Chapter1-2 旅の始まり
ロケットは低いうなり声をあげ、徐々にその身の振動を大きくしていった。
トレヴァースは揺られながら操縦席前面のスクリーンを通して、船外の景色を眺めた。今現在ロケットは発射シークエンスのほとんどを完了させ、船全体にあふれんばかりのエネルギーを溜めているところである。それらの解放まで後はトレヴァースの合図一つを待つばかりであった。
急かすようなロケットの振動音に包まれながら、トレヴァースは空へと向けたその視線の先に、地球を孕む恒星の世界のさらに遥か彼方を進んでいく強かな人類を乗せた宇宙船を思い描いた。
きっと人間という種はまだ生きている。
ならばたとえどれほど遠い場所であろうと見つけてみせよう。
そして彼らに、地球はもう大丈夫だと伝えるのだ。
トレヴァースはそう決意を改めた。不安で押し潰されそうだった彼の心が、今は何故だか少し晴れやかであった。
はたして本当に人類の生き残りが存在するのかどうかはわからない。トレヴァースが見つけた文献からはあいまいな記述と不完全な航路しか見出すことができなかった。さらに付け加えるならば、それは百年前にコスモリアンたちでさえ彼らの生還を否定したような出来事なのだ。
非合理的な希望だということはトレヴァースもどこかでわかっていた。しかしそれでも彼は己の内から湧き上がる衝動を感じずにはいられなかった。たった一つの不確定なものを信じるということ、ただそれだけで彼にとっては先で待ち受けるであろう困難や不安などとても小さなもののように感じられた。
トレヴァースは勢いにまかせて手元のレバーを引く。操縦席の振動はより強くなっていった。するとロケットを地球に繋いでいた数々の機構が音を立てて切り離されていき、近くにあったタラップが崩れてどこかへと吹き飛ぶ。衝撃はすぐそばにあったドーム状の建物にまで伝わり、これを勢いよく崩壊させた。辺りにあったコスモリアン達が残した遺物や瓦礫も次々と弾き飛ばされ、辺りには轟音が様々な音色となってまき散らされた。それは旅立ちを祝う祝砲であり万雷の拍手のようでもあった。ロケットと大地と山脈とがそれに呼応するように震えていた。
発進したロケットは空に向かってみるみるうちに高度をあげながら、山脈を雲をあらゆるものを抜き去っていく。
発射施設から少し離れた雨後の大地に溜まる水たまりが、空より差し込む陽光とともに誇らしげに上昇を続けるロケットの姿を浮かべていた。
ロケットに乗って地球から宇宙へと飛び出したトレヴァースの視界に、漆黒と深い緑の混ざり合う色をたたえた巨大な「穴」が映った。かつてコスモリアン達が地球へやってくるために抜けてきたというワームホール。トレヴァースもそれに近づくのは初めてであった。ましてやその中へと進むなど考えたこともない。
宇宙にぽっかりと空いたその穴に向けてトレヴァースを乗せたロケットはまっすぐ一直線に進んだ。
やがて機体の先端が穴の入り口を通過する。
しかしそこには何の抵抗も衝撃も無かった。そしてすぐに、あっけないほど簡単に全身がワームホールの中へと収まった。
前方に取り付けられたスクリーンから見える視界は暗く、進んでいる方向の先に何が映っているのかもよくわからない。トレヴァースは近くの装置を操り、いくつかのモニターを起動させた。
光を灯したモニターに、船体に取り付けられたカメラが映す景色が表示される。それらは船外の様子を把握するためのもので、機体の左右に加えて背後や下部といったあらゆる方向の景色を見ることができた。
トレヴァースはカメラの表示を次々と切り替えモニターに映す景色を調べていく。
そんな中で、ある一つのモニターにすっかり小さくなった青い惑星が見えた。
トレヴァースは思わず画面に食い入った。ロケットがこれまで通って来た道を映すカメラには、こちらを見送るように地球が映り込んでいる。
トレヴァースにとってこうして地球の姿を外から見たのも初めてであった。彼は内蔵されたカメラを使いその景色を保存しておくことにした。
暗闇に浮かぶ地球はトレヴァースからゆっくりと遠ざかり、その姿は徐々に小さくなっていった。その様子を最後まで見届けることにしたトレヴァースは操舵の手を止め、静かにモニターを見つめている。
やがて地球の姿はモニターにかろうじて映る小さな点となり消えた。
トレヴァースが情景の余韻に浸っていたその瞬間、ロケット全体に大きな衝撃が走る。それはまさに地球がロケットの視界から消えたのと同時であった。
「なんだ!?」
思わずトレヴァースは声をあげる。
辺りの計器は次々と異常を示すアラートを鳴り響かせていた。
トレヴァースが急いで進行方向を映したスクリーンに目を向けると、先ほどまで何も見えなかった暗闇の中に何やら小さな光点がぽつぽつと浮かび始めているのがわかった。見ている間にもそれは数を増やし、また輝きも強くなっていく。
船外がちかちかと輝き出し、それと同時に強い衝撃がロケット内部に伝わる。激しい揺れがトレヴァースを襲い、彼は思わず体勢を崩して転んでしまう。
痛みは感じなかった。しかし彼はここで自身に起きる異常に気が付いた。
視界にノイズが走り、ひどく荒れ始めていたのだ。
「う…くっ…、いったい、なにが……?」
トレヴァースは周囲の様子がわからなくなる。視界だけでなく、耳もよく聞こえなくなっていった。
今自分が向いているのは上か、それとも下か。立っているのか、それとも倒れ伏してしまっているのか。五感に不調をきたした彼からは上下の感覚も失われていった。
その時、ワームホールの中で大きな稲妻が音を立てて駆け巡った。放たれた閃光はロケットの窓から内部に飛び込み、トレヴァースを包む。
彼の意識はそこで途絶えてしまった。
次回更新は2月8日午前2時ごろの予定です。
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/脳内企画@demiplannner