6-9 とある闘牛士
一閃、プレステイルの宝剣はウェスペルジオを軽々と引き裂く。
軽過ぎる手の感覚に違和感を覚えつつも、斬り伏せられピクリとも動かない彼に安心に似た情を感じた。
気の所為だろうと息を吐き目を瞑り心を落ち着ける。
後は、ウェスペルジオから牙を手に入れるだけでケイは助かり万事解決だ。
平静取り戻し、目を開ける。
街灯が照らす夜道の違和感。
ーー殺気だ。
「美しいものを前にするとつい力を緩めてしまう。 ーー私の悪い癖ですね」
耳元で囁く甘い声。
背筋が凍りつくような感覚が全身を駆け巡る。
「……流石に甘すぎるか」
冷や汗が頬を伝うが構わず強がる。
斬り伏せたはずのウェスペルジオは、目の前の夜道から消え失せ、代わりに背中越しに細剣を突きつけていた。
悪夢でも見ているような感覚であったがその背中に突きつけられた細剣の感触は確かだった。
だが、考えることは後でも出来る。
今は背中を取られてる危機を脱するべきだ。
「ーー加速」
小さく呟くとプレステイルの額の宝石が光を帯びて、一人加速する世界に飛び込む。
身体に対する加速能力の酷使は大きな反動が掛かるが、状況が状況だ。
そんなリスクを気のしていられない。
全てがスローモーションの中、ウェスペルジオが反応するよりも早く、右から左へ振り向きざまに旋風のように斬りつける。
今度こそ、とプレステイルが加速能力を解く。
「また油断してしまいましたね」
ウェスペルジオがまいったと言わんばかりに笑う。
切り傷は決して浅くない。
むしろ、両断した。
にも関わらず、ウェスペルジオは何事も無かったかのように笑っていた。
切り傷から反対の道が見える、まるでそこだけ霧になったかのようだ。
「面白い仕掛けを使うじゃないか。 ーー加速ッ!」
再びプレステイルの額の宝石に光が射し、幾重にも重なった緑の剣閃がウェスペルジオを降りかかった。
霧散するウェスペルジオ。
また手応えが軽い、むしろ無いと言っても過言ではないかもしれない。
驚くよりも先に背中の方から声が聞こえた。
「流石は疾風の二つ名を持つだけはありますね。 私も目で追うのがやっとでしたよ」
更にウェスペルジオの声に向けて一閃。
悪夢を打ち払いたかっただけかもしれない。
遅れてプレステイルが見ると霧散していた黒い霧は形を成し、ウェスペルジオの姿に戻りつつあった。
ーー実体が無いのか?
相手にしているのは催眠術によって投影された架空の敵なのか、はたまた単に自分以上のスピードを持つ敵なのか。
いずれにしても言えることは想像した全てとは違い、確かにそこに存在する敵と言うことだ。
そんなプレステイルの思考の流れを読み取ったのか、ウェスペルジオが口角を上げる。
「仮にも不死者と揶揄されてますから……これくらいは容易いのですよ」
「そんな不死者は知恵と勇気で全て倒されてるんだよ、オールドムービーでは特にな」
何が面白いのか、後ろのウェスペルジオがフッと笑う。
愚考だと思われたのかも知れない。
確かに今のままでは勝ち目はない。
だが、今は勇気を出す時。
勇気無くして、勝利への知恵は手に入らない。
「だから、滅びろ! ここはお前達が住む世界じゃない」
脚に力込めて弾けるように突進、すれ違いざまに剣を振るう。
ウェスペルジオはそれを避けようともせずに切っ先を霧状に変身して避ける。
だが、そんなことは予想の範疇だ。
素早く切り返し、縦に、逆袈裟懸けに、真一文字に連続で切り結ぶ。
霧が剣圧を避けていく。
まるで霧か幻を相手にしているかのようだ。
「ならば、貴女の血の沸き立つような情熱を受け止めずにいるのは失礼と言うもの」
マントのような翼を翻し、細剣でプレステイルの宝剣を軽々撃ち返してそのまま突く。
プレステイルは右腕から伸びる翼を硬質化、間一髪細剣の第一撃を払う。
「ほう! そんな能力までもあったとは」
「うっさい、ぞ……っと!」
硬質化した翼をフック気味に放ち、更に左手に握る剣で切り上げる。
普段であれば捉え命中している攻撃……しかし、プレステイルの攻撃は空を切った。
カスリもしない、だがもう躊躇しない。
ソバットに、唐竹割りに、肘打ち、カカト落とし……考えうる全ての体技をウェスペルジオに撃ち込む。
ウェスペルジオはその嵐のような攻撃を霧になり避け、あるいは細剣で打ち払い、躱す。
その身のこなしは暴れ牛を華麗に操る闘牛士と言ったところだろう。
連撃の締めとなる攻撃ーーとても攻撃と呼べるものではなかったがーーを細剣で捌くと甘美に微笑した。
涼しい顔をしやがって、とプレステイルが息を切らしながらも毒づく。
「今度はこちらから参りますよ!」
月影に剣閃が奔る。
細剣のその刺突はさながら滝のようだ。
プレステイルは舌打ちをしつつも細剣を持つ腕を弾く。
が、その腕が霧に姿を変え宝剣がすり抜け細剣がそのままの勢いで突き刺さる。
宝剣を握る左腕がズキリと痛み、ヌルリとした感覚が腕を伝う。
歯を強く噛み締め、後ろに跳躍する。
追撃に備え、態勢を整えつつウェスペルジオを睨む。
ウェスペルジオは追撃を掛けようとはせずにいた。
これが、大人の余裕、とでも言いたいのだろうか。
「ーーおや、捉えたと思ったのですが」
「簡単に取らせるかよ」
プレステイルは剣を両手で構え正眼に捉え直す。
ーーさて、どう戦うべきか。
戦いの流れは既に彼方側、このままでは確実に負けるだろう。
何せ、こちらの攻撃は全て霧になり避けられるか、正確無比な細剣に防がれる。
反対に彼方の攻撃は命中するだけだ。
卑怯な能力なことだ、とプレステイルが苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
負けながらでも考える必要がある。
「では次、行きますよ!」
思考の波に揺られる暇は与えないつもりであるらしい。
刺突の嵐は否応無しに乱舞と言う波を荒立てる。
このままでは押し切られてしまう。
「クッ! スナップラフィカ!」
プレステイルは苦し紛れにバックステップ、同時に硬質化した羽根を連続で投げ飛ばす。
金属音、そして、後は霧に飲まれすり抜けていく。
折角の距離は簡単に詰められ、細剣がプレステイルを襲う。
両手に奔る衝撃と共に宝剣が宙を舞い後方の地面に突き刺さる。
細剣が頬を掠め、じんわりと熱くなる。
「さて、終幕としましょうか」
攻防一体、正に完璧としか言い様が無い。
どんな攻め手もたちまち無力化される。
これでは勝ち目はないではないか。
プレステイルが諦めかけた時だ。
「セツナくん!」
戦いの場にはあまりにも似つかわしくない声、ナユタの声だ。
ナユタが白い何かを投げる。
それは綺麗な放物線を描きウェスペルジオに向かって飛んで、狙いこそ良いものの当然の如く彼に身体をすり抜けた。
二度三度間抜けにバウンドして止まったものはボールのように見えた。
「……ニンニク?」
「これなら効くでしょ!」
紛れもなくニンニク。
他に例えようもない。
彼女の唐突な登場、そして突然の行動の所為でプレステイルはもちろん、ウェスペルジオでさえ目が点になっていた。
ニンニクが苦手と言えば、世間一般的に吸血鬼だ。
だからニンニクをわざわざ用意してきたのだろう……好意的に判断して。
確かに彼は吸血鬼っぽいが、ニンニクが苦手とは限らない。
ウェスペルジオがプルプルと震える。
まさか、そのまさかなのか?
「麗しきお嬢さん、月が綺麗ですね!」
「……だよな……」
ウェスペルジオにとって最大のチャンスにも関わらずナユタを口説こうとする。
やはり彼は根っからの女好きであるようだ。
しかし、何故か、イラつきが収まらない。
「月は綺麗だけど問答むよー! 悪霊退散!」
そう言ってまた手持ちの買い物袋からニンニクを取り出し放り投げる。
次々と投げられるニンニクは身体を透過し、或いは細剣を持ってない方の手で打ち払っていく。
「フッ、美しい上にユーモアもあるとは面白いお嬢さんですね」
「ええい聖水だぁ!」
手にしたのはミネラルウォーターのペットボトル。
そしてやっぱり投げつける。
ウェスペルジオは危なげなく細剣で両断した。
思いっきり水を被る。
夏といえども冷たい。
「え、ダメ?」
「ーーこのバカぁ!」
たださえピンチなのに何故このバカ姉は更に窮地に追い込もうとするのだ。
彼女本人としては反撃のチャンスを作ったつもりなのだろう……超好意的に判断して。
いや、やっぱり何も考えていないだけかも知れないが……。
だがしかし、こちら側の思考の流れさえも止められては全く意味が無い。
むしろ彼女と言う防衛目標が増えた分ピンチになっただけだ。
しかも、ニンニクやミネラルウォーター……オールドムービーだったらどうにかなったかも知れないが、あいにくこれはオールドムービーではないのだ。
一体誰の入れ知恵だ?
「んん? 聖母様のメダイユを溶かして作った銃弾なら効果あるんだっけ?」
「それは狼男だっつぅの!」
やっぱり後のことは何も考えて無い。
呆れて左腕の痛みすら忘れそうだ。
地面に散らばるニンニクやその残骸を見る。
よくもまあ買い集めたものだ。
こんな大量のニンニクをジッと見ているとウズウズしてしまう、どんな料理を作ろうかと。
こんな状況でもそんな事を思ってしまうとは、最早病気でなかろうか、と自笑する。
まだ綺麗な形を残しているニンニクならば洗えば料理にまだ使える。
しかし、ウェスペルジオに打ち払われて粉微塵に散ったニンニクはどうしたものか。
料理に使うには衛生的に問題があるだろう。
農家の方には非常に申し訳ないが、捨てる他ない。
その刹那に違和感を感じた。
どうして綺麗なニンニクと粉微塵に散ったニンニクがあるのか。
その違いはーー閃く。
逆転の方程式は揃った。
後は実行するのみ、プレステイルは不敵に笑う。
「おい、ウェスペルジオよ。 まだ、僕は諦めてないぞ」
「わ、我を忘れるところでした」
ジトリとした姿勢に気が付いたのか、残念そうにに向き直る。
ナユタから視線が外れたことで、一先ず安心したような、緊張するような。
プレステイルは地面に突き刺さっていた宝剣を左手で引き抜き構える。
「ダンスの相手ならば……僕がなろう」
視線でナユタに、隠れてろ、とサインを送る。
彼女はこくりと頷いてすぐそばの木の陰に身を隠し見えなくなる。
……毎回思うが、隠れろと言う意図を完全に理解してないことだろう。
大方、そばで見守っていてくれ、ぐらいのニュアンスでしかサインを受け取ってない、そんな風に思える。
ため息一つ視線をウェスペルジオに戻し、宝剣を両手で構え直す。
相手はもう既に戦闘準備は出来ている。
「行くぞ…!」
脚に力を込め駆ける。
距離は10m程、時間にして一瞬。
プレステイルは宝剣とは逆手を振るい、硬質化した羽根を撃つ。
羽根は大風のようにウェスペルジオに迫る。
「何処からでもどうぞ」
大風の羽根はウェスペルジオを透過し、或いはその細剣によって打ち払われる。
その一瞬を見逃さない。
ーー思った通り、同じポイントだ。
ゼロ距離、宝剣を縦一閃に振り抜く。
結果は論じるまでもなく、ウェスペルジオは霧に姿を変え消え失せる。
だが、推論は確信に変化した。
ウェスペルジオはその身体を霧に変え、物理的干渉を無力化することができる。
格闘ゲームに例えるならば、常時攻撃に対する当たり判定が無いようなもの。
ビーム、レーザーなどの熱的攻撃を持ち合わせているならば、状況は変わっただろう。
だが物理的な攻撃しか持ち得ない現在のプレステイルには勝ち目は全くない。
なんせ攻撃は全部すり抜けてしまうのだから。
しかし、何故、だったらどうして、プレステイルの攻撃を防御していたのか?
ナルシストなだけだろうか。
いや、攻撃されては都合が悪い理由があるのか。
おそらくそれは弱点に直結するもの……例えば霧に変身するための制御器官、核と言うべきものだろう。
それさえ破壊すれば、或いは……。
「ーー加速……!」
殺気。
前に転がり細剣を避けつつ、気配に向け羽根を撃ち出す。
金属音。
やはり、この程度の攻撃では防がれてしまう。
ウェスペルジオは笑みをこぼし、また霧に姿を変えた。
「厄介ですね、その能力」
ウェスペルジオの声が木霊する。
何処から来るか……、プレステイルは月と街灯が照らす道を目を配らせる。
紫の残光、ウェスペルジオだ。
次の瞬間には緑の一閃が駆け抜けていた。
鍔と鍔が火花を散らす。
プレステイルの剣は寸の所で細剣に阻まれていた。
「ーーその様子だと既に私の弱点を見抜いたようですね」
一種の動揺。
息を飲み込み言い放つ。
「それがどうした。 僕が有利になった事には変わりない」
プレステイルの宝石が輝き、また一閃、更に一閃。
その全てはウェスペルジオの弱点であろう額の紫に向かっていた。
細剣は相変わらずの精度を誇りプレステイルの宝剣はことごとく打ち払われる。
が、プレステイルはニヤリとした。
「形勢逆転だな。 ーー僕の剣は更に鋭さを増すぞ?」
徐々にプレステイルの宝剣が細剣の精度を上回りつつあり、倒すのも時間の問題だろう。
事実、宝剣は額の宝石目前まで迫り、ウェスペルジオは防衛戦に追い込まれていた。
彼は困ったように笑う。
「まるで悪役の台詞ですね」
「うっさいな。 僕の勝手だ」
ウェスペルジオは堪らず距離を取る。
流れは完全にこちらの物、攻めの姿勢を崩さなければ勝てない相手ではない。
プレステイルが宝剣を腰に構え、額の宝石が最大の輝きを放つ。
「加速」
エッジガストーー呟き、ウェスペルジオに向かって駆ける。
最大加速、全てを置き去りにする速度。
全身のバネを使っての斬撃は捨て身の一撃と言っても過言でない。
避ける事は不可能、防いだとしても細剣諸共弱点を砕く。
プレステイルはその名の通り暴風に姿を変える。
その最中、ウェスペルジオが薄く笑うのが見えた。
構わず暴風が吹き荒れる。
「ーー月夜は終わりです」
ウェスペルジオは間一髪で霧に変身し避ける。
だが、意味を成さない。
プレステイルの宝石が赤い線を残し、紫を追う。
再びそれに向かって駆ける。
「ーー早く諦めろ……!」
紫が闇に溶けるように消えた。
逃げるのか、いや、違う。
殺気はまだここにある。
だが、先程まで感じていた殺気の方向を感じ取れなくなった。
殺気が薄くなった訳ではない、むしろ濃くなっている。
「ですが、夜は、本当の夜はこれから始まるのです」
木霊に向かって羽根を投げ撃つ。
その方向にはウェスペルジオがその羽根を片手で受け止めていた。
何か、様子がおかしい。
プレステイルはその言いようもない違和感によって足を止めてしまう。
恐怖、そう言い換えても構わない。
ウェスペルジオがバサリとマントのような翼を開く。
その瞬間、黒い暗闇の光が放射状に広がる。
思わず、眼を覆う。
「貴女を優しき深淵の闇で包んであげましょう」
その声はプレステイルの耳元に優しく甘く、そして、殺意を持って囁かれた。




