第二幕 虐げられる者
「……おい、化け物。」
すぐ後ろで感じた悪意に、ヨロンは思わず振り向いた。
赤毛の少年の背中が見えた。糊の効いた純白のシャツから、育ちの良さが感じ取れる。
「なあ、なんか言えよ」
赤毛の少年の声は右後ろの席に座った生徒に向けられていた。さっきの罵倒の対象が自分でないことに安堵し、同時に好奇心が生まれた。
一体何のことだろう。
ヨロンは黙って成り行きを見守ることにした。
「お前、イエラスタの出身だってな。」
少し体勢を変えると、問い詰められている少年が見えた。黒く、長い前髪に隠れてその表情は読み取れない。高い背丈に華奢な体、更には色白な肌から、どこか不健康そうに感じる。ついさっき初めてのホームルームがあり、その中で簡単な自己紹介をした。そういえば色白の少年は何と話しただろう。声が小さく印象も薄かったため、はっきりとは覚えていない。
「知ってるぞ。」
自分の手柄を自慢するような口ぶりだった。
「その頬の呪印、新聞で見た事あんだよ。お前、家族を皆殺しにした怪物だろ?」
黒髪の少年がぴくりと反応した。しかし、顔は上げない。
「おい、なんか言えよ。」
少年は顔を強張らせたまま答えない。
喧嘩かと思ったが、どうやら弱い者いじめの類だったらしい。見ていて気持ちの良いものではない。
「……止めろよ。」
小さく震えている少年を不憫に思い、思わず言葉が口から漏れた。赤毛の少年が呆けた顔をこちらに向ける。それからいやらしい顔を作った。
「ああ、そういやアンタもこいつの仲間か、同じパーパゲスだもんな。」
パーパゲスで何が悪いのか。そう考えたが言葉には出さなかった。
歴史のうえでパーパゲスは軽んじられることが多かった。遥か昔のことではあるが、奴隷とされていたことすらある。元素の加護を受けていない下等な存在とみなされていたのだ。
ヤーリには火の加護、エラには風の加護、トーカには土の加護、ウーイには水の加護がある。これに対してパーパゲスは決まった加護を持たない変わり種だった。しかし変わり種には変わり種なりの強みがあり、一目置かれる者も確かにいた。
祖父もその一人だった。
祖父はその才能で希少な呪印を身に刻み、それを使って世界で三本の指に入るほどの呪印師となった。
呪印の刻印や調整は大変難しく、わざわざ国を越え、祖父の力を頼る者もいた。ヨロンにとってそんな祖父は自慢で、自分もパーパゲスであることが自慢だった。
大切なものを汚された気分だった。
「悪いかよ。」
怒りが交じった言葉を吐きだすと、赤毛の少年の眼が光った。少年の名は、確かロゼとかいったはずだ。由緒正しきヤーリの一族と自負していたのを覚えている。おそらくそれなりの呪印を持っており、それが自信につながっているのだろう。
だが、ここは引いてはいけない。
――男には引いちゃいけねえ時がある――
祖父の言葉が頭を過った。
ヨロンは席を立ち、ゆっくりとした動作で構えた。ロゼはそれに応えるように左手を前に突き出した。クラスメイトは期待と不安で二人の様子をうかがった。
にらみ合いに痺れを切らし、ロゼが左手を動かそうとした時、不意に鐘の音が鳴った。澄んだ音が校内に響き、それと同時に教室のドアが開いた。静まり返った教室の中を乾いた靴音が歩いて来る。やがて靴音は止まり、教壇に何かを置く音がした。
「座りなさい。」
年配の女性の声だった。おそらくは教員だろう。
しかし、二人はにらみ合ったまま微動だにしなかった。例え教員の前とはいえ、やれる自信がヨロンにはあった。
「早く!」
二度目の注意には怒気が交じっていた。
それでもしばらくは逆らおうとしたが、せっかく入学した日に退学になっては祖父に合わせる顔がない。
仕方ない。
ヨロンはくやしさを噛み殺しながら、視線をロゼから外した。心を落ち着けるために深呼吸し、何事も無かったかのように席に着く。
気持ちの悪い目しやがって。
ロゼは小さな声で捨て台詞を掃いてから、余裕を持った足取りで席へ戻っていった。二人が席についたのを確認して、教壇に立つ淑女は頷いた。
それからしばらく、淑女は熱心にこの学校の偉大さや歴史について語った。
淑女の揺れるとんがり帽子をじっと見つめながら、ヨロンはまだ怒りを打ち消せずにいた。しかし、その矛先はロゼにではなく、何も言い返さなかった色白の少年に向かっていることに気が付いた。