7-3 胸を刺激する夏
むせ返るような鉄の匂い。
きっとこの岩陰の先は見てみたい風景とは言えない。
戻るなら今だ、この岩が最後の境界となるだろう。
例え今引き返しても誰も文句を言うものはいないが……意を決す。
ーー後悔は彼を探し出してからにしよう。
レキは恐る恐る岩陰からそっと顔を出す。
そこには平和であった頃の砂浜の姿はない。
骸骨の兵士達が織り成す阿鼻叫喚の地獄だけだ。
あの兵士達はテレビで見たことがある。
ホルシード兵と言ったか、ーー彼女の親友も何度か襲われていた。
少なく見ても十体以上はここで暴れている。
親友は偶然にもとあるヒーローに何度も救われているらしい。
そう何度も……。
今回はまだ来ていないらしいが、果たしてそれは偶然来ていないのか……必然的に来ないだけなのか、定かでない。
男の声が聞こえた。
レキは反射的にそちらの方を見る。
「た、助けてくれぇ……」
その声は彼では無かった、レキをナンパしてきた男の声だ。
砂浜にへたり込む男の前には今まさに刃を振り下ろし鮮血を浴びんとするホルシード兵だ。
一瞬、男と目が合う。
助けを請うような、絶望が入り混じった視線がレキの背筋を凍らす。
無慈悲に刃が落ちる、その時。
黒い影がホルシード兵を蹴り飛ばす。
ホルシード兵は不意の一撃に跳ね飛び、まるで蹴鞠のように砂埃をあげレキのすぐ近くの岩陰に叩きつけられた。
一度二度痙攣し、やがて動きを止めるーーもう動かないようだ。
時折見せる青白いスパークが生物とは違う存在であると語っていた。
影が着地し、ファイティグポーズをとる。
「ーー早く逃げろ!」
「は、はひぃ…!」
情けない声で這って逃げて行く。
最早、そこにあるのは惨めさだけだ。
男が逃げ切るのを確認して、彼は次の敵に跳ぶ。
「お前達の狙いはこの俺だろうが!」
彼が吼える。
ホルシード兵が彼を取り囲むように襲い掛かった。
その様子は新しい玩具を見つけた子供ーーもっともそれは無邪気ではなく狂喜を孕んでいるように見えたーーのようであった。
彼がまるで歌舞伎のように睨みを利かせる。
しかし、その睨みはホルシード兵には無意味のようで、一体、また一体と次々と彼に向かっていった。
迫る切っ先よりも先に彼の拳が敵を捉え、息つく暇無く蹴りが次の敵を射抜く。
レキは武術などかじったことすらないが、一瞬にして二体のホルシード兵を叩き伏せた彼の動きに付いていく事が出来るようになる為には一万時間の法則であっても到底到達出来はしないだろう。
解説の間に彼は更に三体を打ち倒す。
一見、軽々倒しているようには見えたのだが、彼の表情はまるで追い詰められているような顔であった。
それは素人目にも分かる、どうしようもない数の暴力だ。
気が付いた時には肩で息を、囲まれ今尚七体ものホルシード兵が健在だ。
兵士達の駆動音があたかも彼を嘲笑っているように聞こえた。
疲労困憊の色が濃厚になった頃、彼は決心したように構えを解く。
死を覚悟したと言うのか?
彼を連れ戻そうと意気込んで来たレキではあるが、こんな時に全く動きもしない足が恨めしく感じた。
彼女はお節介焼きの向こう見ずでも無ければ、理に適った動きが出来るほどに度胸が据わってない。
頭でっかちなだけの、ああだこうだ言って何も出来ない自分が遣る瀬無い。
ホルシード兵は好機とばかりに一斉に跳び掛かった。
それは地面に落ちた飴に群がる蟻を思い起こす。
彼が小さく呟いた。
「ーー変身」
振り下ろされる凶刃、この凶行が終わる頃には彼は二度と見られぬ身になっていることだろう。
いてもたってもいられない感情に囚われたレキは思わず身を乗り出してしまう。
この感情は、まるでジャグリーンのような心境だったかもしれない。
何の考えがあった訳でもない、ただ反射的に動いていただけだ。
だが、その感情も一つの光の爆縮によって止められ消失する。
ホルシード兵達の真ん中で発生した赤の色と青の色が混じる光は、兵士を焼き焦がし、あるいは兵士を凍らせ吹き飛ばす。
爆縮が収まる頃、そこに立っていたのはただ一人。
赤熱の炎に包まれた右半身と絶対零度の氷青に覆われた左半身ーー言葉で表すならば魔人。
魔人が牙の間から紫煙のような息を吐き唸る。
「アイツは……?」
レキの思考が再稼動を始める。
まずは彼を探す……いない。
いるのは爆心地にその魔人、そしてその周りに吹き飛び倒れているホルシード兵。
一瞬、彼女に非常に馬鹿らしい発想が頭をよぎった。
彼が変身した?ーーレキはこのシュールレアリズムに眩暈を覚えた。
そんな眩暈の思考を馬鹿にするように魔人がゆっくりと辺りを見渡す。
その目付きは獲物を探す獣だ。
ついさっき吹き飛ばされていたホルシード兵達が身を起こしていく。
衝撃波によるダメージは決して小さくないはずであるがーー装甲が大破して内部の機械が剥き出しのモノや中には片腕を無くしその部位からショートしているモノまでいたーー稼働及び戦闘には支障は無いらしい。
「オォォォッ!」
野獣かと見間違わん程の気迫と咆哮は周囲の空間を揺さぶる。
レキは咄嗟に耳を塞ぐ。
アレは人間の出す声ではない。
悪魔のような……そんな表現がピッタリだろう。
その咆哮すら意に介さずホルシード兵、四体が左右前後から接近戦を仕掛ける。
魔人はその場から避けようともせずに拳を構えた。
背中からの強襲を左の裏拳で撃ち落とす。
続いて正面、左右からの三方向同時攻撃だ。
刃が届く刹那に上体を左に回しつつ敵に向かって跳躍、右脚が鋭く紅い炎の軌跡を描く。
中国拳法でよく言う旋風脚だ。
軌跡がホルシード兵を砕き、跡形も無く燃やし尽くす。
これで四体ものホルシード兵が破壊、戦闘不能になったーー残りは三体。
レキはその三体を探す。
すぐに見つかる、魔人から少し離れた場所で腕を大砲に変形させて前に構えていた。
あの位置は魔人から見て丁度死角だ。
犠牲を払っても確実に魔人を仕留める戦術だ。
小さな光が収束していく。
魔人はまだ宙にいる、避けることはできない。
跳躍の隙を狙い撃つ。
レキは避けるように言うため、彼の名を呼ぼうとしたが彼の名を知らなかった。
声にならない声が空を切る。
「ーー!」
迫る閃光、その判断は一瞬だった。
魔人の眼が蒼く輝き、その足元に氷塊を創り出す。
氷塊に脚をかけ、力を込めて更に高く跳躍した。
二段跳躍をしたような形だ。
閃光が魔人の遥か下を通過し奥にあった海の家に命中、炎を上げ爆発した。
宙を舞った魔人が左手をかざすと、冷気がそこに集まり三本の氷の槍が精製される。
ホルシード兵が天に大砲を掲げるが、遅い。
チャージが間に合わない。
魔人が吼え、槍を三方向に振るい投げる。
それぞれの槍は寸分違わずホルシード兵を貫く。
突き立てられた槍から火花が散り、やがて爆発四散。
「……凄……」
爆発をバックに魔人が砂浜に降り立つ。
ゆっくりと上体を起こし、何かを探すように辺りを見渡す。
そして、目が合う。
「あ……私か」
魔人がこちらに歩み寄る。
グルルと唸りながら真っ直ぐ一直線に来る様子は一種のトラウマものになりそうだ。
今にも飛び掛かりそうな猛獣がいる心地がする。
見間違えや夢の中で無いのならば、魔人は彼が変身している。
何も恐ろしい事はないはずであるが、何故か手放しで喜ぶ事が出来ないのは魔人の厳つい容姿のせいだろう。
その牙を持って今にも身体を引き裂きそうだ。
もちろん彼のことを疑っているわけではない。
レキと彼は出会ってからまだ三十分も経っていないが、数少ない交流から彼は不器用ながらも信用出来ると判断出来た。
また一歩、魔人がレキに詰め寄る。
「わ、私を食べても美味しくないぞ!?」
戦闘は終わった、にも関わらず元の姿に戻ってない。
単純に戻れないだけなのか、何らかの理由で戻らないのか、それとも暴走して彼女に暴力を働こうとして戻らないのか……。
レキの希望としては、単純に戻れないだけ、なのだが唸り声を聴く限りでは最後の案も否定出来ない。
レキの一歩前で立ち止まる。
「もしかして、ソッチか!? ソッチの意味で食べられちゃうのか!?」
逃げる事は出来ない。
背中を見せた瞬間、確実にヤられる。
彼女に黒い影が覆い被さる。
魔人の口が動くーー彼の声だ
「ーーしゃがんでくれ」
「わっ?!」
当然と言えば当然であるが、ある意味感動する。
レキは彼の言う通りに屈む刹那、彼の鋭い左ストレートが彼女の頭、直上を通過した。
颪のような風圧と、金属の衝突音。
へたり込む彼女がその音の方を辿る。
「君を人質にしようとしていた」
先程までは無かった何かの機械の残骸、ホルシード兵だったモノだろう。
助けてくれたのだろうか、彼が。
魔人のような顔がどこか柔和に見えた。
「……ありがとう、礼は言っておく。 ーーけど、モグラ叩きみたいな事は止めてくれ」
「すまない、君を巻き込むつもりは無かったが丁度直線上にいたから」
魔人の身体からシュウシュウと音を立てて煙が上がる。
心配は無用なようだ。
煙から魔人の身体が溶け、元の彼の身体に戻っていく。
「ところでソッチとはどっちの事だ?」
「気にするんじゃない!」
余計な事を言う、レキは頬を赤くしながら髪をかきあげた。
彼の身体をチラリと見る。
傷は小さい、だが傷だらけの身体だ。
「ーーその、身体は大丈夫……なのか?」
「ああ」
彼が頷く。
「ーー少し……休め、れば…大丈……夫ーー」
彼がいきなりゆっくりと揺れ倒れる。
レキは慌てて倒れ行く彼を支えた。
「おい?! ーーコレは大丈夫じゃないだろうよ」
彼の吐息、鼓動、体温を感じる。
こんなところで生きていることを実感してしまう。
レキは彼の顔を覗き込みため息をついた。
「ーーったく、関わらざる得ないじゃないか、これじゃ」
気を失い、死んだように眠る彼の顔はとても安らいでいた。
先程までの騒動がまるで嘘のようだ。
レキはため息をつく。
どうしたものか。
取り敢えずはあの生意気な後輩の家にでも運ぶか……。
何か起きても最小限の被害に抑えれそうだし。




