溺欲
来ないで。
次の日から私がしたことは単純だった。
美羽のことを全力で遠ざける。それだけ。
話しかけられても、返事をしない。
目が合いそうになれば、すぐに逸らす。
同じ空間にいるだけで胸がざわつくから、できるだけ距離を取った。
その理由は、とても簡単。私は私を信じることが出来なかったのだ。
出来ることなら、私は美羽と一緒に笑って過ごしたいと思っている。けど、どれだけその気持ちが大きくても、妹への憎しみが消えるわけでは無く、美羽のことを傷つけてしまう可能性があったからだ。
だから、私は私のことを信用しなかった。どれだけ頑張って耐えようとしても、きっと憎しみ爆発してしまうと思ったから。
でも――。
「紅葉! どうしたの? わたし、何かしてしまった?」
「……」
どれだけ無視しても、どれだけ冷たい態度をとっても、美羽が私から離れることは無かった。
ずっと、ずーっと私のことを追ってきて、目に涙を浮かべながら、私に話しかけてくる。……やめてよ、私だって辛いんだよ。美羽は初めての友達だから。
(それでも、私は……)
美羽は、私の最初の友達だ。だからこそ、傷つけるわけにはいかない。何があっても、それだけは……。
でも、それは予想以上につらいことだったんだ。
私の五感が戻ってくるのは、美羽が近くにいる時だけ。だから、美羽から離れるということは、元の白黒の世界に戻るということ。今までは、彩り豊かな世界を知らなかったから耐えることが出来ていたのだが、それを知ってしまった以上、もう白黒の世界でさえも絶えることが出来ないかった。
(あははっ、痛い……痛いよぉ)
しかも、それだけじゃない。中途半端に感覚が戻っていたせいで、今まで無視していた心の傷に向き合う羽目になったんdだ。私が気付いた時には、伽藍洞の心はひびだらけで、ちょっとしたことで痛みを訴えてくる。
その痛みは、痛みに全く慣れていない私では耐えられないほどであり、理性で抑え込めているものの、どんどん狂いそうになってくる。
そして、私の決意はより悪い方向へと進んでいった。
「アイツって、ほんと身勝手だよね」
「そうそう、嫉妬深い性格なんじゃない。あんなのには関わらないのが正解だよ」
屋上へと続く階段で、一人弁当を食べていた時、どこからかそんな声が聞こえて来た。
うん、誰のことを話しているのかわかっている。このころにはもう、美羽はクラスの中心と言えるほどの人気者であり、それを無視する私は嫌われ者だった。
(でも……仕方ないじゃんか)
友達を守るためにはそうするしかなかった。
美羽はこの世で一番大切な友達で、太陽みたいな存在で、唯一私に暖かさをくれた人。だから、私という異常者とは関わるべきでは無いんだ。……その方が、その方が美羽のためになる。
(なんで……こうなったのかなぁ)
高校こそは、友達を作るはずだったんだ。でも、実際は唯一出来た友達を守るために、自分から友達を作らない道に歩んでいたのだ。私に近づく人は誰もおらず、唯一の例外は美羽というすべての元凶。
もし、美羽がいなければ、友達が出来ていたかもしれなかったのに……今度は、友達を作るチャンスを奪っていくなんて。
(違う……美羽は悪くない。全部全部私が悪い)
また、美羽のことを憎みそうになってしまう。
美羽は悪くない。美羽は私を救ってくれた。美羽は初めての友達で、初めて世界を色づけてくれた人。
それなのに。
この苦しみの元凶は美羽。私が一人持っちなのも美羽のせい。私の人生を狂わせた人が美羽なんだ。
(美羽、美羽、美羽……私は、どうしたらいいの? どんな態度で、君に接するといい?)
あの手にまた触れたい。あの笑顔をまた向けられたい。美羽が、私の物になれば、どれほど世界は輝いて見えるのだろうか?
ああ、想像するだけで、わくわくしてくる。きっと、今まで見たことないほど、美しい景色が見えるから。
でも、それは駄目だ。美羽には幸せになってほしい。この思いも、本物なんだよ。
「紅葉! また話そうよ」
「……」
こうして耐えている間も、美羽は必死に呼びかけてくる。それがどれだけ私を傷つけ、苦しめているのかを全く理解してくれない。それがさらに、私の憎しみを肥大させていく。
(どうして……どうして分かってくれないの、美羽)
美羽の声が近づくたびに、胸の奥がひりつく。
痛い。苦しい。なのに、嬉しい。
この矛盾が、私を壊していく。
あの手に触れたい。
あの笑顔を向けられたい。
美羽が私のそばにいてくれたら、世界はどれほど綺麗に見えるだろう。
(でも、それを望んじゃいけない)
美羽は幸せにならなきゃいけない。
私みたいな異常者と一緒にいたら、きっと不幸になる。
だから、離れなきゃいけないのに。
「紅葉! 本当にどうしたの? わたし、何かした?」
美羽の声が震えている。
その震えが、私の心をさらに揺らす。
(違うよ……美羽は悪くないのに)
でも、言えない。
言葉にしたら、きっと美羽はまた笑って、また近づいてきてしまう。
それが怖い。
美羽が近づけば、私はまた心を乱す。
いつかきっと、感情が暴れてしまう。
(お願いだから……来ないで)
そう願っているのに、美羽は止まらない。
「紅葉。ねぇ……わたし、心配なんだよ」
その一言が、胸の奥に深く刺さった。
(やめてよ……そんなふうに言わないで)
痛い、心が痛い。
でも、耐えないと。痛みなんてものは、私以外はみんな耐えながら生きていたんだ。だから、私も耐えないといけないんだよ。
でも、痛いものは痛い。本当に痛い。痛い……痛い、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
ほんと、泣き出してしまいそう。そんな機能、私には無いはずなのに。
それでも、美羽は私から離れてくれない。ずっと、ずっと追いかけてくる。
こんな私を気遣ってくれる美羽は、本当に大好きで、こんなにも私のことを傷つけてくる美羽は、本当に大嫌いで、好きと嫌いという感情が、私という名の器から漏れ出し、苦痛へと変わっていく。
人間、感情の器という物を持っている。たとえ、好きという気持ちであろうとも、嫌いという気持ちであろうとも、その器から漏れ出してしまえば、苦痛しか残らない。
そして、人間はその苦痛から逃れるために色々なことをする。……殺人というのも、その苦痛からのが逃れる方法の一つだろう。
私は、その手段を取らないと誓うことが出来ない。だから、美羽を遠ざけているんだ。私が過激な手段を取らないと保証できる人は私を含めても、誰もいないから。
でも、美羽はその苦しみに気付いてくれない。
こんなにも苦しんで、悲しんで、理性という鎖で、私という猛獣を押さえつけているのに!
ねぇ、いつになったら気付いてくれるの? 理不尽な怒りってことはわかってる。でも、もう我慢できないんだよ!
毎日毎日、モノクロの世界で生き、味がしないご飯を食べて、現実に触れることすら出来ない! それが、どれだけ苦しいのか理解できないでしょ!
せめて、何か一つは返してよ! お父さんやお母さんのような家族でも、視覚や触覚のような五感でも、笑い合うことが出来る友達でもいいから……もう、十分でしょ。妹だからと言って、これ以上姉の物を取らないで。
「紅葉」
こないで、私のことは見捨てて。
「紅葉!」
こないで、普通の世界という幻想を見せないで。
「紅葉――!」
こないで、もう疲れたんだよ。私は幸せなんて求めない。だから、そっとしといてよ。
「紅葉――‼」
……こないで
……こないで
……こないで
こないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでこないでコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデコナイデ
バシッと言う音と共に、私の手が美羽の頬を叩いた。
その痛みで、美羽の顔が少し歪み、その瞳に怯えのようなものが宿る。
(……あはっ)
私の手から伝わった衝撃は、体では無く心に染み込んだ。その瞬間、胸の奥がじわりと熱を帯び、全身が震え出す。
ああ……だめだ。
この感覚、あまりにも強すぎる。
欲しい。欲しいよ。
もっと、この感覚が欲しい。
もっと、この感覚に溺れ沈みたい。
この感覚の中で、溺死したい。
ねぇ、もっと表情を歪ませて。
ねぇ、もっと衝撃をちょうだい。
ねぇ、もっと私の方を見て。
あははっ、気持ちいいって、こういうことを言うんだね。こんなの、生まれて初めて。
ああ、なんで美羽にこの感覚をあげれないのかな? もし、感覚をあげることができたのなら、一緒に楽しんで溺れることが出来たのに。
その快楽は、明確に私を狂わした。もうどうしようもなく手遅れで、喜びすら知らぬ私には、抗えないほど甘かった。




