序章4
一通り、最上美希の注文を聞き終え、退室した天璃は、廊下に出た途端、躰から力が抜け思わず深いため息を吐く。
今日一日分の、エネルギーを使い果たした気がしていた。
「あのーすいません」
その声に振り返った天璃は、首を傾げる。
小走りで、最上美希が追いかけて来たのである。
「どうかされましたか?」
「私、一つ言い忘れていました」
「なんですか?」
「私の欲しい口紅、赤くて透明感があって、それとキスをしたくなるよな色にしてください」
「キス?」
最後の言葉に。天璃は眉を寄せてしまった。それがどんなものなのか、想像がつかないのだ。
「天璃さんが、彼女にキスするとき、こんな唇だったら良いなって思うようなので構いませんので」
「あ、はぁ」
情けない返事をする天璃に、尚も最上美希は続ける。
「出来れば細かい打ち合わせをしたいのですが、今度の日曜日は、空いていらっしゃいますか?」
唐突な申し入れに天璃はきょとんとなってしまっていた。
「私と外で会うのは、まずいですか?」
まっすぐに向けられた最上美希の大きな瞳から目が逸らせず、天璃は蛇に睨まれた蛙よろしく、その場に固まってしまう。
「その日は、あいにく」
ようやく絞り出した言葉に、最上美希は表情を一変させ甘えた口調で残念がる。
「ええーいいじゃないですか」
「すいません。困ります」
「ここまで行ってもダメですか?」
「無理です。本当にスイマセン。先を急ぎますのでこれで」
語尾を上げて訊く最上に、天璃は苦笑で答えた。
「待って」
振り返りざま、天璃は自分の身の上に何が起こったのか理解できないでいた。
--ガチャン。
慌てて最上を引き放した天璃は、後ろを振り返る。
「ち、違うんだ。高瀬さんっ」
「テン。お前ダメだよ。なにしちゃってくれてんの。ああやっぱりお前も男だったんだな」
フラフラとよろめきながら自室へ戻って行く下塚を追いかけようとする天璃の首に腕を回し、最上が悪魔的な笑みを作り、囁く。
「私、恋、しちゃったみたいです」
「なんばぼんくらなこつ言うているんたい。大人ばからかわんけんでくれんね」
「天璃さん、かわいい」
「だから」
「いいんですか。私、専務さんに言いつけちゃいますよ。天璃さんに無理矢理口説かれてキスされたって」
頭をくらくらさせた天璃を、最上は八重歯を見せ微笑む。