絶望的な正解と、希望を装った間違い(裏)
その日の放課後、いつも通り私は美羽のことを屋上で待っていた。
うん、何をためらう必要がある。だって、私はしっかり謝ったんだから責められるいわれなんてどこにもない。
「神崎さん……」
「あ、やっときてくれた。ずっと待ってたよ」
秋と冬の境目。風が冷たく肌を刺してくる屋上で、私と美羽は向かい合う。
距離は三歩。多少離れているとは言え、一瞬で詰めることができる距離。その短い距離を挟んで、私たちは見つめ合った。
「今日の昼休みのことは、本当にごめんね。あんなこと、私はするつもりがなかったから、これからもどうか私に愛されてほしい」
とは言え、ここは謝っておくべきだろう。いくら自分が大丈夫だと思っていても、他人もそう思っていると限らないのだから。
……共感という機能を持たない私なら、なおさら。
「……」
「あれ? やっぱり怒っているのかな? まぁ、優しい美羽でも、あんなことをされたら怒るよね……。うん、本当にごめんよ」
うん、どうやら私の考えは正しかったようだ。せっかく私がこうして謝っているのに、美羽は一向に許してくれない。
どうしてなんだろう? なんでなんだろう? こんなにも誠心誠意、謝ってるのに。
(謝るってのは、こういうことなんじゃないの?)
小学生の時などに、こうやって謝っている人を何度も見て来た。だから、あってるはずなのに。
「ねぇ」
美羽がやっと口を開いた。その口調は重みのようなものがあり、美羽が息を呑む音が聞こえる。
「神崎さん……いや、紅葉はなんで、わたしのことをいじめるの?」
そんなの決まってる。
「前にも言ったと思うけど……あれ? なんて言ったんだっけ? 忘れちゃった。まぁいいや、美羽のことを愛したいからという理由でいいかな?」
あれ? 前にはなんていったんだっけ? まあいいや、それなら本心を言ってあげるよ。
「……質問を変えるよ。紅葉の手首の傷は何?」
なんで、今頃そんな質問をするの?
これ以上話したら、私が異常者ってことがバレちゃう。そうなったら、いくら美羽だとしても、きっと私から離れてしまう。
「やめて。……また昼休みのようなことをさせたいの?」
「それなら、質問を変えるよ。初めて会った日に何かあったの?」
「もう、やめて。何でそんなことを聞くの?」
言えない。言えるはずがない。言いたくない。
本当のことを言ってしまうと、美羽はきっと自分のせいだと思い込んでしまう。そんなの、私は望んでない。
『今更? 今まで自分が何をしてきたのか忘れたの?』
うるさい。私は黙ってて。
「だって、わたしたちは友達だったはずでしょ。だから、また元の関係に戻りたいんだ」
「……いじめてる側と、いじめられた側だよ」
なんで、いじめられた側である美羽がそんなことを言うの?
私を恨むわけでもない、私に溺れるわけでもない。最初からやり直そうと、優しく言うなんて。
「ほら、紅葉が言うには、わたしって優しいらしいからさ。その程度のこと気にしないよ」
慈悲や優しさで満たされた目で、私のことを見てくる。
……なんで、それが成り立つの?
中学で私がいじめられてた時、いじめてきた人に対して優しく接しようとしていたけど、その時は……受け入れられなかった。
そんな愚行も、妹なら成り立ってしまうの?
「……どうして、美羽は……。なのに、私は……」
「紅葉?」
なんで、なんでなんでなんでなんで!
私と美羽の、何が違うの!?
父親は同じはずなのに、なんでここまで私が持っていない物を、美羽は全部持っているの!?
私だって、良い子になろうとして頑張って来た。
努力という点では、美羽に劣らない……むしろ、上回っているかもしれないほどだ! なのに、欲しい物は全て美羽が持っていいる。
「え?」
そんなの、許せない。
「ねぇ、美羽」
血の半分が違っただけで、ここまで違う人生を送るなんて、許せない。
「なんで、美羽のくせに、こんな生意気なことを言うのかな?」
今までは、美羽の意志で私の元に来るように仕向けていたけど、そんな甘いことはもうしない。
「ああ、そうか。こんな美羽は、美羽じゃないんだ。一回、徹底的に壊して、直さないと」
美羽は、私の苦しみを少しでもいいから知るべきだ。
だって当然でしょ。今まで私の物だったはずの幸せを奪っていたんだから、今まで私が受け取っていた苦しみも、代わりに受け取るべきだ。
私は美羽の頭を握り、どんどん力を込めていく。
そもそも、私に箍なんて物は存在しないんだ。自分の身体がいくら壊れようと、美羽に苦しみを与え続けることが出来る。
「くれ、は……」
美羽が、苦しみながら私を見上げる。その瞳には、怯えや苦しみで満たされていて、もう慈悲なんて無くなってしまった。
……それでいい。そんな目で見られるのは、とても耐えられないから。
「美羽、君はどうしたら効率よく壊れてくれる? 望みの壊れ方を、自分の口で言ってみて」
早く言って。言えよ。
「話しなよ、私が待っているんだからさ」
美羽の髪を掴んで、無理やり持ち上げる。
……ほら、この髪すらもそうだ。しっとりして、真っすぐで、私の髪と同じ物質だとは思えない。
「ああ、そういうこと。やっぱり美羽は優しいね。私に選択権をくれるなんて。なら、こうしようかな」
美羽を私にしよう。
妹は姉の跡を追うべきなんだから、何もおかしいことは無い。
「美羽、危ないから動かないでよ」
私は自分の鞄からハサミを取り出し、美羽の髪に刃を向けた。
こんなの、私は持っていない物なんだから――奪っても、良いでしょ?
「や、やめてっ!」
「やめないよ。美羽が壊れて、元に戻るまでは」
シャキンっと、金属同士が擦れる音が、夕暮れの屋上に響いた。髪は美羽の体から離れ、宿主を失った髪たちが上からパラパラと舞い降り、冷たい風に吹き飛ばされる。
肩のほんの少しまで伸びていた髪は、今では不揃いに短くなり、風に散らされた残骸だけが周囲に漂っていた。
指先で触れると、ざらついた切り口が痛々しく、まるで美羽の一部を奪った感覚が広がってくる。
「ほら、似合うじゃない。美羽はこうやって少しずつ直していけばいいんだよ」
ほら、これで美羽は私に近づいてきた。
……うん、そうだ。美羽もここまで苦しんでいるんだから、私の人生はきっと正しい道のりだったんだ。そうに決まってる。
今まで何も手に入らなかったことも、誰にも優しさを向けられなかったことも。
「なん、で……こんな。ことを……?」
美羽が掠れた声で問いかけてくる。うるさい、質問なんて許してない。
「だから元に戻すためだって。昨日までのような、私の言うことだけを聞いてた美羽にさ」
これからするべきことはわかった。だから、今日はここまでにしよう。
アルバイトもあるしね。
「今日は、これまで。明日も続けていくから、さっさと壊れてね」
そうして、私は美羽を屋上に残して階段から降りていく。
この行動に、後悔なんてない。だって、私は正しい行動しかしていないんだから。
『そんなわけないでしょ。これはただの八つ当たり。現実から目を逸らさないで』
「うるっさい! いい加減に私の声で、私を否定するな!」
ずっと前から私のことを苦しめてくる、もう一人の私がふざけたことを言ってくる。
うるさい、消えて! 私なんだから、私を肯定しろ。
声がした方向に拳を振るう。
でも、そこにあるのは壁だけ。そもそも、私の幻聴なんだから、実態があるわけがない。
鈍い音がする。拳が壁にぶつかって、その衝撃を全て私の身体が受け止める。
でも、痛みは無い。拳が少し黒くなっただけで、何が起きたのか自分でさえ理解できない。
それは、私に何もないことを証明していて、本当に悔しくなってくる。
(私には、何もない。正常な五感も、優しい両親も、苦しみを分かち合うことが出来る親友も。美羽が持っている物、すべてが――)
「なんで、私はこんな人生を送っているの? 教えてよ、お母さん」
返答が返ってくるわけない。母親はもう死んでいるし、もし生きていたとしても、こんな人生を送っている元凶の一人なんだから、何も教えてくれないに決まっている。
でも、私が唯一頼ることが出来る人は、物心つく前から虐待してきた母親しかいなかったのだ。
それが何よりも、虚しかった。




