメラアプリの撮影音がそこかしこから鳴りはじめる。
「衣装は自作ですか? クオリティがパないっすね」
最初の男が唐突にそんなことを質問してきた。
意味が分からない。
目を瞬かせると、男が呆気にとられた様子で続けた。
「白銀 ヒビキ(しろがね ひびき)ですよね?」
白銀ヒビキ。
私の名だ。
「……私を、知ってるの?」
「声までそっくりじゃん! スゲェ!」
男が歓喜する。
男の言葉の意味を、遅れて私は理解した。
この男は、私のことを出来のいいコスプレか何かだと思っているのであろう。
まがい物ではない。
私はここに存在している。
「私の物語は、……好き?」
唐突に、私はそんな質問を返していた。
「アニメは深夜リアルタイム視聴余裕でした。BDも三回観ました!」
興奮気味に、男が答える。シャッターの煩わしい音が鳴りやまない。
「『楽園ブレイクアウト』マジ面白いです!」
「面白い……」
男の言葉を、唇が反すうした。
怒りに声が震えているのが分かった。
作画が音楽がと、尚も私の物語に関する感想を男が続けている。もう男の言葉は私にはきこえていなかった。きくに堪えなかった。
「じゃあ、さ」
それでも、ひとつ。
最後にひとつだけ、確かめよう。
「アニメの、一話で……、あれを観たときは、どう思った……?」
「あれって?」
男がきき返してくる。
言葉が思うように出てこない。
アルテミシアの弓を握る指に力が入りすぎて痛い。爪が割れて、少し血が滴った。
これ以上はやめておけと、冷静な自分が言っていた。
「……私の妹が死ぬシーンがあったわよね……?」
それでも、確かめずにいられなかった。
「あれを観たとき、……あなたはどう思ったの……?」
「カナデの死亡シーンですか?」
何でもないことのように、男がきき返してくる。
「BGMマジ神ってましたよね!」
男は言った。
「最高でした!」
私の妹が殺された瞬間を、最高の見世物だった、と。
「最高……?」
憎しみが怒りにかわり、目の前が真っ暗になる。
妹が殺された時でさえ、私はこれほどの怒りを感じはしなかった。
シャッター音は鳴りやまない。質問に答えた男も、うつむく私から目をそらし、カメラを覗き込んでいた。
皆が、画面に映る私をみていた。
私はアルテミシアの弓を正面に構え、弦を引いた。
魔力で矢を形成する。
光り輝く魔力質の矢がアルテミシアの弓に装填され、私を映す無数のカメラに向けられた。
「スッゲェ! どうなってるんですか、そのギミック!」
死を目の前にぶら下げてやっても、男は喜劇でも観ているかのように、声を弾ませた。
「最高なら、自分で味わってみればいいじゃない……」
矢の切っ先を、彼らから空へ。
矢を放つ。
「カコンッ」
という、弦が弾ける音と共に、矢は空高く、重たい雲の中へと吸い込まれていった。そして、矢が魔法陣を展開する。ビルよりも高い空に幾何学模様の魔法陣が描かれて、次の瞬間、無数に分裂した矢が、雨と共に上空から降り注いだ。
「え……」
呆けた男の声は、ビルが崩れる轟音にかき消された。
たちまちに矢の雨は秋葉原駅周辺に降り注いで、建物の壁を容赦なくえぐった。細かい破片が雨とともに降り注ぎ、そこかしこから悲鳴があがった。
私を撮影していた人達も、我先にと逃げだした。「テロだ」「ガス爆発だ」などと、見当違いの予測が絶叫と共に飛び交う。
たった一撃で瓦解した彼らの平和を見つめながら、私は、それでも抑えきれない憎しみを胸に抱き、人々を見ていた。
「あなた達は、悲劇が大好きなんでしょう?」
誰に問いかけるわけでもなく、口にする。
この世界に、物語のキャラクターが存在していること自体が、イレギュラーなのだ。
私の物語を楽しんだあなたも、私を見世物にしたという罪悪感はなかったのだろう。
だが、私は実在してしまった。
だから、私はあなたを許すことができない。
不幸を知った人が、自分を救わなかった神様に呪いの言葉を吐くように。
私もあなたを憎んでしまった。
殺したいほど、憎んでしまった。