5-2 ある日森の中クモさんに出会った
「セツナくん、どこ行っちゃったんだろ」
ナユタは彼が飛び去った方向をキョロキョロと探し回っていた。
「探すお姉ちゃんの身にもなってよね」
プンスカと一人寂しく怒る。
……虚しい。
確かにプレステイルの正体が彼だと目の当たりした時は驚いた。
大いに驚いた。
一瞬思考がフリーズしてしまうくらいに。
彼も同じく驚いていた。
いや、むしろ、やっちまった! 、と言う感じであろう。
そして、思わず逃げた、そんなとこだろう。
だけども逃げることなんか無いのに、ナユタは思う。
「セツナくんてばシャイだなぁ……」
ここに彼がいれば、そういう問題じゃない、とツッコむところだろう。
そんなこと露知らず、セツナがいそうな場所を練り歩く。
「……こっちかな?」
段々と人気が無くなっていく事に気付かずに郊外へただ前進していく。
公園、飲食店、脇道……あらゆる隠れそうなとこを覗き込む。
「そっちかな!」
いない、いない。
いや、彼の事だ。
逆に彼が関連が無さそうなところにいるかもしれない。
ゴミ箱の中、雑貨アクセサリー屋、女子トイレの中……最後のは無いか。
例え女装が妙に似合っているとしても、それとこれは別だ。
流石に彼女でも彼を受け止めることができる気がしなかった。
「やっぱし罠を作らないとダメかなぁ」
ナユタはひたすら探し回った。
しかし、彼の後ろ姿はおろか彼がいた痕跡さえ見つからない。
もしかしてもうこの街にはいないのかもしれない。
そう考えると急に心細くなる。
「案外近くの自然公園にいたりして……。 ということは戻らないと……ってあれ? ココドコ?」
グルリと見渡すと木、木、木……狭い山道のど真ん中だった。
少なくとも大空市内では無いだろう。
まだ真っ昼間なのに鬱蒼と生い茂る木々が陽の光を遮って薄暗い。
風がおどろおどろしく吹き抜け恐怖を煽る。
「こんな時の為の……てね」
ナユタはカバンからガサガサとケータイを取り出しポチりと起動する。
「ーーですよね〜」
予想を裏切らず、案の定、安定の圏外である。
2024年現在、一部地域を除く山でも最低限の電波は飛び交っている為、ケータイをある程度問題なく使用できる。
問題はここが除かれた一部地域なのか、森の中であるということなのか、いずれにしても繋がらないことに変わりが無い。
「やっぱし文明の利器に頼りすぎてもダメだよね」
何かに納得するように一人で頷き、そそくさとケータイをカバンの中に入れる。
「こんな時はおばあちゃんから貰った秘密武器の出番だね!」
確かにこの辺りにーーカバンをまさぐり、そして丁寧に折りたたまれた紙を取り出す。
「地図、君に決めた!」
祖母の声が反芻する。
ナユタや、あなたは方向音痴だからこれを肌身離さず持っていなさいーーナユタは祖母の優しさを感じてじんわりと涙ぐむ。
「おばあちゃん、ありがとう」
泣くのはまだ早い。
ここから家に帰り着いてからにしよう。
ナユタがグシっと涙を拭う。
感謝しつつカサリと紙を開く。
どれどれと図上をなぞり地形と照らし合わせる。
早速問題にぶち当たる。
「ってこれ世界地図だ! 範囲が大き過ぎだよ、おばあちゃん!」
おばあちゃん、わたしに何を求めてるの?ーー祖母のお茶目な笑顔が目に浮かぶ。
孫のノリツッコミ力でも鍛えて芸人にでもさせたいのだろうか。
複雑な表情で世界地図を律儀に折りたたみカバンの中に入れる。
そもそもの問題、仮にこの周辺の地図があったとしても好転はしないだろう。
第一地図を見ても詳しい現在地がわからない。
それほどまでに周りに見える地形は木々によって遮られていて目印となる地形・地物が見えないのだ。
そもそもナユタは地図に疎く、地理の授業でもハットトリックをかますほどに苦手なのだった。
ナユタは眉間にしわを寄せ、カバンの中をあさくる。
何か使えるものが無いものか。
そして、黄色い分厚い本に手を掛ける。
「! タウンペー……はケータイ、圏外だったね……」
これも却下。
ちなみにこれも祖母から持たされた物だ。
今のご時世使うことが無いせいか、見るまで常にカバンの肥やしになっていたことを忘れていた。
道理でいつも重いはずだ。
その場に捨てて行きたかったが、ポイ捨てはダメだよね、と再びカバンに入れた。
ナユタの腹の虫がキュルルと鳴く。
「そういえばお昼まだ食べてなかったなぁ」
腕時計を見るともうおやつの時間を回っている。
今日は終業式、学校は午前中で終わっていたのだ。
何かに食べるもの入れてなかったっけな、とナユタがカバンの中を探す。
……無い。
無駄なものはあるクセに必要なものは無いんだ、彼女はぺたりと項垂れため息をつく。
「ーータイミング良く誰か通りかかって……くれないよね?」
ナユタがまたため息をつく。
期待はするものの、それは絶望的であろう。
森の中、それも地元の人でも寄り付かないような、暗くて深い森の中だ、通るはずがない。
現にさっきから誰ともすれ違っていない。
だが、そんな時だ。
ガサリと葉が揺れる。
ナユタは驚き、音の方を見た。
『ーーったく! 転送座標をミスるとかざけんじゃねぇぞーー』
若い男だ。
聞いたことが無い言葉をしゃべっている。
外国の人だろうか?
そもそも、人のことは言えないのだが、何故こんなところにいるのだろうか?
疑問はあったもののナユタは思わず木の陰に隠れる。
『ーーこの際、転送座標がキロ単位でズレてたことは良しとしよう……。 だが、障害物のすぐそばに転送するなぞ正気の沙汰じゃねぇぞーー』
男が唾を吐き捨て悪態をつく。
素行は見ての通り言いとは言えない。
隠れた理由は素行の悪さから来る怖さからではなない。
もっと別の、命に関わるような、謎の恐怖が身体を突き動かしたため、そう表現してもいいだろう。
『ーーフェニーチェめ、俺を岩の中に転送するつもりだったのかよ』
幸い男はナユタに気付いている様子は無い。
逃げるなら今のうちだ。
逃げて早くセツナに伝えなければならない。
しかし、どうやって? ……いや、考えるのは後にしよう。
ここから離れるのが先だ。
ナユタは四つん這いのままそっとこの場から離れる。
しかし、どうしてあの男の人を怖いと感じたのだろう。
初めて見るはずなのに。
ナユタはそっと振り返る。
男は相変わらず悪態をついていた。
やっぱり見覚えが無い、不安にかられただけかもしれない。
ナユタは歩を進めた。
「ーー触らぬ神に祟りなし、だよね……」
ペキッ、踏み潰した木の枝の音が静かな森の中に響く。
『ーー誰だ!』
男が音の方を向き叫ぶ。
血液が逆流しそうなほどサッと血の気が引く。
男が近づいて来るが、ナユタの正確な位置まではわかっていない。
「……に、にゃー……」
「何だ、猫か……」
男は納得したのか、ナユタとは逆の方を向き何処かへ歩いて行く。
立ち去ったのを確認してナユタはホッと一息をつく。
……何かが変だ。
「御粗末なモノマネだったのに……」
「ーー俺もそう思うぜ?」
男が見下ろしていた。
サディスティックに輝く双眸にナユタは悲鳴すらあげることが出来なかった。
「これはまたデカイ雌猫がいたもんだ」
含み笑いする男を前にぺたりと腰を抜かす。
動くことすらままならない。
男がナユタの今にも泣きそうな顔を見て眉間にしわを寄せる。
「よく見りゃテメェはーー」
「……あ、あなたは?」
ナユタの問いには答えず男が大声で嗤う。
彼女は言いようも無い恐怖の正体を悟った。
「オイオイ、この俺を忘れたつぅのか? ーーそんじゃ、変身ェ!」
顔が裂け、腕が生え、男が異形の者に変化していく。
蘇る恐怖、男は既に蜘蛛男、ベネノパイダスに変わっていた。
「クックック、テメェにはプレステイルをおびき出すエサになってもらう」
あのトラウマが蘇ってくる。
震えが止まらない。
ベネノパイダスの眼が紅く輝きナユタに肢が伸びる。
葉が揺れ、鳥が怯え飛び立った。




