第四章 幸せってなんですか?1
冬から春へと装いを変え、道端にはちらほらと花が咲き、胃が痛むタイフーン上陸である。
「りっちゃん、早くしないと遅れちゃう」
瑠璃が本格的に、一週間前に引っ越してきていた。
天璃は、自分が配合した口紅を瑠璃に入学祝として贈り、何故か研究室の銘々が、自信作を天璃に持たせていた。
「嫌だ。寝癖は直してよ」
瑠璃は、引っ越してすぐに小鹿の披露宴の時の写真を見つけ、歓喜の声を上げていた。
「りっちゃん、瑠璃の入学式の時も、ちゃんとしてよ」
「いやいや、大学の入学式に同伴はいらないだろう」
そういう天璃に瑠璃は目を潤ませ、そのまま重雄に電話を掛け、どんな冷たい扱いをされたかを涙涙で訴えかけるのだ。
当然ながら、激怒した重雄は受話器の向こう側で怒鳴り散らし、美璃に至っては、重雄を興奮させないでくれ、心臓に障ると涙声で訴えたのである。
相変わらず賑やかな家族に振り回され、天璃は滅多に袖を通さないスーツに着替え、髪をジェルで固めながら、ため息を吐く。
「さぁ行こうか」
さりげなく腕を回され、天璃は苦笑でそれを振り解く。
見事に膨れ上がった頬を指で突っつき、天璃は助手席のドアを開いてやった。
瑠璃が自分の部屋に侵入してこないという誓約をする代わりの条件が、助手席に座らせることだった。
「りっちゃん、ストレートも悪くなけど、その髪型も悪くないね」
イタズラ半分で、庄司にパーマを掛けられていた。どうもあの宴会以来、天璃の改造計画に意欲を駆り立てられているようで、それに賛同した森岡までが手を貸しているから、性質が悪い。
会社の近くに住まいを構えた二人が、天璃を拉致り、鈴木女史がそれを手を振って見送る。
「どうせなら、髪の色も変えちまうか」
「おお、それグッドアイディア」
なぜだかこの二人、やたら意見が合い、同棲まではじめてしまっている。
そして間もなくチャイムが鳴らされ、薬局の袋を下げた伊万里が姿を見せる。
伊万里は天璃の唯一の同期で、他社へ出向していたのだが、徳田が退職を期に呼び戻されていた。
「ああどうせだから、梶山とか仙石とか呼んじゃったけど、まずかったかな」
人手不足の訴えがようやく通り、この春から新入社員が二名、配属されていた。
両手にスーパーの袋を下げた二人と一緒に、鈴木女史も加わり、しめやかに宴が始められる。名目は、乳井室天璃を変える会だそうだが、むろん、そんな事は天璃は頼んではいない。
室長になった天璃を、盛り上げようという配慮からだと言うが、口実に過ぎなかった。とにかくこの二人、騒ぐことが好きらしく、何かにつけて宴会を繰り広げているのだ。今に隣人から苦情が来るぞという天璃の忠告もなんのその、そこは世渡り上手な森岡、俺、ちょっと行って来るわと言って、皿に料理を盛り付けたかと思うとそそくさと出かけて行く姿に、梶山が、どこ行ったんですかと庄司に尋ねる。
「ああお隣さん。一人暮らしの学生さんにお裾分けしに行ったんでしょ」
そういうことがさらりと出来てしまうのだ。この二人、アホをやっているようだが、案外考えているようで、北海道出身の庄司は、家から送られてくる産物をこまめに配って歩いているようだし、森岡に関しては愛想がよく、何となくクリアさせているのだ。新人二人も、入社一週間目で、まぁまぁ一杯。飲んで飲んで。とこんなノリで天璃に話しかける様になっていた。むろん、飲み会の席だけだが。そこは森岡と違って分別が付いている素晴らしい人材なのだ。
それにしても、冷たい液体を次から次へと頭に掛けられ、不格好な姿のまま得意でないビールを注がれる天璃は、何とも言えぬ情けなさに、涙が出そうな気分になっていた。
自分が掛けたパーマに惚れ惚れとしながら頷く庄司に、森岡が、ヨッ、お見事と、間の手を入れる。
なぜここで拍手が沸き起こるのか、謎なのだが、天璃は仕方なく引きつり笑いで、そうかなと言うしかなかった。
天璃にとって、朝の仕事が一つ増やされて大迷惑なのだが、それを訴えたところで聞き入れる人種ではない事は、痛いくらい知っている。
「いい、りっちゃんのそげなかっこちゃくなっちゃうっち、なんだか複雑。瑠璃のおらん間に、好いとぉ人げな作っちゃいかんだからね」
興奮するとお国言葉で話してしまう癖が抜け切れない瑠璃が、帰りが遅いと怒っていたのも束の間、ついでついでのついでで眉毛まで整えられた天璃の姿を見て、ウワーッと目を輝かせ、このセリフを数十回繰り返していた。




