弁当(裏)
「あ、やっときた。逃げちゃったかと思ったよ」
あれからしばらく時間が経って、とうとう昼休みまで、美羽をいじめるようになった。
美羽は、いつも篠宮と一緒に弁当を食べているのだけど、どうやら私の方を優先してくれたらしい。……ははっ、嬉しいな。
「……そんなこと、しないよ」
美羽は笑顔を貼りつけたまま答えた。
その笑顔は満足できるものでは無かったけど、美羽は可愛いから許してあげよう。
「だよね、優しい優しい美羽なんだから、そんなことをしないよね」
私はそうして、美羽のほうへ一歩、また一歩近づいていく。
その足音が、薄暗い校舎裏に重く響いた。
「ねぇ、美羽。弁当は持ってきた?」
「う、うん」
「出して」
「え?」
「出して」
その一言で、美羽の肩がびくりと震えた。
それでも、彼女はゆっくりと弁当箱を差し出してくる。
指先がわずかに震えている。
その震えが、私の胸の奥に妙な熱を灯した。
「……ほら」
「ははっ、やっぱり美羽は素直だね」
弁当の中身は、美羽の母親が作った食べ物で埋め尽くされており、おいしそうな匂いが鼻腔をくすぐってくる。けれど、こんなのがおいしいはずがない。だって、美羽の母親というのは私からお父さんを奪った人なのだから。
弁当をさかさまにして、それらの食べ物を地面に落とす。でも、安心して、私は何度が地面に落ちた食べ物を食べたことがあるけれど、ちゃんと食べることが出来たから。
「あれ? 何も言わないの? 愛しいお母さまが作った弁当を捨てられても、ただ黙っているだけで怒らないなんて、美羽は酷い子だね」
私の言葉に、取り巻きの二人が声を合わせて笑った。
けれど、美羽は嫌な顔をするだけで、何も言わない。
「この場面を美羽の両親に見せたらどうなるのかな? わたしたちの大切な娘をいじめるなって言うのか。……それとも、何も言うことが出来ない美羽に失望するのか」
きっと失望するはずだよ。だって、娘を守ろうとする人物なら、私のことを見捨ててない。
「なんで……こんなことをするの?」
美羽の声は震えていた。
私は一瞬だけ目を細め、口元に冷たい笑みを浮かべる。
「なんで? 理由なんているかな? 私はただ、いじめたいからいじめてるだけ。……理由なんて、何一つないよ」
ごめんね。ほんとのことは言えないんだ。
美羽が私の妹だってことを言ってしまうと、きっと美羽は家族という物を信じられなくなってしまう。それだけは、したくないんだよ。
(まぁ、美羽もそっちのほうが良いでしょ)
「ねぇ、美羽。そんな顔しないでよ。笑ってみせて?」
私はわざと優しい声で囁き、美羽の顎に指をかけて顔を上げさせる。
やっぱり、美羽は可愛いね。
「私は美羽のこと、個人としては嫌いじゃないんだ。だから、言うことを聞いてくれるよね」
そう言うと、美羽は一瞬だけ表情が強ばったが、次の瞬間には笑顔になってくれた。
ほら、美羽も喜んでくれてる。私は何も間違えてない。
「そうそう、美羽はそうやって笑っていればいいんだよ。可愛い顔が台無しになるからね」
取り巻きの二人がまた笑い声を上げる。
その音が、校舎裏の薄暗い空気をさらに重くしていく。
「じゃ、食べていいよ」
「え?」
「だから、食べていいよって言ってるんだよ」
美羽が、見たことないような顔をしてる。でも、そんな顔の美羽も可愛いね。さっすが私の妹だよ。……まぁ、そこが憎いんだけど。
とは言え、これだと美羽の食べ物が無くなっちゃう。私の物をあげれたらいいのだけど、あいにくDNA検査の費用のせいで、昼食を抜いてしまっている。だから、こうするしかないよね。
(それに、そこまで問題ないでしょ。実際に食べれたんだから)
「別に食べなくてもいいよ。その時は、どうなるかわかっているよね?」
何もするつもりは無いけど、こう言わないと、食べてくれなさそうだ。
「ああ、それに、食べないと愛しいお母さまが悲しむよ。せっかく、お母さまが弁当を作ってくれるほど幸せな家庭に生まれたんだから、無駄にしたら可哀想でしょ?」
美羽の母親には、悲しんで、苦しんでほしいけど、美羽が母親を愛したいというのなら、その自由は許してあげる。さすがに、お父さんは許せないけど、可愛い/憎い妹の頼みなら聞いてあげるからさ。
そして、美羽が地に墜ちた食べ物を口に入れる。苦しそうで、泣いてしまいそうな顔をしているけど、口角は上がっているから、きっと嬉しいのだろう。
(あはっ、これで一緒だ! 私も食べたことがあるから、これで仲間に慣れたね! ……あっ、これが共感なのかな? 初めて共感した人が美羽だなんて、最高だよ!)
心が嬉しさに包まれて、胸の奥が熱くなっていく。それはもう、限りないほど熱く、痛いのだと頭が錯覚してしまうほどに。
「うわ、本当に食べた! やばっ!」
「ねぇ紅葉、これ最高じゃん!」
取り巻きの二人が声を上げ、笑いながら美羽を指さした。
「ごめんね、本当はこんなことしたくないんだけど、仕方が無かったんだ。それに、別に逃げていいんだよ。美羽が幸せで温かい家から出てこなければ、こんな仕打ち受けないんだから」
逃げてほしくないけど、念のため逃げ道も提示しておかないと。そうしたほうが、この道を自分で選んだって自覚が出来て、より深くまで溺れてくれるはずだ。
そして――
「……逃げないよ」
美羽はそう答えた。私を心の底から満足させる、その言葉を。
しかし、何故か私の心は嬉しさに包まれず、怒りのようなものが湧き出てきた。
「あっそ」
その言葉は、自分でも驚くほど冷たく落ちた。
今まで感じたことの無いような怒り。これまでの人生で、怒りとは無縁だった私には、それを堪えるすべを知らない。
「なら、こうしても文句は言わないよね」
私の手が勝手に、美羽の腹を殴っていた。
「……っ」
美羽は、苦しそうに腹を抱えて蹲っている。でも、今の私はその顔を望んでいない。
「ねぇ、美羽。まだ笑える? 美羽が笑うまで、続けるから。覚悟してね」
けれど、美羽は位置までたっても、笑顔にならない。何とか笑顔になろうとしている努力は感じることが出来たから、怒ろうとする気になれないけど、それでも苛立ちは収まらなかった。
「……やっぱり、簡単には笑えないんだね」
そうして、私は美羽のことを優しく包み込んだ。
腕の中から美羽の温かさが伝わってきて、誰にもあげたくないという独占欲が湧き出てくる。
「ごめんね。こんなこと、本当はしたくないんだよ」
その声は、柔らかいのにどこか空虚だった。
美羽は何も言えず、ただ視線を落とす。
「だから、さっさと壊れてよ」
そうすれば、きっと幸せになれるから。




