第五章 旅立ってもいいですか?7
引っ越し業者が手際よく荷物を運び出し、何もなくなった部屋を見まわし、天璃は頭を下げる。
「りっちゃん、片付いた?」
両手にコンビニで買い物してきた袋を下げた瑠璃に声を掛けられ、天璃は慌てて目を手で擦る。
そのまま、この部屋を使ってもいいと言う天璃に、瑠璃は首を横に振っていた。
「りっちゃんの匂いが残る部屋で、一人で暮らすの無理だよ」
そう言う瑠璃を抱きしめたい衝動に駆られながら、天璃は背を向ける。
「お前を一人残して行くのは、本当は気が進まないんだけどな」
「そー思うなら、ずっっちこっちに居ればよかろうもん。父しゃんもこまめちゃんして帰っち来なくてよかっち言うてくれとるんやししゃ」
「そうもいかないだろ。父さんも母さんも、もう結構な年齢だからな。長男としては面倒を見ないわけにはいかないだろ」
「父しゃんや母しゃんん心配もよかばってん、妹んもしてばい。監視役のいのーなったら、うち、なんばしゅるかがとからんけんわちゃ。男ん人っち暮らしちゃうかもちゃ」
「お前、やっぱり福岡の大学に変えるか」
「それなら大丈夫。比呂美さんが当分は一緒に暮らしてくれるって」
「比呂美?」
思いがけない言葉に、天璃は振り向く。
「りっちゃん、比呂美さんすごくいい人じゃない。一緒になってあげれば?」
目を大きくする天璃を見て、瑠璃は笑い声を上げた。
「良いことを教えてあげる。比呂美さん、本当はりっちゃんのことすごく好きだったんだって。なんか目を合わすのも恥ずかしくなって、思わず別れましょって言っちゃったけど、ずっと後悔してたって話していたよ。東京に出て来たのも、りっちゃん目当てだったみたいだし、案外お似合いの二人じゃ……ない……
「瑠璃、熱でもあるのか?」
額に手を当てようとする天璃から逃れ、瑠璃は顔を歪ませる。
「ダメだよ。一生懸命りっちゃんから卒業しようとしてんだから」
「ごめん」
兄として喜ばしい話なんだろうけど、天璃の胸は痛んだ。
「はい。兄上殿」
瑠璃がふざけてそう言いながら、天璃に缶ビールを手渡す。自分はオレンジジュースのふたを開け、乾杯と缶を重ね合わす。
訳も分からないままでいる天璃に、瑠璃は今にも壊れてしまいそうな笑顔を見せていた。
「りっちゃん、今までありがとう」
「急に改まって、気持ちが悪いな」
「今はまだ、まともにりっちゃんの顔を見れないけど、ちゃんと真正面から見られるようになるからね」
「あまり、無理をするなよ」
「うん。でも少し無理するかな」
そう言う瑠璃を見て、天璃は眉を顰める。
「私、たぶん、歌を歌うたびりっちゃんのこと、思い出しちゃうと思うから」
やけになった瑠璃が始めたバンドは、素質があったらしくインディーズとして活動を始めていた。どれもこれも天璃への思いの詞ばかりだが、想像以上に歌唱力もあり、それを見た不破が面倒を見させてくれないかとまで言い出していた。
運転席に座る天璃に、瑠璃は敬礼をしてみせる。
「瑠璃は今日、りっちゃんから卒業します」
堪えていたものが一気に溢れだし、天璃は手を強く握る。
絶対に明かしてはいけない気持ち。それを隠すため、こんなコンタクトじゃなく眼鏡を掛けた天璃は、精一杯の笑みでそれに答え、静かに車を走らせる。
もう泣きながら追ってくる姿はそこにはなかった。
重雄に瑠璃が言った言葉が身に染みる。
「どうして、私は乳井室瑠璃なの?」
本当だよな。
込み上げてくる涙で前が見えなくなり、天璃は車を止めハンドルに顔を沈めて泣いた。




