Chapter1-6 ワームホールの出口
トレヴァースとエイジャックスはお互いの名前がわかるとそれを足掛かりに様々な言葉をお互いの言語で紐づけていった。
彼らはまず名前を基にお互いの関係性を示す基本的な言葉、つまり「私」や「あなた」といった人称代名詞を明らかにし、次に指さすようなジェスチャーを交えながら「あれ」や「これ」、「誰」や「何」といったその他の指示代名詞、疑問代名詞を共有するに至った。
これにより呼び名や正体のわからぬものについても意思表示や質問ができるようになると、それぞれの言語に対する理解はさらに加速して言った。
腕や脚、頭といった自身の体にまつわるものの名称や宇宙、宇宙船、恒星、惑星といった自分たちの周囲を構成するものについてのやりとりを交わす。初めは間違いや勘違いが重なったものの、やり取りを進めるごとに解釈の確度は上がっていった。
彼らに解釈上の混乱を招いたものとして一つあげるなら、それは故郷としての星についてであろう。かかる主語によりその意味合いが変わってしまう言葉であったため、お互いの言語に対する紐づけでややすれ違いが起きてしまったのである。ただその解釈のずれは彼らのルーツとして別々の母星が存在することの証明でもあった。
やりとりの中でトレヴァースは、エイジャックスが宇宙空間に一時的に滞在している状態であり、本来はとある惑星内で生活しているらしいということを知った。その母星ではエイジャックスと種を同じくする仲間が大勢いるらしく、惑星の名は彼らの言語で「ウィータン」と呼ばれているとのことだった。ただその様子を聞くにやはり地球とは違う惑星のようである。またウィータン人には雌雄の区別があり、エイジャックスはウィータン人の中でも比較的若い世代の成人男性に位置づけられることがわかった。
一方でエイジャックスとしてもトレヴァースの故郷である地球についてはまったく心当たりが無く、異星出身の知的生命体の存在にひどく驚いているようであった。聞けば、ウィータン人が異星人と接触したという確かな記録は現存せず、かつて接触したことがあるという断片的な言い伝えがわずかに残るばかりであり、その実在は長いこと彼らの中で証明されることがなかったという。
「言い伝え?」
トレヴァースは気になってエイジャックスに尋ねた。
「ンー…、俺達。地下…永遠……」
エイジャックスはたどたどしく地球の言葉で何かを伝えようとしているが、うまく言葉が出てこないのか何度も口をまごつかせていた。それからしばらくして何か心が折れたように肩を落とした。
「アー…俺、頭、覚える…良くない」
申し訳なさそうにエイジャックスが言う。それを聞いたトレヴァースは目の前の宇宙人が伝えたいことをすぐに理解した。エイジャックスは全く未知の言語を理解せんとこれまでなんとか食らいついていたが、流石に一度に覚えきることのできる量ではなくなってきていたのだ。この短時間で地球のSVO文型に則った簡単な単語でのやりとりができる時点で実は驚くべきことではあったが、流石に複雑な話題になるとそれを操り切れるものではなかったし、なにより適切な単語の把握ができていなかったのである。
それからは、トレヴァースがウィータン人の言葉に合わせて話すことにした。機械であるトレヴァースであれば些細なことも含めそれまでのやり取りの全てを記録しておくことができたし、一つの文から活用形を解析しそれをやり取りに出なかった別の単語や領域にまで応用させることのできる能力を有していたのだ。多少の間違いがあったとしてもそれらはすぐに修正され、既にこの時トレヴァースの頭脳にはウィータン人の使用する言語にまつわるデータベース、辞書のようなものができつつあった。今の彼であればウィータン人に対して一問一答のような会話ではなく、複雑な文脈のある議論すらも容易く行えるであろう。
先ほど気になって尋ね返してしまったウィータン人の言い伝えについて改めて質問をしようかとも思ったが、ひとまずトレヴァースはそれを置いておくことにした。というのも、他に確認しておきたいことがまだ多く残っていたからだ。
まず気になるのはこの広い宇宙におけるロケットの現在地についてである。地球のすぐそばにあるワームホールを抜けてたどり着いたこの場所ははたしてどこなのか。ウィータンという星の名前に心当たりは無い。しかしそれは彼らの言語での呼び方であり、別の名前で人類が認識しているという可能性も無いではなかった。
「エイジャックス、見てほしいものがあるんだ」
トレヴァースは流暢なウィータン人の言葉で言うと、右の手のひらを上に向けて、そこから広い円形のホログラムを出力した。ホログラムは部屋中に広がって二人を包む。突然の出来事にエイジャックスは呆気にとられた様子で辺りをきょろきょろと見回した。
「これは…星図か?」
エイジャックスが自分の母星の言葉で呟く。トレヴァースは彼の言ったことを肯定するように頷いた。
「そう。これは太陽系という僕が生まれた地球を内包する領域を中心に宇宙空間の星々の位置を示したチャートさ。ほら、僕の手のひらに近いところを見てくれ」
トレヴァースはそう言うと星図内の明度を操作して自分の手のひらに近い部分の明かりを強め、反対にそれ以外の場所をやや薄暗くした。エイジャックスは星図の強調された部分に顔を向ける。彼の視線の先には太陽を中心としておよそ海王星の周回範囲までを明るく映した同心円状の領域が映った。
「今君が見ている領域が太陽系と呼ばれている範囲で…ああ、真ん中で一番強く光を放っている恒星見えるだろう? それが太陽さ。僕の生まれた地球はそこからほど近い場所に浮かんでいるはずだ。太陽から数えて三番目に近い青い惑星なんだが、見えるかい」
トレヴァースが言った。
「ええと、ああ、見つけた。これが地球か…」
エイジャックスはしみじみとした様子で言った。その表情は暗いヴァイザーに隠れて見えないが、彼はホログラム上をゆっくりと移動する地球の姿に見入っているようであった。
それから一言、「綺麗だ」と言った。
「君の住む星とは、様子が違うかい?」
「まったく違うよ」
トレヴァースが尋ねると、エイジャックスは肩をすくめて答えた。
「俺達の星はもっと薄暗くて…何もないようなところなんだ。……それで、トレヴァース。俺にこの星図の何を見せたかったんだ?」
「ウィータンや、他にも君の知っている場所がこの星図の中にあるかを知りたいんだ。何か特徴を言ってくれたら、それを基にこのチャートを絞り込むことができる。そうすればこのロケットが漂流している場所が地球からどれだけ離れているかがわかりそうだろう?」
「なるほどね。わかった。ちょっと見てみよう」
エイジャックスはそう言うと星図の中を歩き回った。トレヴァースは彼の注文通りにホログラムの拡大率を変化させたり、あるいは一部にマスクをかけるなどして必要な情報を絞り込んでいった。
結果から言えば、太陽系の中にウィータンという惑星やそれに類する場所は見られなかった。さらに太陽系外まで検索の範囲を広げてもそれは同じであった。エイジャックスにしても彼の見覚えのある景色はどこにもなく、ワームホールの先は人類の認識の遥か外、さらにいえばアンドロメダ銀河さえも超越した場所に繋がっていたと考えるのが良さそうであった。
その時、トレヴァースがホログラムを終了させるのとタイミングを同じくして、船内の照明が全て落ちた。わずかに響く低い唸り声のような余韻は宇宙船の機能のことごとくがダウンしてしまったことを示していた。トレヴァースはスキャン用の光線を走らせ、すぐに状況を把握する。
完全に機能を停止させたロケットに復旧の見込みはなかった。
「あ…、ついに壊れたのか?」
「え?」
航行不可能となってしまった宇宙船をどうするかトレヴァースが考えていると、エイジャックスが尋ねた。
「気を悪くしないでほしいんだが、この船を外から見た時、あまりにぼろぼろだったんで宇宙廃棄物かと思ったくらいなんだ。近づいてみても、仲間の誰かが乗り捨てた宇宙船としか思えなかった」
「そんなにひどかったのかい?」
「自分で見てみるといいよ。一度こっちの船に来ないか? 俺も穴を開けてしまったわけだし、お詫び分のもてなしはさせてもらいたい」
エイジャックスは操縦席の窓を指さして言う。その先には、ゆったりと宇宙空間を漂う小型船の姿があった。
次回更新は2月14日午前2時ごろの予定です。
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/脳内企画@demiplannner




