Chapter1-11 もう一人のウィータン人
「エイジャックス、止まるんだ」
先頭を進んでいたトレヴァースはそう言って、後ろについていたエイジャックスを制止するように左腕を横に広げた。エイジャックスはそれに気づくと足を止めて、何かを探るように辺りを見回した。
二人は現在、調査船パイソンを着陸させた滑走路からやや離れた場所にいた。いつしか基地の敷地範囲を越えていたのか、辺りに建造物は無く手つかずの自然物が彼らを取り囲んでいる。とはいえ一方で基地にほど近い領域ということもあるのだろうか、足下に視線を落とすと、簡易的に舗装された道が敷設されているのが見て取れ、一定以上の人数が往来する道であるとも窺える。また、道に残る轍からは何らかの運搬作業がこの道を介して行われているということを示していた。
つい最近まで使われていた痕跡のある道だというのに、ここに至るまで誰ともすれ違うどころか、遠目に人影を確認できるようなこともなかった。トレヴァースとエイジャックスはこの時すでに何らかの異常が基地に起きていることを前提に辺りの観察を進めていた。
「この先には、何が?」
トレヴァースは道の続く先を眺めながら、訝しむような声で隣に立っていたエイジャックスに尋ねた。
「向こうは基地の拡張予定地として開拓を進めていた場所のはずだ。 ……何か見つけたのか?」
「前方からかなりの毒性を持った空気が流れてきている。ヘルメットを着けた方がいい」
「おい! そういうのはもっと早く言ってくれよなっ!?」
トレヴァースの言葉にエイジャックスは慌てて後ずさる。彼は着陸からずっと身に着けたままだった惑星外活動用のスーツに手をやると、急いでヘルメットを装着し直した。
「なん……だ、これ!?」
エイジャックスはヘルメットの内側に表示される、辺りの空気から検知したその成分を見ると、目を見開いて顔をしかめた。それから信じられないといった様子で首を振った。
「いったいどうなってる……。 一呼吸すればそれだけで即死するほどだぞ。え?」
「やっぱり君から見ても異常だったのか。君たちウィータン人が僕の想像を超えるほどの耐毒性を持っている、ということではなさそうだね」
「もしそうなら俺達が地下へ潜る必要も無かっただろうさ。 ……ああ、くそっ。発掘でもしていて何かヤバいものを見つけたんだな。誰もいないのはつまり、この毒素から避難していたというわけだったのか……!」
エイジャックスは道が続いていく前方を眺めて悪態をつく。その様子を見たトレヴァースは眉を顰めた。
「しかし君、この開拓地は基地の真横と言ってもいいほど近い場所だよ。一体どんな調査をしていたんだい?」
トレヴァースがそう言うと、エイジャックスは両腕を広げ、何も見当もつかないといったことを示すようなジェスチャーをとった。
「俺にもわからん。 ……しかし、これまで問題らしい問題も無かったはずだがね」
エイジャックスは言った。それから少し間を置いて、彼はトレヴァースの方を振り返った。
「――待て。誰も基地にいなかったのが、この毒性から避難するためというのはわかった。だとすればこの先にまだ誰かがいるというのは、それはいったいどういうことだ?」
エイジャックスが道の先を指さして言う。トレヴァースは肩をすくめてそれに応えた。
「確かに妙だとは僕も思う。とはいえ、依然として反応は残ったままだ。それに……」
「それに?」
「反応は熱源と――ああ、言うまでも無くこの熱源はおそらく毒素を放つものの正体だ。反応はこの熱源とほとんど重なるように位置している。それも、生きた状態で」
「生きた状態で……。 まさか、毒素の被害者か?」
エイジャックスが尋ねると、トレヴァースは少し考えてからすぐに首を横に振った。
「いや、そういうわけではないと思う。これは熱源の周囲をうろうろと動き回っているから……もし逃げ遅れた被害者なら、ここまで動いたりしないはずだよ」
トレヴァースはそう言って再び道の先へと視線を戻した。
「とにかくこれ以上のことが知りたければこの道を進むほかないね」
トレヴァースがそう言うと、エイジャックスも同意するように頷いた。それから二人はゆっくりとした慎重な歩みで熱源と生命反応を検知した地点に向かっていった。
「エイジャックス、あそこを見ろ」
トレヴァースが前方を指さして言った。隣にいたエイジャックスがトレヴァースの示した方向に顔を向ける。
二人の視線の先では全身を分厚い装備で包んだ人影が何やらもぞもぞと動いていた。エイジャックスの着込んでいる惑星外活動用のスーツと何処となく似た雰囲気から、それが悪環境下での生存を図る防護服だということがわかる。スーツの尻の部分から伸びる尻尾から、人影の正体がウィータン人であることだけが辛うじて見て取れた。
「あいつは…」
隣にいたエイジャックスが呟いた。
「誰だかわかるのかい」
「ああ。スーツの管理番号を調べれば、中に誰が入っているかはすぐにわかる」
トレヴァースが振り返って尋ねると、エイジャックスはゆっくりと頷き質問に応えた。
それから二人はスーツを着たウィータン人がいる場所へと近づいていく。
「クロラ!」
ある程度近づいたところまで行ってから、エイジャックスは腕を振りながら声を張ってそう言った。トレヴァースはエイジャックスが今言った言葉が何か挨拶の類ではないことから特定の名詞に当たるものだと判断し、状況からそれが目の前にいるエイジャックスとは別のウィータン人の名前を示す言葉だと考えた。
クロラ、とトレヴァースは練習するように呟いた。
エイジャックスの大声にも関わらず、クロラと呼ばれたウィータン人は二人の方を振り返ろうとはしなかった。全くこちらを気にしない様子に、やがてエイジャックスは振り疲れた腕をゆっくりと下におろした。
ヘルメットの中でエイジャックスが困ったような溜息をつくのがトレヴァースにはわかった。
すると少し間を置いてからエイジャックスが再び呼びかける。熱源の傍で手を動かしていたスーツのウィータン人、クロラはここでようやくゆっくりと上体を捻り、エイジャックスの方を見た。
振り向くのを確認したエイジャックスは再び右手をあげ、ひらひらとそれを振る。
クロラの表情はヘルメットに隠れてよく見えなかったが、しばらくエイジャックスの方を見つめていたかと思えば、それ以上の反応は何も返さずに再び背中を向けてしまった。
「おい! 無視するなよ!?」
エイジャックスが言うが、呼びかけもむなしくクロラはもう振り返ることは無かった。
――ちっ
――バカが……。
トレヴァースの耳は彼が意識を向けた方向であれば他の誰の耳にも残らないようなどんな些細な音であろうと拾うことができた。クロラのヘルメットの中から聞こえたのはあからさまな舌打ちと、ひどく苛立つような声音であった。
次回更新は2月19日午前2時ごろの予定です。
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/脳内企画@demiplannner




