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フットボール、フットボール、フットボール  作者: 遊佐東吾
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陽の射す方へ 1

 その人に会えたらいい一日になる、そういう夢がホセこと布施剛久にはあった。かつて愛した女性であるビアンカの出てくる夢だ。

 十年前にセルビアのノヴィ・サドで別れたきり、以来彼女とは一度も会っていない。だから夢の中で会うビアンカはいつでも昔のままだった。まるで女神のように綺麗なままだった。


 しばらく夢の余韻に浸っていたかったホセだが、やけに冷えこんだ室温がそれを許してくれない。「おお寒っ」と体を震わせつつちらりとベッド脇の置時計に目を遣った。時刻はちょうど五時になったところで、まだアラームの鳴る前だ。


「たまには早起きもいいか」


 自分に言い聞かせるようにして温かい布団から抜け出し、LEDに替えたばかりの部屋の明かりをつけた。そしてすぐに暖房のスイッチをオンにする。太陽が顔を出すにはしばらく時間がかかるので、とりあえずカーテンは閉めたままにしておく。

 ホセが暮らしているのは1Kの単身者用マンションだ。手狭ではあったが、しかし一人で生活するには何の問題もなかった。


 浴室に併設されている小さな洗面台でまず顔を洗おうとするもさすがに水が冷たい。それでも意を決してそのまま水で洗顔をすませる。

 フェイスタオルで丁寧に水気を拭きとった彼は、備え付けてある鏡でまじまじと自分の顔を見た。


「まったく、誰だよこのおっさんは」


 とてもじゃないがさっき夢で会ったばかりのビアンカとはまったく釣り合いがとれていない。十年も経てばその歳月は否が応でも外見に刻みこまれてしまう。ホセの口から出てくるのが自嘲気味な言葉になるのも無理はなかった。

 早起きは三文の徳とはいえ、特別にやることも思いつかなかったためいつも通り朝食の準備に取りかかる。といってもホセが作る朝食はとても適当なものだ。

 現役のプロサッカー選手だった頃はそれなりに気を遣っていた。ミネラルを多く含んだ雑穀米を毎朝用意し、他の栄養素のバランスもちゃんと整えるのが常だった。


 だが現役引退後の海外を放浪する生活で考え方は大きく変化した。どこの国に滞在しているかにも左右されたが、きちんとした朝食がとれるだけでもとてもありがたいことなのだと実感する日々だったのだ。やはり日本は恵まれている。

 そんなわけで今、ホセが用意しているのは胃を温めてくれる大根の味噌汁、メープルシロップたっぷりのパンケーキ、昨夜スーパーで買っておいたコロッケ、そしてコーヒー。

 今朝は何と豪勢なモーニングであろうか、とホセは一人悦に入りながらそれぞれの皿をテーブルへと並べていく。


 いただきます、の代わりに無言でテレビのスイッチを入れる。こんな時間でもCSのスポーツチャンネルであればサッカーの試合を放送してくれているのだ。

 まず大根の味噌汁をすすりつつ、視線は画面へと向けたまま動かさない。今の時間帯はプレミアリーグ上位進出を狙うチーム同士の直接対決の録画放送となっていた。観だしてからいくらも経たないうちに片方のチームがゴールを決める。

 得点したのが売り出し中である二十歳のベルギー人フォワードだったため、ホセも思わす「おっ」と声を漏らしてしまう。近いうち、彼は巨額の移籍金を積まれてさらなるビッグクラブへとステップアップしていくことだろう。


 クレープ専門店である〈サニーサイド〉を営みながら、鬼島少年少女蹴球団というサッカークラブで子供たちを育てていく。それが最愛のビアンカと別れて日本に戻ってきたホセの選んだ人生だった。

 日本人は恵まれすぎているからハングリーさに欠ける、などという言説は今でもまことしやかに語られている。悔しいが、肌でそのことを理解してきたホセにとって否定しきれない部分を含んでいるのも事実だ。

 だが同時に彼は知っている。海の外の誰にも負けないほど勝利に飢えた少年たちを。敗北の歴史を変えるほどの可能性を秘めた少年たちを。

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