6-1 とある角の夜
ついつい勉強に熱が入ってしまった。
最近、暗くなるのが遅いとはいえもう既に真っ暗だ。
清廉過ぎて逆に近寄りがたい雰囲気の少女、ミズアサギ・ケイは図書館から家に向かう帰り道をやや早足で進んでいた。
彼女はため息をつく。
「お父さま…心配して、ますね……」
スマホの液晶パネルをタッチするとギッシリと『お父さま』からのメールが届いてる。
すべからくその内容はケイを心配している旨の文だ。
「もうっ、お父さまったら」
夜の女性の一人歩きは危険だから……、確かにその気持ちは申し訳ない気持ちを感じずにはいられない程に分かる。
相当心配して貰えて嬉しいのだが、少し度を超えてる気がして息苦しく感じることがある。
いい加減子離れして欲しいものだ。
暗く人っ子一人いない道を歩いているせいか、妙に靴音が響く。
……何も無いのに振り返ってしまう。
当然自分以外誰もいない。
「はぁ、早く帰りますか……」
いない方が逆に安心出来るのだが、それがかえって怖さを煽っている気がする。
本当に何もいない。
まるで全世界たった一人だけしかいないようだ。
突撃、黒い影が目の前を通過する。
「きゃっ!?」
金切り声に似た鳴き声に思わず腰を抜かしそうになる。
早まる動悸を抑え鳴き声を追うと黒い影が街灯に照らされ姿晒された。
「なんだ、コウモリ、ですか」
胸を撫で下ろし、ホッとする。
早く帰ろう、ここから早く離れたい一心で前を向き歩き出す。
だが、直ぐに止まる。
視線は約5m程先にある街灯の下。
まるでスポットライトに照らされるように1人の男性が佇んでいた。
その男は燕尾服を纏った背が高くスラリとした体躯、そして蒼白の肌がこの世の者とは思えない耽美な印象を覚える。
ケイは目をこすった。
さっきまでは確かに誰もいなかったはずだ。
どこから現れたのか、知識を総動員しても理解出来ない。
一つだけ言えるのは何か得体の知れない恐怖を感じると言う事だけだ。
男がケイの存在に気が付きと歩み寄り声をかける。
「コンバンハ、麗しいお嬢さん。 月が綺麗ですね」
「ご、ごめんなさい。 私まだ死にたくありません」
唐突に言われたケイはしどろもどろに成りながら答えた。
男は残念そうに笑い、更に続けて言う。
「ーーでは、これでどうでしょう?」
男の手がケイの頬に触れる。
ピクリと硬直する。
彼が薄く笑うとその合間から白い牙のような歯が輝いた。
美しく整ったその顔に人知を超えた恐怖を感じる。
ぐいっと彼女の手を引き寄せた。
「ふふふ、怖がなくてもいい。 私に全てを委ねーーウボァッ!?」
「きゃーーっ!」
引き寄せられた手とは逆手による見事なボディブロー、男はみっともなく這いつくばる。
その隙に手を振り払う。
早くこの変質者の元から逃げ出したい。
「す、寸分違わず急所を、ね、狙うとは…ゴボっ!」
力尽き倒れる男を尻目に駆け出す。
見たくも無い吐瀉物で折角の美形が台無しに思えたが関係無い。
一刻も早く、1秒でも早く。
曲がり角を曲がる曲がる、真っ直ぐに逃げる、息が切れるのも構わずに。
明かりが見える、コンビニだ。
火に引かれる虫のような気持ちでコンビニに走り込もうとする直前、誰かがヌッと現れ正面からぶつかる。
「きゃっ!」
小さく短く悲鳴をあげて尻餅をついた。
彼女がぶつかった人物は物腰スマートに手を伸ばす。
差し出される手に思わず縮こまる。
「大丈夫っすか? ーーって生徒会長じゃないっすか」
声をかけられ始めて気がつく、彼はどこかで見たことがある。
そう、以前確かカガミ・セツナと一緒いる所を見たことがある。
セツナのクラスメイト、名はスミゾメ・シュンだったはずだ。
「……あ。 スミゾメさん……」
「シュンで良いっすよ」
ぐいっと彼女の手を優しく引き立ち上がらせる。
「怪我してないっすか? 生徒会長」
「え、えぇ、大丈夫です」
シュンは、良かった、と心底ホッとしたようだ。
そして、スポーツマンらしくニカッと爽やかに笑った。
心臓がドキドキと跳ねた。
「ところでどうしたんすか、そんなに息を切らせて?」
その言葉にハッとする。
そう、ときめいている場合じゃない。
彼女にしては珍しく声を興奮させて言う。
「変質者! 変質者が出たのですよ! スミゾメさん!」
「変質者、すか? シュンで良いっすてば」
シュンは思わず聞き返した。
まぁ確かに夏休みのシーズンであるし、暑さでおかしくなった人が出てもおかしくない。
彼女は興奮するのをなだめられつつも続きを話す。
「私、襲われそうになってついボディブローを……」
「ボディブロー!? ……あ、案外アグレッシブなんすね」
「だ、誰にも言っちゃダメですよ!」
顔を真っ赤にして制す彼女。
もとより誰にも言うつもりはなかったがシュンは苦笑いしながら、了解っす、と頷く。
「会長が意外と武闘派なのは分かりましたが……女の人が夜道で1人と言うのもよろしくないっすね」
ケイの頬が更に紅潮する。
そして小さく、だから言わないで下さいよ、とボソボソ言う。
彼は縮こまる彼女を見て続ける。
「良ければ俺にエスコートてもらえませんか?」
「え?!」
その発言に驚く。
シュンは彼女に引かれたと思ったのか慌てて訂正する。
「ーーあの、ですね! 下心があるとかそんなんじゃなくてーー。 会長が心配ってわけでーー、あ〜何言ってんだオレ……」
何を言っていいのか分からなくなって弱り果てる。
しかし、彼女の顔がパッと明るくなる。
「よろしくお願いします!」
「そうっすよね、迷惑っすよね……って、え?」
今度はシュンが驚き聞き返す。
「会長?」
「私恥ずかしながら捕り物帳に憧れてたのですよ!」
ケイは目を輝かせ、まるでワクワクといった擬音さえ聴こえてきそうな雰囲気だった。
シュンが後ずさる。
「そうと決まれば行っちゃいましょう!」
「オレ、今度から会長をマトモに見れないっす……」
引きずられるように連れて行かれた所はケイが先ほど耽美な変質者に襲われそうになった場所だ。
彼女は鼻息荒く数m先のブロック塀の角を指差す。
「そこの角ですよ!」
「生徒会長…ノリノリっすね」
半ば呆れながらもそっと角から顔を出し様子を伺う。
ケイはキラキラとした目で彼の背中を見ていた。
その背中が息をつき振り返り頭をかく。
「ーー誰もいないっすよ」
「そんなはずーー!?」
バッと彼を押し退けるように身を乗り出す。
彼女は目を疑った。
そこには誰もいない、いた痕跡すらない。
道を背景に街灯のスポットライトが空気を照らしているだけだ。
「ーーあれからおよそ5分程度……確実に鳩尾に決まった……果たしてアレでここまで痕跡を消せるものでしょうか……」
ケイはボソボソと独自の推理を始め、その場をウロウロしだした。
その表情は名探偵のように鋭い。
「これは情報を一度整理してみる必要がありますね……」
「ちょ、ちょい! 生徒会長!?」
考え込み下を向き歩いて行く彼女にシュンは慌てて声をかけた。
彼女は前を向き彼に振り返る。
その表情には微かに鋭さが残っていた。
「あ、スミゾメさん、お疲れさまでした。 お気を付けて」
一言だけでまた顎に手を当て、あぁでもないこうでもない、とスタスタと夜に消えて行った。
有無言わさぬ彼女にシュンは呆然と立ち尽くし、そして呟く。
「ーーオレの扱い雑じゃね?」




