拒絶と堕落(裏)
「美羽」
「恵、どうしたの?」
「……やっぱし、今日ちょっと変じゃない?」
美羽と、その親友の篠宮恵が話している。
それはいつもと同じこと。でも、今日の雰囲気はいつもと違っていた。
「そんなことないよ。いつも通り」
「ううん、絶対に違う! わたしは美羽の親友なんだよ、美羽のことくらい分かる」
恵の声は震えていた。怒っているわけじゃない。心配で美羽のことを見失いたくないという気持ちが滲んでいた。
でも、美羽は話すことが出来ない。だって、私と約束したんだから。
「だから、隠さないで正直に話して」
「……何にもないよ」
「美羽!」
何にもない――美羽が、そう言って離れようとした時、恵が美羽の手を掴んだ。
ナンデ、私の美羽の手を勝手に掴んでいるの? ナンデ ナンデ
『そうだよね。美羽は私のもの。誰にも触れさせない、誰にも渡さない』
昨日、私と美羽は、約束をしたはずだ。
だから――弾いてよ。
そう思った瞬間――
バシッ。
美羽は、無意識のうちに、篠宮恵の手を弾いてしまっていた。
(あははっ、いいよ。とってもいいよ)
美羽が親友を拒んでしまったことが、とっても嬉しく、背中がぞくぞくと蠢いて、気分が高揚してくる。これで、美羽がまた一歩、孤独になっていったんだから。
「あっ……そんな、つもりじゃ」
篠宮恵の瞳が大きく揺れる。驚きと、ほんの少しの傷ついた色が浮かんでいた。
いいよ。傷ついたのなら、もう二度と私の美羽に近づかないで。
「美羽……どうして」
篠宮恵が、傷ついた表情をして、叩かれた手を握っていた。
……ちょっとだけ、羨ましいな。私も、美羽に同じようなことをされてみたい。
「もう、勝手にして!」
「け、恵!」
美羽は、必死に呼び止めようとするけれど、声は弱々しく、届かない。
篠宮恵は振り返らず、足早に教室を出ていった。残された美羽の手は、まだ震えていて、虚空を彷徨っている。
その姿は、とってもかわいそうで、寂しそうだった。
だから、私は近づいてあげたんだ。
「美羽、私との約束をしっかり守るなんて、本当に良い子なんだね」
「神崎、さん……」
「ははっ、それにしても、まさか親友の手を振りほどくとは。美羽は、案外悪い子なのかもしれない」
上体を倒し、美羽の顔を下から見上げてみる。
美羽の眼には、涙が浮かんでいて、涙を知らない私では決して共感できないものの、近くにいてあげようと思えてくる。
「それは……」
「言い訳をしたところで意味はないよ。だって、私は最初から最後まで見ていたんだから」
美羽はまだ、現実を受けれていないみたい。
そんなの、駄目に決まってるでしょ。美羽は今、親友のことを傷つけて、一人ぼっちになったんだから。それを、受けれいないと。
「ははっ、現実は受け入れないと。美羽は今、親友のことを拒絶し、傷つけたんだよ。向こうは善意で美羽のことを心配してたのにね。もう、親友に合わす顔は無いんじゃない?」
「そんなことは……」
「強がっても無駄だよ。だって、美羽自身がよく理解しているはずでしょ。でも、安心して。美羽には、私がいるんだよ。どれだけ絶望しても、どれだけ孤立しても、美羽の側には私がいる」
私がいるよ、美羽。
美羽がどれだけ酷い子になっても、美羽がどれだけ孤立したとしても、姉であり、友達でもある私がずっと側にいる。
だから、美羽も私に溺れて、一緒に二人だけの世界に堕ちようよ。
「ほんとうに……?」
「そうだよ。美羽は、私の可愛い可愛いおもちゃで、所有物で――誰にも渡さないから」
「あり、がとう」
今の美羽は、今までで一番弱っていて、ボロボロだった。
だから、その傷口に、私という麻薬を塗り込んでしまえば、簡単に堕ちてしまう。
あははっ、これで、これで美羽が私の物になる。これで、普通の世界が見えるようになる。
「私の言うこと、聞いてくれるよね」
「……うん、何でもいいよ」
そうして、私は美羽を導いて、椅子に座らせ、紅葉の美しくて温かいの体を撫でていく。太もも、腕、胴体、首筋……大切な宝物を撫でるかのように、丁寧で優しい手つき。そのおかげで、撫でれば撫でるほど、普通の世界に生きていることが実感できる。
――柔らかくて、温かい。生まれてからずっと感じることが出来なかったモノが、目の前にたくさんある。
もっと、私に感じさせて、普通の世界というモノを。
「ははっ、美羽……その調子だよ。どんどん、どんどん私に溺れて壊れて、私のところまで堕ちてきて」
私の唇を、美羽の唇に触れ合わせる。
それは、とっても甘くて、とっても美味しい、この世で一番おいしいものだった。甘すぎて、脳が痺れ、心臓がばくばくと悲鳴を上げてしまうくらい。
溺れてしまうほど、甘くて美しい毒。それはもう、本当に痛すぎる。
「これで、美羽は完全に私の物なんだね。そうでしょう?」
「……ん、いいよ」
美羽も、恍惚とした表情を浮かべていて、このキスは満更でもなかったらしい。
それなら、もっともっと美羽のことを感じさせて。
今度は、美羽の首を舐めてみる。
美羽の首は、ちょっとした冷汗と、命の温かさが宿っていて、麻薬すら超えてしまうほどの依存性を持っていた。
こんなの、今まで感じたことない。もっとタベサセテ。
「か、神崎さんっ」
歯を突き立ててみる。コレはもう、私の物。憎い父親でも、泥棒猫でも、篠宮恵の物でもない。
けれど、そのような愚かな人たちは、そのことに一生気付かない。だから、マーキングを着けないといけないんだ。
「美羽。これからも私は、美羽のことをいじめて傷つけていくけど、これが私の愛だから受け入れてくれるよね?」
「あり、がとう。……もっと、来て」
ぞわぞわ、ぞわぞわ。私の心が高揚し、もっと美羽と一緒になりたくなっていく。
溺れて、もっと私に染まって。
鋭い歯を使って、私は自分の頬を少しだけ噛み切ってみる。
痛い……本当に痛い。けど、刺激の強い味が、口内に広がっていく。
これが血の味。あははっ、とっても刺激が強くて、病みつきになりそう。吸血鬼が血を好む理由がよくわかる。
そして、その赤い液体と、ずっと口内にある透明な液体を混ぜ合わせ、噛みついた美羽の体に落としてみる。
そうしたら、私の匂いが傷ついた美羽の体に染みついて、より強いマーキングになると思ったから。
(あははっ、やっとここまでこれた。あとちょっと、あとちょっとで、私は普通になれる)
私は、幻想の幸せに溺れていた。
冷酷な現実に目を背けて。




