陣痛
この世界は18の月があり、1ヶ月が36日で構成されている。
現在16の月……精霊の月とも呼ばれる、南部では初冬である。
一家の住む地域にはもうすでに二メートル近くの雪が積もり、まだまだ冬もこれからと言う頃である。
ラインのお腹は少しずつ大きくなっており、快活で動き回るのが日常の彼女ですら、お腹の重みで動くのが鈍く、腹帯を締めその上寒さにも堪えるのか義母が作った上着を羽織り、身体を起こす。
そして、枕元に置いていた物に手を伸ばし引き寄せる。
それは、柄や鞘をボロボロの布で巻いた愛剣。
ラインが幼い頃、泣きながら父に向かい技術を磨き、3年前に実家の奥で眠っていた名剣を賜った。
銘は『六花』。
この文字は読めないのだが、代々の言い伝えでは、雪の結晶のことを言うらしい。
あの日、父と姉に逃げるようにと隠し扉に押し込まれ、逃げ出した。
本当なら、この剣を手に父と共に戦い、逆に戦う術の少ない姉を逃すべきだった。
自分が戦うべきだった。
自分にはこの剣があったのに、一瞬数の多さに竦んだ自分の弱さを恥じていた。
しかし、逃れここに落ち着き子供を身ごもり、お腹の赤ん坊がすくすく育ち、何故か夫が顔を寄せると蹴りと頭突きがめり込み、夫と自分も痛みに呻くのだが、ドルフにだけは手らしきものがペタペタと動く。
「ひ、酷くない?パパなのに!パパに蹴り!」
「お前のことを父と思ってないんだろう」
バッサリと切って捨てる。
ラインとフェルディは年は離れているが、気心の知れた仲である。
本人は姉が花のように美しい美女だったのと、幼い頃から男として育てられたので全く自分の美貌に頓着していないが、フェルディは一目会った時から一目惚れして、ラインにつく虫を徹底的に叩き潰した。
それでもたかるハエは排除していたのだが、最後に失敗し、二人で……いや、ドルフと共に逃げ出した。
実家に戻ったが、この地は水の精霊に守護された土地であり、自分とラインの守護の風の精霊とドルフの守護、土の精霊がこの村を覆い隠していた。
ただ一人以外は入ってこれないように、幾重にも精霊は結界を重ねがけしている。
自分は結界に守られている……しかし……。
ラインは柄にほおをすり寄せる。
「……父上、姉上……ご無事で……」
そして、身体を起こそうとして、違和感を感じて隣に眠るフェルディを見る。
「ふぇ、フェイ……」
「んーなぁに?」
ラインはこの廃墟の村には稀な美少女だが、成長期のフェルディは中性的な面立ちの美少年である。
目を薄く開き、ラインを見上げる。
「ど、どうしよう……。お、お腹の赤ん坊が……動いてない……」
「……えぇぇ!」
ガバッと起き上がり、お腹を確認する。
自分が確認するといつもなら激しい蹴りか頭突きに遭うのだが、今回はそれもなく、大人しい。
慌てて立ち上がり両親と、両親と一緒に眠っているドルフを呼びに行く。
姿を見せた3人、特にドルフは真っ青になり、
「チェーニャちゃん!」
母のお腹に抱きつき、
「チェーニャちゃん!ドルフだよ。どうしたの?チェーニャちゃん!」
と声をかけ、ペチペチと確認すると、不思議そうな顔で振り返る。
「お母さん、チェーニャちゃんねんねしてるよ?クルンって」
「クルンってなあに?」
「クルクル〜って遊んでるの飽きちゃった。クルンってして、グーってしてるみたい」
「クルンって」
「生まれる前に赤ん坊は生まれる準備をするんだよ。坊や。チェーニャちゃんは、足はどこだい?」
アライダは孫に優しく問いかける。
母のお腹を撫で、
「んっと、頭が下、足は上……だと思う」
「えっ?変な形に?」
フェルディが思い切り耳を押し付けると、それが不快だったのか、蹴りが入った。
「いったぁぁ!」
「赤ん坊は頭から生まれるんだよ。だから、生まれる準備のために身体を移動させるんだよ。でもおかしいねぇ……この大きさで生まれる……少し早いのかもしれないね」
「大丈夫でしょうか?」
「まぁ、何度か流産の危機は乗り越えたし、大丈夫だろうね。それよりもライン、無理をするんじゃないよ?」
不安そうにお腹を撫でるラインに、アライダは安心させるように頭を撫でる。
エーゴンも、肩を叩く。
「ライン。ご飯を食べるか?」
「はい……って、い、イタタ?」
身動きをしようとしたラインは、腹部の痛みに眉をひそめる。
「どうしたんだい?」
「いえ、お腹が……」
アライダは近づきお腹に手を当て、確認すると目を見開く。
「あなた!お湯を沸かして頂戴!」
「えっ?」
「もしかしたら陣痛かもしれない。破水はしていないようだけど、破水してしまったら赤ん坊が危険だわ。フェルディ。赤ん坊の産着やタライを準備して頂戴。ドルフは、フェルディの手伝いをしてね」
「は、はい!」
3人はバタバタと準備を始め、アライダはラインの額に口付けると、
「頑張りなさい。赤ちゃんも一番生まれる時の痛みが苦しいのだというわ。母親も一番辛い時だけれど、幸せなこの後の時ですっかり忘れてしまうから……」
と囁いたのだった。