7話 侍女視点の主
私はリディア。ミレイユ様が5つになった時からお仕えしている。
3年間、ミレイユ様の侍女として一番近くにいた。だから分かることがある。
庭園で頭を打った日を境に――あの方は、別人のようになった。
◆
ミレイユ様は正直に申し上げれば、手のかかるお方だ。
気に入らないことがあれば癇癪。
紅茶の温度が違えば叱責。
他家の令嬢が少しでも目立てば露骨な嫌味。
「わたくしが一番でなければ意味がないの!」
それが口癖だった。
自尊心は高く、負けず嫌いで、感情がすぐ表に出る。
……それでも私は嫌いではなかった。
いや、正確に言えば好きでも嫌いでもないが正しい。ミレイユ様に特段の感情を抱いたことがなかった。
私は没落貴族の一人娘。好調だった事業が失敗し借金まみれ。
そんな私が何故、侯爵家で侍女をやっているのか。これは簡単な話だ。
そう、実の親に売られたのだ。借金を肩代わりする対価として。
そこからは、あまり覚えていない。私の意志とは関係なく話が進み、いつの間にかこの屋敷の侍女となっていた。
一通りの作法を学び、人前に立ち、数か月が経った頃。私はミレイユ様の侍女として仕えることを命じられた。直接会ったことはなかったが、良くない噂は屋敷中に蔓延していた。
癇癪に耐えられず辞める者、機嫌を損ねクビにされるもの。
そんな我儘な人間を相手にさせるのに、私は適任だったのだ。侯爵家の侍女ともあれば、貴族の出も多いため、度が過ぎると周りの目も自ずと厳しくなる。
その点、私は没落貴族の出身。辞めたところで侯爵家にとってデメリットが何もない。
それに、私には選択肢がなかった。生きるためには今の環境で言われたことをやるしかない。
だから、ミレイユ様の我儘は我慢できた。野垂れ死ぬよりはマシ。そう思えば大抵の我儘は流すことができる。それに、言うことを聞いてればお金がもらえ、その日が終わっていくのだから。
けれど——
庭園で炎が暴走しかけたあの日、氷で鎮火されたあと。
ミレイユ様は、燃え残った花壇を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……死ぬかと思いましたわ」
それは、癇癪でも怒声でもない、本物の恐怖。
そして、次の瞬間、私に向き直り。
「リディア、怪我は?」
そう聞いたのだ。
私は言葉を失った。以前ならまず自分の体面。次に怒り。
使用人を気遣うなど、後回しだったはず。
「……ございません」
そう答えると、ほっと息を吐いた。ただ、その仕草が、あまりにも自然で―—
逆に、怖かった。
◆
その日以降、ミレイユ様を注意深く観察していると、最近人を怒鳴っていないことに気が付いた。
小さく深呼吸をするようになった。
「これは新たなフラグ……?いいえ、落ち着きなさい、わたくし」
癇癪の代わりに、意味の分からない独り言が増えた。
けれど、確実に変わってきている。
以前は“勝つこと、目立つこと、一番になること”が目的。
それがどうだろうか。
今は”何か”を恐れている。それが何なのかは私にも分からない。
ノア殿下からのお茶会の申し出があった日もそうだ。
以前なら飛び上がって喜び、勝ち誇り、甘えた顔を見せたはず。
だが違った。
「……今回は、わたくしからではないのよね」
鏡の前で、戸惑っていた。期待よりも不安。
それに、お茶会ではあろうことか、小さい子供を庇い、ドレスを汚されたのだ。
あの時は本当に驚いた。今までのミレイユ様なら、まず子供がお茶会に乱入したことに激しく怒りをぶつけ、庭師を叱責。その後、私にもありがたいお言葉を頂戴することになっていただろう。そんな方が子供を庇うなんて.....
第三王子レオニード殿下が来訪された日のこと。
私は、怒号を覚悟していた。
以前のミレイユ様であれば、王族が突然訪ねてきたと聞いた瞬間、
「すぐにお通しなさい!」
と目を輝かせていたはず。
しかも相手は第三王子。自分が“注目された”と受け取り、鏡の前で入念に身支度を整え、誇らしげに笑っただろう。それが当然の反応だった。
けれど、あの日も予想が外れた。
「……どなたが?」
聞き返す声は、明らかに硬かった。
私の報告に、持っていた本を落とし。
「なぜ……?」
と、本気で困惑していた。
喜びではなく、警戒。そして――わずかな恐れ。
応接室へ向かう前、また意味の分からない独り言つぶやく
「....淑女..淑女...とにかく破滅フラグは笑顔で...迎え撃つものですわ」
“迎え撃つ”という言葉に引っ掛かりを覚える。
王子の訪問は、かつては“誇り”だった。
今は“危険”なのだ。
そして、殿下と対面した後も浮かれていなかった。
距離を詰められ軽口を叩かれても、舞い上がるどころか、必死に均衡を保っていた。
殿下が去った後、私が何かありましたか、と声をかけると
「……わたくしにも分かりません」
その声にあったのは、高揚ではなく疲労だった。
◆
私はある日、思い切って聞いた。
「ミレイユ様。その...何か、ございましたか」
一瞬だけ、目が揺れたように見えたが、すぐに微笑む。
「いえ、特に何も」
そういった後に、顎に手をあて考えるそぶりを見せる。
「ただ、そうですね...強いて言うなら...少し…少しだけ…目が覚めただけですわ」
「左様でございますか.....」
目が覚めたという言葉だけでは到底納得できなかったが、私はそれ以上聞くことができなかった。
◆
「リディア」
ある日の午後、ミレイユ様に呼び止められる。
「如何いたしました、ミレイユ様」
「そのね....もし...もしもの話なのだけど」
ここ最近にしては珍しく、歯切れが悪い。
「もし...もし、わたくしが以前のように戻ったら...どうします?」
戻るとはどういう意味だと逡巡するが、私は今の思いをそのまま言葉にする。
「止めます」
「今のミレイユ様の方が、わたくしは好きでございます」
沈黙。
それから、ミレイユ様は小さく笑った。
「……そう。よかった」
その笑みは、勝ち誇った笑顔ではなく、安堵した笑みだった。




