Chapter1-3 宇宙船への侵入者
いつの間にか柔らかな光がトレヴァースを包んでいた。目を開くとそこには一つのよどみも影も確認できず、彼の視界一面が白い輝きで満ちていた。
トレヴァースは眩しさを覚え、思わず腕を顔の前に掲げて光を遮る。手のひらに触れた光が彼に心地よい温もりを伝えた。その暖かさはトレヴァースを再び深いまどろみの中へと誘いかけたが、彼自身はそれを嫌い、頭を振って意識の覚醒に努めた。
そういった努力の甲斐あってか徐々に光にも目が慣れて、辺りの様子がわかるようになってきた。
視界一面の白色に滲み入るように景色が浮かんでいく。それと同時にトレヴァースは自身の肌を撫でる風を感じた。
「私たち、こんなに遠くまで来たのね……」
誰かの声がして、トレヴァースは声のする方を振り向いた。
彼が顔を向けた先にいたのは、彼よりもいくらか背の低い小柄な人影であった。すぐ隣の、すぐ近く。少し手を伸ばせば触れられそうなほどの距離に声の主は立っているにも関わらず、その姿や顔をよくぼやけて見えない。
「……ねえ。ちゃんと私の話、聞いてる?」
トレヴァースが戸惑っていると、人影は彼をのぞき込むようにして問いかけた。
女性の声のように聞こえる。こちらの様子をうかがうような彼女の感情がその声音から伝わってきた。
トレヴァースはその問いにもうまく答えることができなかった。彼は今なお自分の置かれている状況の整理がついていない状態であり、その頭の内は違和感であふれていた。
つい今しがたまで、ワームホールの中を荒れ狂う稲妻に翻弄されながら宇宙船を走らせていたはずだ。しかし実際はどうか。人影の背後に視線をやれば、そこにはどこまでも続いていく草原が見えた。また別の方を振り返ればその先は崖になっていて、その向こうには波の尽きることのない遥かな海原が広がっているではないか。
「――なあ、君。ここはいったいどこなんだ」
トレヴァースは己の中で肥大化する不安を押しとどめて人影に尋ねる。
辺りの景色は彼の視界に鮮明に映し出されているのにも関わらず、人影だけは描画データが抜け落ちたような単色に塗りつぶされ、不気味に浮かんでいた。人影はこちらをしばらく見つめた後、何も聞こえなかったかのように海の方へと体を直すだけであった。
「なあ、ちょっと――」
「まっ…しょうがないか。…あなたは毎日遅くまで頑張ってたものね」
トレヴァースが口を開くのと同時に、女性の人影のシルエットが伸びをするようにゆるやかにその輪郭を動かし、それから欠伸をするような声を漏らした。
「――えぇ? ちょっと、やめてよ。冗談でしょう? ――うん。わかってるってば、もう」
人影はトレヴァースの方に顔を向けながら相変わらず彼に声をかけ続けていた。楽し気な笑い声交じりの会話に、トレヴァースは何かひっかかるような感覚を覚えた。相手はその様子から確かにこちらを見て、認識しているように思える。しかしどうも会話がかみ合わない。
眉をひそめてトレヴァースは相手の姿を観察した。そうしてしばらくそれを続けると、すぐに違和感の正体がわかった。
女性らしきその人影は、こちらを見ながら別の誰かと会話をしているのだ。
相手がおかしい、というよりも、トレヴァース自身が女性の会話相手の視界に入りこんでいるかのようであった。
「これはいったい…」
トレヴァースが呟く。彼は相手よりも自分の身に何か異常が起きているのではと疑った。目の前の人影にその声は届いていないようだった。
状況に対する理解が進むにつれ、段々と周囲に目を向ける余裕が戻ってくる。彼はゆっくりと左右に顔を振って辺りを見回し、ここはどこだろうかと考えた。
しばらく周囲を観察した彼は、見覚えのない景色だ、と思った。少なくとも彼にとってはこの場所は地球上のどこでもないように見える。
だがその一方で光の暖かさ、肌を撫で髪を揺らす風、耳に届く波の音。トレヴァースの感覚器に届く情報はどれも偽りのない、現実を伴ったもののようだった。
意識を失っている間にロケットからこの場所へ運ばれたのだろうか?トレヴァースは自分の身に起きている出来事について思いつく限りの視点から考察する。しかしどの考えもすぐに辻褄の合わぬ壁に行き当たり、思索の糸は途中で途切れてしまった。
結局腑に落ちるような答えは出ず、彼は状況把握を今しばらく置いておくことにした。少し離れた場所へ目をやれば、隣にいる女性らしき影と同じような人影がぽつぽつと立っているのがわかった。
背の高いもの、低いもの。活発に動くものとただ佇むだけのもの。シルエットは様々であったが、そのどれもが同じように海を眺めていた。
彼らは何を見ているのだろうか、とトレヴァースは再び海の方へ顔を向ける。すると先ほどまで高いところにあった光源が徐々に水平線に向けてその高度を下げていっているのがわかった。光源の正体は恐らく強い光を放つ恒星、地球に対する太陽であろうと思われた。
「綺麗…」
トレヴァースの隣にいた女性の人影が静かに呟いた。
「――ああ。僕も空を眺めるのは嫌いじゃない」
自分の声が届くわけではないとわかっていたが、トレヴァースは相手の言葉に答えるように言った。辺りは燃えるような赤色に染まりつつあった。
何のことは無い気まぐれである。ただ同じ景色に同じ感想を抱いた者として親しみを覚えたのかもしれなかった。
直後、トレヴァースはゆっくり目を閉じ、そのまま自らの意識を断った。
匂いや触感の名残は僅かな余韻を残したが、それもすぐに消えて無くなった。
再び意識を取り戻すと、トレヴァースは薄暗い闇の中にいた。
目だけを使って辺りを窺う。頬には冷たい感触。視界に映る世界は九十度横に傾いている。
トレヴァースは自ら再起動を行ったことを思い出した。彼は自分が操縦室の床に倒れ伏していることを理解すると、ゆっくりと立ち上がった。
先ほどまでの鮮やかな景色は周囲のどこにもなく、結局内蔵されたデータやストレージを調べてみても関連のありそうなものは見つからなかった。結局トレヴァースは今自分の抱いている感覚について簡単なメモを残し、保管しておくにとどめた。
ロケット内部の灯りは全て消えていた。
「チェック」
トレヴァースは一言そう言って、自分を中心に船内のあちこちに向けて光を走査させる。光は触れた部分の状態を検知し、次々とトレヴァースに船内の状況を送り届けていった。
船の損傷は激しかった。ロケットはもはや一つの宇宙船というよりも、元の残骸の単なる寄せ集めというような有様である。トレヴァースを乗せたこの船は、現状はもはやただ慣性に従って宇宙空間を流れているだけと言ってもよかった。
トレヴァースは船内のいくつかの機構を復活させると、モニターに船外カメラの様子を流した。
そこに映し出されたのは真っ黒なビロードの世界。そしてその中には何十億もの小さな光点が瞬いていた。
計器はどれも振り切れてしまっている。しかし船はあの地獄のようなワームホールを抜けて、どうやらどこか別の地点へと辿り着いたらしい。
トレヴァースが安堵したようにその表情を和らげた時、船の上部で何かがぶつかるような反応があった。
それと同時に、船体の一部で軋むような音がする。
トレヴァースはすぐさま調査用の光を再び放つ。
少し間を置いて届いたデータに彼は思わず眉を顰めた。
正体不明の人型の存在が船体に取り付き、内部への侵入を試みていたのである。
次回更新は2月9日午前2時ごろの予定です。
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/脳内企画@demiplannner




