愛おしきもの
古ぼけて、崩壊寸前の家々の中、ただ一軒、森に埋もれかかった場所に家はあった。
木材の家が多かったが、この家は石積みの堅牢な二階、屋根裏部屋付きの家。
石積みの家はすぐに近くの森で集められる木材と違い、専門の職人が必要で値が張る。
しかし、どうしてもこの作りにしなければならない理由があった。
「ドルフ!お父さん。お帰りなさい!」
バーン!
木と金物で出来た重厚な扉が大胆に開かれた。
姿を見せたのは、男装だがどう見ても妊婦の女性である。
「これ!ライン!寒いのに、全開にしないで頂戴!もう、元気だけは有り余っているんだから」
火で建物を温めていたアライダは、元気すぎる嫁をたしなめる。
「あ、ごめんなさい。お母さん。お父さんがいるのは分かっていますが、ドルフが心配だったのです」
「おばあちゃん!お母さん!ただ今〜!」
ドルフは近づく。
手にはボロボロのシーツや毛布の切れ端。
「あっ、おばあちゃん。ドルフ手を洗ってくる!そして、チェーニャちゃんにただいまっていうの!」
「待ちなさい。ドルフ。もう水は冷たいから、この手ぬぐいを使いなさい」
夏の間は家の裏に小さい小川が流れており、そこで水遊びや手足を洗っていたが、もう、この時期になると水は温度を下げ、凍り始める。
前もって水を汲み、火を焚く囲炉裏に備え付け湿気を回す。
時々水を足しながら暖かい空気が上に上がるようにしているのである。
湯を分け、手ぬぐいを浸すと、絞り、孫の手や顔を拭き始める。
「全く、ドルフは誰に似たんだろうね……ほらほら、ここに引っかき傷」
「いたっ!」
「後で、お薬をつけようね。ほーら、おばあちゃんの可愛い坊やが綺麗になったよ」
アライダは傷薬を出すと、ドルフの傷に塗り込んだ。
「おばあちゃんありがとう」
「さぁ、ドルフの大好きなチェーニャちゃんのところに行きなさい」
「うんっ!」
祖母から離れると、母親に近づき、そして、
「チェーニャちゃんただいま。ドルフだよ。帰ってきたよ〜」
母親のお腹に耳を当て、その中の胎児に声をかける。
「ところで、ドルフ、チェーニャちゃんっていつ名前つけたの?」
埃を払い落とし、母から手ぬぐいをもらい顔と手足を拭いたフェルディは問いかける。
「チェーニャちゃんは、ドルフがチェーニャちゃんにつけたの!お父さん呼んじゃダメ!チェーニャちゃんはドルフの!」
「まだ生まれてないのに、自分のモノ宣言……ませてる」
「お前が言うか?」
ラインは呆れる。
ちなみに、ラインとフェルディの場合、フェルディの大好き攻勢が年々激化し、逃げようとしたものの捕まってそのままここにきてしまったのが現実だったりする。
しかし、ラインは実母は物心ついた時には亡く、父は忙しい人で5歳上の姉や、父の甥である従兄とその両親に可愛がられたが、今は皆、行方不明に生死不明……。
夫であるフェルディとその両親、従兄に託されたドルフにお腹の赤ん坊が心の拠り所である。
「ところで、ドルフ?チェーニャちゃんは、どんなお名前なんだ?」
「ヴィルナ・チェニアちゃん!チェーニャちゃんが言ったよ」
「ヴィルナ・チェニア?」
「うん!チェーニャちゃん、早く会いたいなぁ。僕のお嫁ちゃんなの!」
ドルフの小さな手は母のお腹を撫でる。
「ちょっと待って!俺のモノ宣言にお嫁さん宣言!ドルフ、赤ちゃんは生まれてないし、男の子か女の子か分からないから……」
「女の子だもん!僕のお嫁ちゃんなの!お父さんにもあげない!」
「こらー!赤ん坊は生まれてないし、それにドルフにあげるって言ってないでしょう?そう簡単にあげられません!」
「やだもん!チェーニャちゃんは僕のだもん!」
母親のお腹に腕を回し、自分のモノを主張するドルフに、眉間にできたシワを伸ばすフェルディ。
「えっと、ライン……父さん、母さん。どうしようかな?」
「いいんじゃないか?ドルフはこの子と仲良くできるな?」
「うんっ!チェーニャちゃん大好きだもん!」
「それならいいぞ。男の子はお姫様を大事にするものだからな」
ラインはケラケラと豪快に笑い飛ばす。
「そ、そんな……、じゃぁ、父さん、母さんも何か言って……」
「ドルフにお兄ちゃんとしての自覚が生まれていいことだ」
「そうねぇ。ドルフは子供一人だったから、自分より年下ができて嬉しいんでしょうね」
「二人とも!ちょっと違うぅぅ!」
フェルディは必死に訴えるが、ドルフはしがみついたままで、両親も妻もニコニコと笑っている。
「……あぁぁ……私、ここの息子なのに、嫁さんや息子より下ってどうよ……酷すぎる……」
と言う、立場の低いフェルディは嘆くのだった。