記憶が無くても……
今日は十二月二十九日。彼女の誕生日だ。
僕は咲希の家の前に来る。彼女は僕のことを覚えているだろうか?あの事故があって以来記憶が無くなっているらしいのだ。
一呼吸おいて家のインターホンを押した。ピンポーンとインターホンの音が聞こえた。
少しすると家のドアが開いた。
「えっと…」
ドアを開けてそうそう疑問形か。咲希が忘れてしまっても僕の大切な人だ。
「よ。あ、僕は智之」
「あ、ごめんなさい。まただね。この頃ひどくなっちゃって」
「いいさ。それより上がってもいいかな? 今日は咲希の誕生日だからいろいろ買ってきたよ」
「ありがと。どうぞ」
「おう」
咲希の家の居間へと連れて行かれる。
ご両親はとうの昔に亡くなったらしい。最近まで母の祖母に育てられてきたらしい。その祖母もなくなったらしい。
「はい、どうぞ。ちょっと待ってて。お茶、いれてくる」
うん、といって居間から出ていく咲希の背中を見ながら言った。居間を見ると、まず何もない。あると言えばこたつにテレビ、あと少しの家具ぐらいの必要最低限しかない。僕はこたつの横に荷物を置き、咲希を待つ。カタカタと音がした。見ると咲希だった。
「はい」
と、僕の前にお茶を置いた。お礼を言いながらお茶をすする。少しの静寂。すると、
「えっ、あ、あなた、誰?」
と、聞いてきた。
「えっと、僕は君の彼氏の智之だよ」
「あ、ごめんなさい。まただね」
「いや、大丈夫だよ」
咲希は少し悲しそうに下を向いた。
僕は咲希のこんな顔見たくないのに…
どうにかならないのか…
――二ヶ月前
学校の帰りに彼女は事故にあった。
僕と付き合い始めて一週間ちょっとのことだった。
僕は用事があって一緒に帰れなかった時だった。
信号無視していた運転手に撥ねられたらしい。その運転手はとっさにハンドルを切り、そのまま崖下に落ち即死だったらしい。
詳しくは知らないが咲希は撥ねられたわりに軽傷だった。
しかし、頭を強く打ち記憶力が低下しているようだ。今も少しするとほとんどの記憶が無くなるようだ。
「さ、咲希の誕生日だ。ケーキ買ってきたから食べようよ」
うん、と承諾したので、ケーキにろうそくをたて、電気を消した。
「私、こんな楽しい記憶も消えるのかな?」
「えっ」
「私、嫌だよ。大好きな人との記憶が消えるなんて…」
咲希の目に涙が浮かぶ。
僕は咲希の隣に座り咲希を抱きしめた。
「大丈夫。記憶が無くなったらまた作ればいい。僕は付き合うよ一生、君に」
ふと、雰囲気が変わった。
「えっと、あ、あなた、確か…」
「智之だよ」
「そうだったね。智之。私の彼氏」
「うん。ほら、ろうそくたてたから咲希が消すんだよ。今日は咲希の誕生日だからね」
「うん」
ふっ、と優しい吐息でろうそくの火が消えた。
電気をつける。
「さて、食べようか。いろいろ買ってきたよ」
「うん」
やや口数の少ない食事が始まった。
食事が終わってもあまり会話がなかった。
ゴーンと、時計が鳴った。もう十一時をまわっていた。あれから記憶が消えることが一回もなかった。正直嬉しかった。このままずっと記憶が消えなければ。
「もう遅いし、帰るかな」
「そう、ならそこまで送っていくわ」
玄関を出てそれじゃ、というときだった。
「えっ、あ、」
また、記憶が消えた。
「あなたは?」
すべてが消えたようだ。
もう咲希の悲しい顔は見たくない。
「僕は…」
少し考えた。
「僕は君の友達だよ」
たぶんこれが一番いいと思った。
そのまま咲希に背中を向けて帰ろうとする。
ポケットに何か入っていた。何かと思ったら咲希に渡そうと思っていたプレゼントだった。どうしようかな。
振り返ると咲希は家の中に入ろうとしていた。
せっかく買ったし渡して帰ろう。
「あの」
「はい、何ですか?」
「はい、これ」
「?」
「今日、あなたの誕生日なんですよ」
「えっ、そうなんですか?知りませんでした」
もう、何も覚えていないのだろう。
僕は涙がこぼれそうだった。
もう後ろは見れない。見たら絶対泣く。だからそのまま帰るんだ。
溢れ出す感情を押し殺して咲希に背中を向ける。
もう、思い残すことは、
ない。
わけじゃないが、もう駄目だろう。
もう…
「――――智之」
――えっ? いま、なんて……?
「……待って……智之!」
「咲希!」
思わず振り返る。
そこにはプレゼントを抱きしめた咲希の姿があった。
「智之、ありがと」
「え、どうして」
「これ。初めてのデートで買ってもらったペンダント……」
「うん、そうだよ」
涙がこぼれた。嬉しかった。すべて忘れていたと思ってたのに。
「忘れない。絶対忘れないよ。智之が、私の……彼氏だから。大切な人だから!」
思わず僕は咲希に抱きついた。
「そうだね。僕は咲希の彼氏だ。僕にとっても咲希は大切な人だ」
「私、他のことは忘れるかもしれないけど智之だけは忘れないから」
「ああ。もし忘れたとしても一緒に楽しい記憶を作っていこう」
誓いのキス。
これだけは忘れないようにと願いながらお互い唇を重ねた。たぶん咲希も同じことを思っているだろう。
お互いが思い合えばきっと願いも叶う。




