2-6 チーズケーキの甘酸っぱさとまたピンチ
カフェ・アステロイド。
人通りの多い国道から脇の小道に入って行ったところにひっそりとそれは建っている。
アンティーク調とモダン調が織りなす空間は新鮮で物静かで何処か懐かしくもある。
今年の3月に開店したこのカフェは学校から近い事もあり放課後に利用する学生も少なくなく、特に今は学校帰りで店が一番賑やかな時間であろう。
彼女たちが待ち望んでいたこの店一番人気のチーズケーキが2つ、目の前にちょこんとお座りになっており、見るだけでも目が満足しそうなくらいの幸福を感じる。
だのに、真向かい側に座るナユタはどうも不機嫌である。
「君の好きなチーズケーキだぞ、さぁお食べ」
ナユタはハッして目の前にいるショートカットと赤いセルフレームの眼鏡が印象的な彼女を見て、ちょっと聞いてよレキちゃん、とねだるように言った。
「セツナくんってば、朝から何となく冷たいの」
昼休みに会いに行っても何処にもいなかったし、何故か全てニアミスで朝から会えてない。
……作為的なものを感じる。
「少年がクールなのはいつものことだろ?」
彼女、ハネズ・レキはさも、当然だ、と言いた気にコーヒーをクイッと飲む。
いい豆を使ってるな……ガムシロップの味しかしてないけど。
ちょっと違うんだよねーーナユタはストローでくるくるとレモンティーをかき混ぜる。
カランコロンと氷のいい音が響く。
「何というか……露骨に避けてる的な?」
レキがこの店一番人気のチーズケーキを口元に運びパクつく。
口の中でとろけているというのにまるで爽やかな甘さと心地良い酸味に包まれているようだ。
まさに絶品としか言いようがない。
「夫婦喧嘩かい?」
「ち、違うよぅ!」
ふーふって…あの夫婦!?
わたしと! セツナくんが……!
みるみる間に顔がリンゴのように変わるのが分かる。
ニヤけそうに、いや、ニヤける。
ここにベットがあるならば、枕に顔を埋めてベットの上でゴロゴロ転がっていただろう。
いや、でも、えっと…ーー頭の中がぐるぐるぐる混乱してる。
レモンティーも無駄にカランコロンカランコロン鳴っている。
「『今夜は離さないZ☆E。 ベイベー』」
「ふにゃ!?」
脳内変換されてしまう…!
お世辞にも似てないモノマネでも今のナユタには効果は抜群だ。
もちろんそんなセリフをセツナは言ったことないし、これからも絶対に言わないであろう。
が! それ故、それだけに破壊力は計り知れない。
「……うぅ、悶え死にそうだよ、れっきぃ」
「それはそれで面白いーーっとナユが死ぬのは悲しいな」
ニヨニヨと彼女が笑う。
もう、知らない!ーーナユタが頬を膨らませ、プイとそっぽを向く。
「それはそうとヘソ曲がり姫よ。 それ、食べないのかい?」
チラッと横目で見ると、レキは彼女の分のこの店一番人気のチーズケーキをフォークでツンツンしていた。
大好物が他の人に食べられるのを誰が黙って見てられると言うのか。
「た、食べるってば!」
そもそもこのチーズケーキを前にして食べないと言う選択肢は存在しない。
あるとすればそれは神への冒涜に等しいのだ、と彼女は思う。
レキが露骨に残念がるふりをする。
そんな彼女を横目にまずは一口、パクリと頬張った。
瞬間、駆け巡るノスタルジーな味わい。
その優しい甘さはDNAの奥深くに刻まれたのどかな田舎の情景が蘇るようだ。
そして、それは口の中でふんわり溶けていき、爽やかさだけを残して消える。
まるで夕陽を浴びて黄金に輝くライ麦畑を2人で追いかけっこした甘酸っぱくも切ない想い出が濃縮されたよう……。
そして、その青春の日々は瞬く間に過ぎて行く。
チーズケーキ、とても美味しゅう御座いました。
「ナユ? どうしたんだい、目頭に涙溜めて?」
「急に田舎のおばあちゃんに会いたくなった…」
……いけない。
つい自分の世界に入ってしまっていたようだ。
ああ、目頭が熱い。
「親子三代にわたってチャキチャキの街っこが何を言う」
「そ、そうでした…」
鋭い…!
流石、抜き身の日本刀と評される程のツッコミ力…!
その威力まさに斬鉄剣。
話は逸れるが彼女の祖母は存命であり、今は遠き古き良き激動の時代をバリバリのキャリアウーマンとして過ごしてたらしい。
その姿はまさに女海賊とか女極道とか女傑とか言うべき豪快な方であった、とは彼女の祖父が語るところ。
しかし、今は全然そんな風に見えないくらいお茶目でとてもかわいいおばあちゃんなのだが。
目の前に座るレキの目に憂い、あるいは哀れみの光が微かに宿り微かに薄く笑う。
その小馬鹿にした視線がとても痛い。
「うぅ…、セツナくんもレキちゃんもわたしを馬鹿にして…」
「私は馬鹿にしてないぞ? むしろ尊敬している」
「レキちゃん…!」
先程とは違う、にっこりとした微笑みでナユタを見つめる。
ちょっぴり気恥ずかしい気もするけど、やっぱり持つべきはお互い尊敬…信頼し合える心の親友だよね…!
「ーー私はただ、ナユで遊んでるだけだ」
「余計悪いよぅ!」
前言撤回、やっぱりわたしで遊んでるだけでした。
……わたし人間不信になりそうだよ。
ナユタと対象的に彼女はとてもいい笑顔だった。
「ところでナユ、もう一つ如何かな?」
「う……食べる」
申し訳なさそうに言うとレキは手をあげてウェイターを呼び付けた。
うう、これじゃ食べ物で誤魔化されたみたいだよぅーーナユタは微妙な笑顔のまま窓の外の通りを見た。
心地良い風が通り抜けた。
「やっと見つけたぜ、嬢ちゃん」
唐突に声を掛けられて一瞬自分に話し掛けられている事に気付けなかった。
ナユタが顔を上げると傍らに何時の間にかいたのか、男が立っている。
細い、狐のような目がとても特徴的だった。
手が掛かる嬢ちゃんだーー男はやれやれと肩をすくめた。
「……ナユ、知り合いかい?」
首を横に振る。
記憶のどこを探っても見覚えがない。
お互い初対面のはずだ。
……新手のナンパかな?
「あの……あなたは?」
ナユタがおずおずと尋ねると男は、おっと失礼、とオーバーにリアクションをした。
「俺の名前はパルイフォックス。 嬢ちゃん、あんたに会いたくて銀河の彼方から遥々来たぜ」
男は細い目を更に細めニヤついた。
これ以上無いほどにサムいセリフだったが、ナユタは冷たい視線に悪寒が走った。
「もう逃げられんぜ?ーー『変身』……!」
気が付いた時にはもう遅い。
男の姿がみるみる間に変身していく。
ざわめく店内を他所に男の口が裂け、耳が伸び、黄金の体毛が伸びて行く。
まるでいつの日にか見た狼男の映画のようだ。
残念ながらこれは特撮でもなんでもなく、現実だ。
ただ恐怖を与えられるがままに感じるしかなかった。
その姿は狼男ならぬ狐男。
ナユタはハッした。
もしや昨日の件の関係者なのではと。
しかし、考えること事体もう無意味かもしれない。
狐男は腰のホルスターから銃を取り出す。
そして、天井に向かって銃を撃つ。
ざわめく店内はその一発で水を打ったように静まり返った。
「ーーIt is clobbering time!」
彼の牙が怪しく光った。




