回想―はなればなれに 1
頭では理解していても、どうにも現実感がわかない。
そんなことを口にした小学六年生の暁平に、親しい人が死ぬってのはそういうものなんだよ、と涙を浮かべながら教えてくれた年寄りがいた。暁平の知らない人だった。
真夏の強烈な熱気で外の風景が揺らいで見える。そんななか鯨幕が張られた鬼島地区の公民館では、榛名家、矢野家、松本家、そして片倉家の共同葬儀が営まれていた。
暁平の父と母、それに鬼島少年少女蹴球団へまだ入ったばかりだった小学三年生の弟。
政信の両親と祖父。
要の両親と五つ違いの姉。
そして父子家庭だった凜奈の父。
十人もの人間がたった一度の事故で、あっけなくこの世を去ってしまったのだ。彼らはみな、全国大会に出場する鬼島少年少女蹴球団を応援に行く途中だった。凜奈の父が運転するワゴン車に乗り合わせて。
初めての全国大会といえど、暁平には負けて帰る気はさらさらなかった。それはストライカーの久我にせよ、背番号10の凜奈にせよ同じだったろう。鬼島少年少女蹴球団は本気で全国優勝をするつもりでいたのだ。
事故の連絡を受けたのは一回戦の試合の途中、ハーフタイムでのことだった。幸先よく凜奈―久我のホットラインによるゴールで1点を先制し、意気揚々と引き揚げてきた暁平は応援席がやけにざわついているのに気づいた。泣いている大人もいる。
ただごとではない雰囲気に少しだけいやな予感はした。もうとっくに着いているはずの自分の家族がいない。よく練習を見に来てくれていた政信の祖父も、いつでもにこにことしていた凜奈の父もいない。
やたら長い渋滞に巻きこまれただけさ、と暁平は自分に必死に言い聞かせていた。そんな彼を「ちょっと、こっちへ」と監督の布施剛久が手招きで呼んだ。暁平だけでなく、凜奈、政信、要も同様に。
日本人離れしたやけに濃い顔立ちと明るい性格から、布施監督は誰からもホセと呼ばれている。そのホセにいつもの陽気さがどこにもなかった。
「落ち着いて聞いてくれ」
ホセからそう切りだされた瞬間、「ああ、よくないことを聞かされるのだ」と暁平にはわかった。
「おまえたちの家族が乗った車が、高速道路で事故に遭ったそうだ。くわしいことはまだわからんが、その、誰も助かってはいないだろう、という話だ」
なぜだかそのとき、暁平は顔を歪めて本当に苦しそうに話すホセに対して申し訳ない気がした。素敵な一日になるはずだった日に辛い役回りをさせてしまった。
わかりました、と暁平は気丈に答えようとした。だけど意に反して言葉にならない。喉から出てくるのはうめき声のなりそこないみたいなものばかりだ。
不意に弟の誕生日の夜の光景が目の前に浮かんできた。まだ夏休みに入る前、弟の光太は初めてのスパイクをプレゼントしてもらったのだ。よほど嬉しかったのだろう、あんまりはしゃぎすぎたせいで最後は父から怒られてしまうほどだった。
遠征のためにチームで借りた車が定員オーバーになるため、光太は暁平たちと一緒に来られなかった。
そういやあいつ、えらく拗ねていたっけ。
最後に見た、むくれている光太の顔を思い出しながら暁平は自分が涙を流していることにようやく気づいた。拭っても拭っても、どうにも止まらない。
「なんで、パパ、なんで!」
隣にいる凜奈が叫ぶように泣いている。
政信も要も、顔をぐしゃぐしゃにして肩を震わせていた。
暁平よりもさらに大柄なホセが四人の少年少女を抱きかかえ、ひたすらずっと同じフレーズを口にし続けていた。
「みんなで一緒に生きよう、おまえたちならまた立ちあがれる」
ホセの言う通りだ、と暁平は思った。けれども情けないことに、肝心のその立ち方がすっかりわからないでいるのだ。
そこからの三日間、暁平は何の意思も持たないただの抜け殻だった。
葬式があった日の朝から火葬になるまでの記憶も暁平にはほとんど残っていない。思い出せるのは暑さのせいでやたらに流れ落ちる汗と、たまたまトイレで聞いてしまった心が軋むような会話くらいだった。
「まったく、この猛暑のなかをわざわざ鬼島くんだりまで来なきゃならんとは。迷惑にもほどがあるぞ」
「ちょっと、誰かに聞かれてたらまた問題になりますよ。ただでさえ市に対するこのあたりの住民感情はよくないんですから」
「わかっとる。だからわたしは鬼島を合併するのに反対だったんだよ」
姫ヶ瀬市において鬼島地区が特異な立場にあるのは小学生の暁平でも知っていた。年寄りたちが言うには別の藩だった江戸時代から折り合いが悪かったらしく、その後もたびたびいざこざが起こっていた。
財政事情の芳しくない鬼島町が姫ヶ瀬市に合併される際もひどく揉めていたし、合併したらしたで今度は姫ヶ瀬市の老朽化したゴミ処理施設の鬼島への移転話が持ち上がって、現在進行形で紛糾は続いているらしい。
だが、それを今この場に持ちこむのか。ここは早すぎる死を迎えた十人のために祈ってくれる場所ではないのか。
暁平にわかったことがひとつだけあった。もう両親は守ってくれない。これからは自分で善意と悪意が交錯するなかを生き抜いていかなければならないのだ。