第一幕 始まり
気持ちの良い風が吹いた。
少年は目を閉じ、体を目一杯反りながら深く息を吸い込んだ。
やはり高いところは良い。
吐き出すと同時に笑みがこぼれた。
緑の海。辺り一面を覆う木々の中で飛びぬけて高い木のてっぺんに少年はいた。
昔から高いところが好きだった。背丈が低く、歳相応とはとても言えない少年をからかう者も多かった。背が低いから高いところに上りたがるのだと。ねじれにねじれた癖毛を鳥の巣と形容されたことさえあった。馬鹿にされて全く腹が立たなかった訳ではない。しかし、高いところに上りさえすれば全て忘れられた。本当に高いところが好きだったのだ。
遺伝ってやつかな。
祖父も高いところが好きだった。どちらが高いところまで行けるか幾度となく競ったが、一度も祖父には勝てた試しはない。一度は勝ってみたかったが、もうそれは敵わない。
鼻の奥がつんとして、それを我慢するように膝の辺りを強く握った。
湿った眼球を故郷があるはずの方角に向けてみても、瞳に映るのは緑色だけだった。三日三晩掛けての移動でもう引き返せないところまで来ていた。
戻りたい。心細さからそう感じた自分の心を少年は恥じた。
何考えてんだよ。じいちゃんに笑われるぞ。
少年は再び目を閉じ、頼りなく脈打つ胸に手を当てた。濡れた目元を拭い、決意新たに進むべき方向に目を向ける。
森の先に連なる山々が見える。あと三つほど山を越えれば目的の場所だ。
誰に見せるでもなく、少年は頷いた。
その時一際強い風が吹いて、少年の姿は幻のように消え失せていた。