神崎紅葉
「あははっ、もうちょっとで、美羽が私の物になる!」
美羽が私に堕ち始めた日の夜遅く。私は家の中で一人、興奮していた。
美羽がキスを受け入れてしまうほど私に染まったことは、何よりもうれしいことで、私がもうそろそろで救われるということだったからだ。
(美羽は、ずっと私の腕の中にいればいい。篠宮恵や、あのゴミみたいな親に接する時間なんて、与えたくない)
美羽が私に寄りかかってくれたあの瞬間から、何かが止まらなくなってしまった。
もっと……もっと深くまで来てよ、美羽。
そう願うたびに、心のどこかが軋む。
嬉しいのに、苦しい。
満たされているのに、足りない。
これはきっと、美羽がまだ私に染まり切っていないからだ。
美羽が完全に染まって、私から離れることが出来ないほど依存してくれれば、私もずっと普通の世界にいることが出来るんだから。
もしそうなったら、最初に何をしようかな?
おままごと? 積み木? 折り紙?
どれなら、美羽が喜んでくれるのだろうか?
――まともな幼少期を送れず、まともな五感も持っていなかった私は、このように幼く。幼いことすらも、自覚できていない。
あぁ、おままごとは出来るかもしれないけど、積み木や折り紙の物を買うお金がない!
これじゃあ、駄目だ。もっとアルバイトをしてお金を貯めないと。
……いや、わざわざそんなことをしなくていいじゃんか。せっかくなんだから、私たち姉妹のお金はお父さんに払わせたらいいじゃんか。
それなら、染まった美羽に、お父さんの金を盗ませよう。
――幼いから、良識なんてものも無い。私はここまで狂っている。
というか、学校なんていかなくていいよね。私と美羽が、ずっとこの家の中で一つになれば、きっと幸せになれるよ。
学校なんて不特定多数がいる場所に行ってしまうと、私の美羽が誰かに取られちゃう。
だから、この家の中に監禁しないと。
――さすがに、それらは駄目だよ。私が私だとしても、それ以上は駄目に決まってる。
『ダメだよ。もう、こんなことはやめて』
「誰……?」
知らない人の声がした。
……いや、私はこの声のことを知っている。生まれてから、ずっと聞いてきたはずだ。
「何で、私がそんなことを言うの!」
勢いよく振り返る。でも、そこには誰もいない。
当たり前だ。私は古びたアパートの一室で暮らしていて、ここのことを知っているのは親戚の人だけだ。
その親戚たちも、私の家になんて来るはずがない。だから、この家で声がするなんて、絶対にないはずだ。
しかし――
『分かってるでしょ。私は私だよ』
その声は、私の声と同じ高さで、同じ響きで、同じ癖を持っていた。
だけど、私じゃない。私のはずがない。
「ふざけないで……そんなわけ、ない!」
私なら、美羽のことをもっと染めさせて、依存させるようにするはずだ。
それが、私が幸せになる唯一の方法なんだから。
しかし――
『それが幸せにならないことなんて、本当はわかってるでしょ』
私はそんなことを言ってくる。
違う、違う……そんなわけない!
きっと、美羽もそうなることを望んでる!
『そんなわけないでしょ』
声は、私の言葉を切り捨てるように淡々としていた。
怒っているわけでも、責めているわけでもない。
ただ、事実だけを告げるような、冷たい静けさ。
「……どうして、そんなこと言うの」
喉が震える。
胸の奥がざわざわして、落ち着かない。
(美羽は……私を必要としてる。私がいなきゃ、きっと生きていけない。だから、私がそばにいなきゃいけないんだ)
そうだ。だって、美羽は親友を裏切ってまで、私を選んでくれたんだ。
うん、あれは絶対にそう言うことだ。
キスもして、身体を私に預けてくれたんだから。
『違うよ。本当は自分でもわかってるでしょ。アレは私に溺れているんじゃない。私のいじめのせいで、従うしかなかっただけ』
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
「……そんなこと、あるわけ……ない」
声が震える。
否定したいのに、喉がうまく動かない。
『あるわけない? 自分が美羽に対して何をしてきたのか忘れたの? いくら私の五感が異常だらけだからと言って、一般的なことが分からないわけではないでしょ』
……本当は、わかってた。
どれだけ辛いことかはわからないけど、私が美羽にしてきたことが、普通の人間なら耐えられないことだってことくらい。
私はただ、認めたくなかっただけだ。
『だから、今すぐ――』
「じゃあ!」
でも、でもっ!
「これ以外に、私が普通になる方法があるの!?」
使くにあった包丁を掴む。
もう一人の私が声を上げようとするが、この時ばかりは聴覚すらも異常が出たみたいだ。
『――――!』
「ほら!」
変な色の液体が手首から流れてくる。
でも、一ミリたりとも痛くないし、赤色ということすら認識できなくて、血の匂いすらも感じない。
これが、私は異常者だってこと証明してる。
「でも! 美羽が近くにいる時だけ、赤いってことも、痛いってことも分かるんだよ! だから、こうするしかないじゃんか!」
『……』
「友達を作るには、私が普通になるしかなくて! 私が普通になるためには、美羽が一緒にいないといけない! だから、こうするしかないんだよ。こうでもしないと……私はっ――」
普通になれない。
今まで、いろんなことがあった。
でも、それらの共通の原因の一つに、私が異常者だからって理由があったんだ。
だから、これさえなくせば、全部うまくいく。そう信じるしかなかった。
『……いい子になるんじゃなかったの?』
「良い子になろうとして、友達が出来たことが一度でもあった!?」
仮にも私の声を使っているんだったら、ふざけたことを言わないでほしい。
この人生で、良いことと言えば、美羽と一緒にいる時間だけなんだから。
『でも、そのせいで美羽から幸せを奪っているんだよ』
「いいじゃん! 美羽は、今まで私からすべてを奪っていたんだよ! だから、ちょっとくらい幸せを奪っても問題ないよ!」
……こんなのはただの逆恨み。いや、八つ当たりもいいとこだ。
でも、こうしないとやってられない。
「ねぇ、何か言ってよ! 間違ったことを言ってるんだったら、今すぐ否定して!」
『……』
「何も言わないんだったら、さっさと消えてよ!」
こうしている間にも、手首から血が流れている。
痛みは感じないし、色はわからないけど、よく見ればしっかりと確認出来る。
逆に言えば……確認しないと、わからない。
だから――
「美羽、私に溺れて……私を救って」
私は神様には願わないけど、美羽には願ってしまっていた。
酷いことをしてきた私には、願う権利なんて存在しないのに。




