第一章 恋のアンサンブル?4
「天璃、第二工場に行ってくれ。原料の状態が悪いらしく、立ちあって欲しいそうだ」
席に着くなり、徳田に言われ腰を浮かす天璃に、小鹿が呼び止める。
「天璃先輩、その前に1番、専務から電話が入っています」
一旦浮かした腰を戻し電話に出ると、下塚とは違う女性の声に天璃は眉を寄せる。
「なかなか忙しいようですね」
「社長?」
「あとでいいから、乳井室君社長室へ来て下さらない」
「はい。今、一件急ぎの仕事が入っていますので、それが済み次第伺わせていただきます」
電話を切った天璃を、研究室の一同は一斉に視線を送る。
ここメディカルパワーの社長は女性で、少しややこしい性格をしている。強いて言えば、鈴木女史を二倍にさせた威圧感を持ち、かつ、60歳過ぎの貫録をエッセンスにしたような人と、考えてくれればいい。
「社長、何だって?」
徳田に質問され、天璃は首を傾げる。
「あれじゃないですか。またどっかの取引先で見合い話を引き受けて来ちゃって」
小鹿が得意満面で言う言葉を、森岡が受け継ぐ。
「そう言えば、テンちゃん、何回そういう話を断った? 一応、俺も独身なのに、なんでテンちゃんばっかそういう話が来るわけ」
「そうですよね。それは不公平ですよね。天璃先輩も、ここはガツンと言ってやった方が良いですよ。僕にはちゃんとした婚約者がいますって」
「そうだそうだ。俺にだってチャンス、与えろっ」
「森岡は煩い。鏡を見なさい。鏡を」
戻って来たばかりの鈴木女史に突っ込まれ、森岡はシュンと縮こまる。
「婚約? それ何の話だ?」
「室長、聞いてくださいよ。天璃先輩ったら私たちに内緒で」
「何その話。私知らない。テンちゃん白状しなさい」
「白状って、オレ、婚約なんて」
「ええだってー廊下で」
「わっ、わわわ」
最上との一件を漏らされてしまうと思った天璃は、慌てて小鹿の口を押える。
「テンちゃん、なんかあやしい」
「そういう相手がいるなら、きちんと話さないといかんぞ」
「室長、だから」
「チッ。テンちゃんだけは裏切らないと思っていたのに。この裏切り者」
それに答えたのは小鹿だったが、その横で森岡がうんうんと大きく頷いて見せ、不公平だーとぼやきを一つ付け加えた。
「まぁ仕方ないな。きみと天璃じゃ差がありすぎる」
「けっ、室長まで。いいですよいいですよ。結婚が、何ぼのものじゃ。仕事仕事。小鹿、さっさとSK製薬さんの化粧水の保湿力データ―まとめやがれ」
「へーい合点だ」
「しかし室長、お相手どんな人だと思います?」
鈴木女史の質問に、徳田がフムと天璃を見る。
にぎにぎしくしている中、天璃の胸ポケットで携帯が鳴り始める。
「ああまた間違えた」
「お前、本当に学習しないな。もういいから奈良へ帰っちゃって下さい」
「どうして私が、奈良へ行かなきゃならないんですか」
「バンビーちゃん、それ聞いちゃいます?」
「鈴木君、此間の資料なんだが」
「あれは少し待って貰っていいですか。常務が使いたいって持って行ったままなんです」
「江本常務が?」
「うるさいっ」
滅多にないことに、一同は一瞬にして口を噤む。がやがやとする部屋を一喝するように、天璃の声が怒鳴ったのだ。
「電話が聞こえないじゃないか。室長オレ、第二工場へ行ってきます」
そう言い残し、天璃は出て行ってしまうと、一同は顔を見合わせてしまう。
「テンちゃんが怒った」
鈴木女史が呟くと、小鹿がうっとりした顔で、ああいう顔をするんですねと言う。
「テンちゃんてさ、さり気に格好良かったりするんだよな」
うんうんと嬉しそうに小鹿が頷きながら、そっと鈴木女史の様子を伺う。
「で、天璃は誰と付き合っているんだ?」
徳田の質問に、小鹿と森岡は一斉に、鈴木女史を指さす。
「私? 違うわよ」
「ええー違うんですか?」
「違うわよ。何でそういう話になる訳?」
「だって廊下で言い争っていたじゃないですか。弁解はいらないとか何とか」
「あれはただ、一般論を論じていただけです」
「そういう風には見えなかったけど」
「森岡さん、いい加減にしてください。もうデマばっか言って。怒られちゃったじゃないですか」
顔を赤らめた小鹿に言われ、森岡は口ごもらせる。
「いいから仕事をしろ。森岡も下らんことで人をひっかきまわしていないで、SK製薬さんの発注、明日までだろ急げ」
後ろ手で研究室のドアを閉めた天璃は、深いため息を吐いてしまっていた。