第一章 恋のアンサンブル?5
電話の相手は最上だった。
ディスプレイに表示された名前を見て、天璃はまずいと呟いたのは言うまでもない。あれから優に一週間は過ぎてしまっている。打ち合わせ云々という話どころか、何一つ手つかずのままで放置をされていた。
最初に動画が目に飛び込んできて驚く。
最上はテレビ電話をかけてきたのだ。
「あなたには、この苦しみが分からないでしょ」
開口一番に最上の唸るような声に、天璃は反射的なのだろう。受話器を遠ざけハトが豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。
確かに、この前見た時よりも、唇は赤くはれてしまっている。
「そんなに私のことが、お嫌いですか?」
「はっ? 言っている意味が」
「私、言いましたよね。恋を始めましょうって。あなたを愛する人がこんなに苦しんでいるのに、よくも一週間も放っておけますよね。天璃さんから見れば、私なんてただのガキですものね。吐いて捨てるほどの女がいるから、私の出る幕はないって言いたいんでしょ。いいのよいいのよ。どうせ私なんて」
「あのごめんなさい。周りがうるさくて、良く聞こえないんですが」
「またそんな見え透いた嘘ついて。そうよね。男には美への憧れとか追及とか無縁な話ですものね。ましてや新人モデルが、唇を腫らそうがどうでも良いわけですよね」
「待って下さい、最上さん、今、場所を変えますから……、うるさいっ」
「うるさい? もういいです。もうこんりんざい。あなたなんか……」
嘘だろう。
電話口から漏れ聞こえてくる、鼻を啜る音に、天璃は頭を抱える。
それだけでもかなりきついのに、勝手な想像で話しを膨らませている森岡たちにだんだん腹が立ち、ついに天璃は怒鳴ってしまっていた。
「いえいえ違います。今言ったのはあなたにじゃなくって」
研究室を退室してきた天璃は、人目が付かないように観葉植物が置かれている廊下の隅まで行くと、口を手で隠すように話す。
「ごめんなさい。今、ドタバタしていて、決して忘れていたわけじゃないんですよ」
「出来ないなら、出来ないって言って下さい」
「出来ないとは、今の段階では言えません」
「どうしてですか?」
そう訊き返されて、天璃は何も言えなくなってしまう。
まさか、イヤーすっかり忘れていて、何も手を付けていなくってね。それに、何もしない内に断ったら専務に何を言われるか、分かったものではないし。大人の事情ってものを汲んでくださいよ。とは言えないだろと、頭を掻き毟る。
「分かりました。もう頼みません。私、モデルが出来なくなるくらいなら、いっそう……」
「待って。待って下さい。取り敢えず、今日、じゃなくって明後日会いましょ。明後日。夜の7時、渋谷で、どうですか?」
「明後日ですか?」
「そうです。明後日」
「……分かりました」
「良かった。じゃあその時に、具体的なものを話し合いましょう。はい。失礼します」
ようやく緊張から解放された天璃は、ぐったりと壁にもたれ掛る。
「乳井室、そんなところで何やってんだ」
下から怒鳴られ、天璃はゲッと下を覗きこむ。
そこには、なかなかやって来ない天璃を直々に呼びに来た、小林工場長顔を真っ赤にして立っていた。