第三章 泣いてもいいですか?2
「天璃さん、見っけ」
のんびりした気分で広小路を闊歩していると、急に腕を掴まれて、天璃は驚く。
その相手を見て、目を瞬かせる。
「こんな所で、どうしたんですか」
それは髪にウエーブを施した最上だった。
「追いかけて来ちゃった」
いたずらっ子のような目で言われ、天璃は耳の裏まで赤くする。
「うっそー。天璃、かわいい」
東京で会う時と、明らかに様子が違っている最上。
「何か、あったんですか?」
「何もないですよ。ただ、天璃と会いたいなーって思っていたら、会えて嬉しいだけですよ」
無理に明るく振る舞っているのは、確かだ。
ちょっと突っつけば、もろく折れてしいそうな笑顔を向ける最上に、天璃はひたすら引きつり笑顔を向けたままの姿勢を崩さずにいた。
その態度に最上の大きな瞳が、一瞬揺らぐ。
「ここへは?」
顔を引きつらせてきく天璃を見て、最上は柔らかい笑みで答える。
「仕事よ。こっちでドラマの仕事があって。その話をしようと思って、電話したのに繋がらないんだもん。どうしたのかなと思って専務さんに問い合わせたら、躰を壊して実家へ戻っているって言うじゃない。本当に、心配したんだから。もう電話も出来ないほど重症なのかと思っちゃった。でも良かった。元気そうで」
「御心配をおかけしました」
「良いの。好きな人のこと、心配するのは当たり前だから」
もがみの大きな瞳に見詰められ、治ったはずの胃が、またチクチク痛みだす。
「私、この後オフなんです。折角だから天璃、こっちを案内をして欲しい。ねっ良いでしょうお願い」
ころころ変わる表情。
さっきまで大人びた表情をしていたかと思うと、今は少女のような弾けた眩しい笑顔を見せている最上を、天璃はどう扱っていいか分からずにいる。
腕を話そうとしない最上の手を、天璃はそれとなく解き、言葉を探す。
みるみる赤くなって行く耳。
落ち着きがなく、それ以上引っ張ったら千切れてしまうんじゃないかと思わせるほど、 天璃の手は休む来いと泣く耳たぶを引っ張り続けている。
比呂美といい最上といい、自分の身の上に、何が起ころうとしているのか、天璃には全く想像がつかずにいる。一つ分かることは、この時間帯にこの場所で、女性と二人でいるのはまずいという事だけ。
「天璃。早く行こう」
「ごめん。本当に申し訳ない。これから行かなければならないところがあるんだ」
「ええどこどこ。私も一緒に行く」
ひんやりとしたものが、天璃の背中を這う。
「ちょっとそれは……」
「ええつまんない」
たじたじである。
「父親の仕事関係の人に会うんです」
「そうなんだ」
がっかりした顔をする最上に、天璃はもう一度謝る。
「それじゃあ仕方がないか」
落ち着きがない天璃を見て、最上は険しい表情になる。
時間的に考えても、状況的にもまずいのだ。
そこまでして瑠璃を気にすることはない。そう自分ではよく分かっている天璃なのだが、うるうるした瞳を見せられてしまうと、何も言えなくなってしまう。
実に情けない話だと、自分でも思う。
肩までかかった最上の髪が風に靡き、甘い香りが天璃の鼻の奥を刺激して行く。
ファーが付いた洋服に、不釣り合いの顔を覆い尽くすような大きなマスク。
素性を隠すためのもじゃないことは、天璃が一番よく知っている。
「私がこんなんだから、ダメなんですよね」
そっとマスクを外した口元は、無残に荒れて痛々しさを物語っていた。
天璃は言葉を詰まらせる。
「そんなことは……」
「だったらキスをして」
「本当にどうしたんですか? 今日の最上さん、おかしいですよ」
「おかしくなんかありません」
「最上さん」
グイと手を掴まれた最上は、目を潤ませながら天璃を見詰める。
「口紅、急ぎます。だから」
「もういい。天璃のバカっ」
すねて行ってしまう最上の後姿を見届けた天璃も、人の波へと紛れ込ませ、何もなかったように家路に就いた。
ただでさえ、今日は気が重い天璃。
重雄は心臓に少々難はあるが、すぐにどうこうするような症状じゃないらしく、天璃の体調も戻りつつある。
東京へ戻らなければならない。それを言わな帰ればならないのだ。
初めての上京の日、瑠璃は号泣して天璃を行かせまいとしていた。
大型連休を利用して帰省した時も、同様、ぐずった。
当然今回も、そうなることが予測されていたのだが、予想を大幅に裏切られることになった。
笑顔がそこにはあった。
「そーばい。もう正月も終わったんやししゃ、いつまばってん仕事、休んやまずいっち。部屋ばってん、きっっち埃の溜まっちいるちゃ」
そう言って、じゃあねと手を振る瑠璃に、拍子抜けした天璃が、ああと答えると、嬉しそうに顔を近づけてくる。
「ちょこっとの間ん辛抱だからね。浮気、しちゃいかんばい」
固まる天璃の眼の前、新幹線のドアが閉まった。




