『 』
「けい……?」
篠宮恵を見て、美羽が呟く。
「神崎、わたしの親友に何をしたの?」
「しん、ゆう?」
「そうだよ。わたしは美羽の親友で、何があっても美羽の味方なんだから。それで、神崎――さっさと答えてよ」
「……」
(ははっ、ありがとう。美羽を見捨てないでくれて)
美羽と仲違いさせた原因が言うのもなんだけど、私は今篠宮恵にすごく感謝をしていた。
だって、彼女たちが来なければ、私も、美羽も、幸せな結末に行けなかったから。……せめて、美羽だけでも、幸せになればそれでいい。
「神崎、これについて説明をしろ。先生として、これは見逃せないからな」
担任の先生が、私のことを睨みつけ、場の空気が張り詰められていく。
あー、怖い怖い。それなら正直に話すよ。
「いじめだよ」
「ちがっ……」
「クラスメイト達や美羽自身の弱みを握って、美羽のことをいじめていただけ。美羽、私のことを庇う必要はないよ。もう、手遅れで、この秘密を使って脅すことは出来ないんだから。はい、これが証拠、パスワードは設定してないから」
美羽が私を庇おうとしてくる。はは……出来ればやめてほしいな。いじめた人物を庇うことって、わりとトラウマになっているんだ。
だって、私は幸せになれないということを、突き付けられているような気がするからさ。
「くれはっ」
「あ、今は私だけだったけど、山本や竹田も一緒になっていじめてたよ。これでいいでしょ。じゃあ、話はおしまい」
先導したのは確かだけど、美羽のことをいじめたのは彼女たち自身の意志。
だから、その報いを受けるのは当然でしょぅ?
(これでいいよね)
そうして、私は階段から下の階へと降りようとする。伝えなければいけないことは全て伝え終わったし、何より、美羽以外と話す必要性は感じないから。
でも、それは私の自己満足だったらしい。その証拠に……
「ふざけないで!」
篠宮恵が、私の方へと近づいてきて、頬を全力で叩く。今は美羽が近くにいるから、しっかりと痛覚が働いてくれて、頬を全力で叩かれた衝撃が、じん、と遅れて広がる。
熱い。痛い。
でも、それ以上に――
(……はは、ありがたいや)
この痛みのおかげで、私の心の痛みは和らいだ。
体の痛みとは違って、心の痛みは一向に治らない。だから、別の痛みで麻痺させてくれるのは、本当にうれしかった。
篠宮恵は、怒りで顔を真っ赤にしていた。
私が階段を降りようとした瞬間、感情だけで動いたのが分かる。
「痛ったいなぁ。まぁ、これはこれでいいんだけど」
「さっきから聞いていれば……美羽はこれよりも、もっと辛くて痛い目にあってきたんだよ。なのに、何でそんな態度なの⁉ ふざけないで、神崎のせいで、美羽はこんなにも辛い目にあったんだよ!」
「あっそ。で、どうすればいいの? 謝罪? 土下座? それとも、慰謝料? できれば、慰謝料はやめてほしいな。懐がとても寒いから」
「神崎……アンタって人は!」
篠宮恵がもう一度拳を振り上げ、私に向かって振り下ろそうとした。
けれど、その拳が私に届くことは無かった。それは、担任の先生が恵の腕を掴んだからであり、女子高校生と成人男性、力の差は明確だった。
あーあ、もったいない。
「篠宮、どんな事情があっても、暴力は駄目だ。ただ、神崎の態度も褒められたものじゃない。むしろ、反省の気持ちを見せたらどうだ? それに、このいじめについては、保護者にも報告するからな」
保護者? 馬鹿馬鹿しい。あの親戚の人が、私のことを気にかけてくれるわけないじゃんか。
「いいよ。あの人はどうせ、私に興味ないから。それと、奨学金についてはこれで取り消しでしょ? 取り消しの手続きとかはある?」
「神崎、俺が言ってるのはそう言うことじゃない」
「ああ、説教ね? さっさと終わらせて。『いじめは良くないことだ』なんて、耳が痛くなるほど聞いた話だから」
「神崎!」
先生の声が鋭く響いた。
でも、その言葉を聞く理由なんて無い。どうせ、この一件で奨学金は取り消し、だから学費を払うことが出来ず、退学になることは確実だったからだ。
でもね――
「だって、私は美羽をいじめたことに、後悔はしていないから。反省しろって言われても、出来るはずがない」
そう言って、私は扉に手をかけ、階段に足を踏み入れる。
「じゃあね、私の美羽。元気に生きなよ。もう、会うことはないと思うから」
できれば、今度は友達としてやり直したいな。
でも、私は美羽のことをいじめてしまったから、もうやり直すことなんて出来ないんだ。
静かな階段を下りていく。
今は授業中だから、いつもはうるさい場所も凄く静かで、私の足音だけか響いていく。
まるで、私の心のように伽藍洞だ。
――――――――――――――――――――――――
「何かいいのはないかなーっと」
私は、あの後授業に戻らず、無断で学校から帰っていた。
でも、家にいてもすることは無いし、アルバイトも無かったため、ただこの街を散歩していだけ。今までの人生で、一番無価値で一番穏やかな時間を過ごしていた。
そして夕方になり、私はコンビニで今まで口に入れたことが無いオレンジジュースと焼き肉弁当を買ってみた。
普段は金の無駄になるだけだから買わないのだけど、もういいかなと思っていたから。
けれど、その帰り道――
「美羽?」
「あ、紅葉」
古くてボロボロのアパートの前で、私は美羽と会うことが出来たのだ。
「どうして、ここに?」
「うーん、何となく?」
「逃げないの?」
「なんで?」
「だって、ここだったら、先生たちに見つからずにいじめることが出来るんだよ」
「いじめるの?」
「……しないけどさ」
まるで、長年の友人と軽口を交わすように、私と美羽の間で言葉が飛び交う。私はコンビニ袋を持ったまま壁にもたれかかり、壊れかけた街灯の下で笑った。
やっぱり、美羽と話すのは好きだんだなぁ。
「変なの。普通はいじめてきた人は避けるでしょ。もしかして、本当に壊れて私に依存しちゃったの?」
「ううん、別に。寂しいなとは思うけど、そこまで染まってないよ」
「なんだ、つまんない」
つまらないと口にしたけど、もうそんなことをするつもりはない。……だって、あれは悦びじゃなくて罪悪感だと知ってしまったから。
「それならさ、すぐそこの公園で少し話さない?」
「いいよ。すぐに行こう」
「……距離近すぎるでしょ」
この時間をもう少し味わいたくて、公園で話さないかと誘ってみる。すると、美羽が急に近づいてきて、私の手を掴んで走り出した。
その姿は、とってもいい笑顔で、見ているだけで心が癒されてくる。
「距離が近いって言うけど、もうキスをした仲じゃないの? それも二回も」
「……私からしたことだし、言い返せないや。あと、美羽の手って温かくない? それとも、人の手ってこんなにも暖かい物なの?」
「そうかな? 確かに、恵からは『美羽の手って、冬でも温かいね』って言われたことがあるけど」
「ふーん、そうなんだ」
「嫉妬してるの?」
「別に。美羽の親友なんてどうでもいい」
「嘘つき」
はたから見たら、いじめた側といじめられた側だとは思わないだろう。それほどまでに、今の私たちは笑顔で、仲良く話すことが出来ていた。
「前から思ってたけど、美羽ってなんで私のことを信じるの?」
「何でだろうね? わたしもわかんないや」
「変なの」
ほんと、美羽がもっと悪い子だったら、私はもう少し楽だったのに。
そんなことを考えていると、美羽が私の手を握り直し……いや、私の背中に手を回して、唇を近づけた。
「ねぇ、今日だけはわたしの体を好きにしていいよ。キスもいいし、暴力もいい。それ以上のこともしていいよ」
「なんで、そんなことを言うの?」
「紅葉が、一人ぼっちに見えるから。わたしだけは、一緒にいてあげたいんだよ」
(ほんと、温かい。このままずっと、こうしていたい)
けど、私にそんな資格なんてないんだよ。
「いたっ!」
「美羽は私の物なんだから、勝手なことをしないで。ほら、さっさと離れて」
「うぅ、まずは言葉で言ってよ。デコピンは駄目でしょ」
「今更じゃない?」
「……確かに」
ははっ、ほんと、こんな関係になりたかった。
「……ねぇ、紅葉。こうして笑ってると、いじめられてたことなんて嘘みたいだね」
「嘘じゃないよ。全部本当で私の罪。でも、今は……少しだけ忘れてもいいかな」
最後くらい、少しくらい楽しんでもいいと思うから。
「明日も学校で会える?」
「無理だよ。これはどうしようもないし、私自身も学校に行くつもりが無いから」
「どうしても?」
「うん。いじめたことは罪だと思っているけど、後悔もしてないし、反省もしてないからね」
そう言うと、私は美羽の腕の中から軽やかに身をほどき、踊るような足取りで距離を取った。
コンビニ袋をがさりと揺らし、中からペットボトルのオレンジジュースを取り出す。
キャップをひねって開けると、冷たい液体を一口だけ喉に流し込む。その液体は、とっても刺激的で、血なんかよりも、ずっとおいしかった。
「ははっ、おいしいなぁ」
「オレンジジュース、好きなの?」
「全く、今初めておいしいと思ったくらい」
みんな、こんなにもおいしい物を飲んでいたんだ。ほんと、羨ましいな。
「ねぇ、一つだけ、聞いてもいい?」
「うん、いいよ。何でも聞いて。紅葉の頼みなら、全部聞くから」
「それならさ、今でも私のことを友達だと思っているの?」
「うん。紅葉はずっと、わたしの友達だよ」
即答だった。美羽に考えた様子は一切なく、これが嘘だとは疑う余地も無い。
「……即答なんだね」
「だって、考える必要なんてないから」
(友達か……ははっ、夢は叶ってたんだ)
嬉しくて、胸がぎゅっとなる。
そっか、それでよかったんだ。憎むべき妹とか関係ない、美羽だけを見ていれば、この苦しみは無かったんだ。
「ははっ、そっか。それなら、よかったかな」
そう言って、私は袋の中にペットボトルを戻す。
「私はね、美羽のそういう所が、本当に――大ッ嫌いなんだよ」
嬉しい。友達という何よりも大事な存在が、私にもいたんだ。
それなら、この世界に生まれた価値があった。たとえ、自ら友達と離れる選択をしていたとしても。
「紅葉、忘れてるよ」
美羽、ベンチの上に置かれたコンビニ袋を指さす。
ああ、忘れていた。でも、いいや……美羽がいなかったら、味覚が無くなってしまうから、そんなもの食べたところで何も変わらない。
「ああ、それはあげるよ。美羽がいない私には、そもそも必要ないものだったから。じゃあね、ばいばい。私の分まで、幸せに」
私は振り返らずに歩き出した。
もう、会えない大事な友達。君がこれから幸せに生きてくれるのなら、それだけで私も幸せになれるよ。
「明日も、明後日も、その次の日も、学校で紅葉のことを待ってるから! だから、帰って来てよ!」
美羽が背後から大声で叫ぶ。
でも、私はそれにこたえなかった。
――――――――――――――――――――――――
「餓死か……愛に植えていた私にはちょうどいいかな」
私は、あれから何も口に入れなかった。もちろん、それは食べ物だけじゃなく、水のような水分もだ。
でも、私は普段から食べ物を食べるという習慣が無く、よくて一日一食、それもかなりの少量だけを食べていた。これなら、餓死が先か、脱水死が先か、それを襲うすることは出来なかった。
(でも、それでいい。私にはそれがしっかりだ)
五感に異常があって、世界のことを上手く理解できていなかった私には、死因すら中途半端なほうが良い。
だから、この選択に悔いは無いんだ。
渇きは無い。
飢えは無い。
それを感じることは出来ないから。
でも、その虚しさが、私の心を『』にする。
……いや、今のは嘘だ。心の『』の中にも、たった一つだけ存在するものはある。
『紅葉はずっと、わたしの友達だよ』
その言葉だけが、蝋燭の火のように心に灯っている。
(ははっ、なーんだ。最後の最後に、良いことはあったんだ)
どんどん意識が遠のいていく。
でも、私はそれすら気にならなかった。ずっと、ずっと願っていたことが、最後の日にようやく叶い、もう思い残すことが無かったから。
(あーあ、最後ぐらい呪詛を残そうかなって思っていたんだけど、もうできそうにないや)
まぶたが重くなり、世界の輪郭が溶けていく。
(ああ……これで終わりか。やっと、静かになれる)
最後に浮かんだのは、美羽の笑顔だった。
憎んで、壊して、縛りつけてきたはずなのに――どうして、こんなにも温かい。
その温もりに触れた記憶を抱いたまま、私は深い闇へと沈んでいった。
もう、呪いの言葉も、憎しみも、何ひとつ残せない。
ただ、心の奥で小さく願う。
――どうか、美羽だけは幸せに。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
ここで、紅葉視点は終わり、次話からは美羽視点に戻ります。
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