第一章 恋のアンサンブル? 3
げんなりとした表情で食堂から戻りかける天璃は、備品庫から出て来た高瀬と出くわし、失礼と頭を下げる。
「あの乳井室さん」
立ち去りかけた天璃は呼び止められ、振り返る。
「最近、元気がないようですけど、どうかされたんですか?」
「そうかな? いつもと変わらないと思うけど」
「そんなことないですよ。顔色も悪いみたいですし、鏡、見てみます?」
そう言って、高瀬は事務服のポケットから手鏡を出し、天璃の顔を映す。
「ね、ご自分では気が付いてないだけで、相当疲れた顔をしているでしょ?」
ふっくらとした顔に笑窪を作って話す高瀬を見て、天璃は目のやり場に困りながら、顎を摩る。
「最近、忙しかったからな」
苦笑しながら答える天璃を見て、高瀬は眩しいほどの笑みを溢す。
19歳の笑顔は眩しすぎる。考えてみると、瑠璃とそう変わらないんだなと、改めて見直す天璃と目が合った高瀬は、恥ずかしさで頬を紅潮させ俯いてしまう。その微妙な変化に気が付く間もなく、ポケットで携帯が鳴り始めた天璃は、電話をてにしながら歩き出す。それに合わせ、高瀬もその横を歩きはじめた。
ん? という顔をする天璃に高瀬は、工場がある方を指さして、備品庫から出して来た一式を見せる。
ああというように、天璃は頷く。
短い廊下を二人で歩き、階段を上る天璃に軽く手を上げられ、高瀬は頭を下げる。
「もしもし、なんばい。今、仕事中だぞ。紅茶、そげなもん聞くために掛けてきんしゃーな。キッチンんそーそー右っかわん引き出しになければ、もうなか。いいそー。買っち帰ればよかんだな。え? アイロン? そげなもんどげんするんだ? そげなこつせんでよかから大人しくしていてくれ。晩御飯? そげなん心配せんでよかから。いい、はいはいがとかった。なんも泣くこつはなかちゃろうの。帰る時に電話ばしゅればよかんだな。や切るぞ」
階段を昇りきったところで立ち止まって話す天璃を、しばらく高瀬は見上げていた。
電話を切り踵を返した途端、天璃は鈴木女史と鉢合わせになり、ウワッと驚く。
「へーいつの間にそういう人、出来たの?」
にやけた顔で言われ、天璃はカーッと耳の裏まで赤くなる。
「そういう人って、何ですか?」
「そういう人ってのは、そういう人よ。話の内容から推定すると、同棲までし出したってことかしら?」
意地悪く笑う鈴木女史に、天璃は慌てて否定を述べる。
「違います。今、妹が遊びに来ているんです」
「妹という名の彼女がね」
「だから本当に違いますって」
「良いのよ。私に遠慮して隠さなくても。私は恋愛と結婚は別もんだと思っているだけで、相手に不足しているわけではないの。ただ結婚するのはというだけで」
「お願いですから、話を聞いてください」
「良いのよ、別に。テンちゃんと私が付き合っているなら、必死で否定するのは義務だろうけど、私たちは、ただの同僚ですもの」
こと恋愛に関しての話題になると、鈴木女史は異常反応を引き起こす。
「だからそういうことじゃなくって」
「だからもう、いいって言っているでしょ。あなたが誰と付き合ったって、私には関係ない話なんだから」
「え? 誰と誰が付き合っているって?」
トイレから出て来た森岡が、話しに参加して来る。
鈴木女史がしかめっ面を露骨に見せ、いいから、シッシと手で追い払うが、この男、こういった類の話に目がない。そう容易く身を引くはずがない。目を輝かせて話に参加して来る森岡を、天璃は苦笑いで誤魔化しを図る。
「何でだよ。俺も話しに入れろよ」
「ダメ。森岡が入るとややこしくなるから……」
「そんなに隠さなくてもいいじゃない。この際オープンにしてしちゃえば。気が楽になるわよ」
「なんで鈴木さん、そんなに不機嫌なの?」
「別に、私は普段通りですけど」
棘のある言い方をする鈴木女史に、森岡の率直な意見がが述べられ、最悪な空気が漂い始める。がしかし、ここでまた地雷を踏みつけるのが森岡である。
「え? まさか」
片手で口を押え、もう片方の指を忙しく二人を交互に指さし、知らなかったわと言い残し、一人で先に研究室へと戻って行ってしまった。
天璃の横で、鈴木女史は鼻を一回鳴らし、何かを思い出したようで、あらいけないと階段を駆け足で降りて行ってしまった。
一人残された天璃は、うすうす感じる嫌な予感を携えて、研究室のドアを開けた。
「本当ですか?」
想像した通りのリアクションをする小鹿に、天璃は苦笑するだけでノーコメントを決め込んだ。
どうせ何を言っても、面白おかしくしてしまうのが、森岡と小鹿なのだ。この二人、仲がいいのか悪いのか謎である。貶し合っているかと思うと、妙に気が合っているところもあるようで、絶妙なコンビネーションで天璃を困らせたりする。それが時折、度が過ぎ、鈴木女史の逆鱗に触れてしまうのだが、室長を含め今は五人しかいないチーム、多少のことは目を瞑らなければやっていけない。
それでも天璃の胸中は穏やかなものではないのだが。