中学生
そして、私は中学生になった。
もちろん、小学校の時に友達が出来たことは一度も無く、お母さんの虐待はより酷くなるばかり。私の周りの環境は良くなることなんて無くて、一向に悪くなるばかりだ。
それは、中学生になっても変わらない。
「あははっ、いい気味じゃん。バケモノは、こうでなくちゃ」
「だよねー。何をやっても大声も出さないし、周りも黙認してくれるから、ほんと良いおもちゃだよ」
私は、中学生になるといじめられていた。それも、小学生の時までとは違う、かなり陰湿ないじめを。
例をあげていくと、暴力などはもちろん、机に落書きを書かれたり、靴箱にゴミを詰められたりなど。どれも陰湿で、それらをされてしまうと、かなりめんどくさかった。
(めんどくさいな……でも、仕方ないか)
私は声を上げない。
痛みも、悔しさも、悲しさも、感じないから。
ただ、淡々と処理するだけ。
でも、それがさらにいじめを促進してくる。どれだけいじめても、決して壊れなくて、貧乏なせいで歯向かう力も無いと分かれば、誰であろうと面白がって、さらに手を伸ばす。壊れない人形で遊ぶ、子供のように。
いじめられたくないのなら、声をあげるべきだってことはわかっている。けれど、声をあげる方法なんて私は知らない。
だから、私にはどうすることも出来なかった。
「紅葉、感謝しなよ。汚くて臭い体を、アタシたちが丁寧に洗ってあげてるんだから」
クラスメイトの女子たちが、バケツを使って冷たい水を私にかけ、床を拭くための雑巾を使って、私の腕や顔を拭いていく。その動作には、私に対する思いやりのようなものは無く、肌が擦られて赤くなっている場所もあった。
「あははっ。コイツ、まだ笑ってるよ。ほんとキモいよね」
「言わないであげなよ。コイツはMだから、喜んでいるだけなんだよ」
もちろん、私は喜んでない。悲しくも辛くも無いし、涙すらも出てこない。ただ、誰かと友達になりたいから、笑顔を演じているだけで、それ以外の理由なんて、何一つ存在しない。
「じゅあ、こういうのはどう?」
そうして、私をいじめてい女子の一人が、鞄の中からパンを取り出して、地面に落とした。そのパンが転がると共に、砂や泥がどんどん付着していき、止まったころには、普通の人が食べれないほどの状態になっていた。
「紅葉、餌だから手を使わずに食べな」
「……うん」
もちろん、私にとって、そのパンを食べることは苦痛にすらならない。味なんてものは最初から感じないし、普通なら嫌がるじゃりじゃりとした感覚ですら、私には通用しない。
ただ、これはメリットってわけじゃなくて、そもそも味を感じないせいで食べること自体が嫌いなほうであるから、出来ることならば、このパンを食べたくなかった。でも、命令されたから食べないといけないんだけどね。
「うわっ、ほんとに食べてる……」
「コイツって、人間の姿をした別の生き物でしょ」
手を使わずに、地面に落ちたパンを頬張っている私を見て、いじめてくるクラスメイトたちが笑いながら私を指差す。
その目には、同じ人間を見る視線はなかった。
まるで動物園の檻の中にいる珍しい生き物を眺めるように。
本当に、辛さは感じていない。感じるのは、自身の異常さによる壁だけだ。
この壁さえなかったら、彼女たちの友達に慣れたかもしれないのに。
――――――――――――――――――――
それは、数か月後の時だった。
もちろん、私はその時もしっかりといじめられていて、誰にも飽きられることは無く、むしろ新しい遊び道具を見つけたかのように、いじめは形を変えて続いていた。
……あ、前もって言っとくけど、学校の先生たちはこのいじめについて気付いているよ。でも、私の家は貧乏で、手に入ったお金も、だいたいはお母さんが自分で使ってる。だから、学費や給食の滞納といった問題が生まれているんだ。
その問題を解決するために、私は校則を破ってアルバイトをしていて、何とか中学に通えることが出来ている。しかし、どんな事情があっても校則は校則。私のアルバイトを肯定してくれる先生などいなかった。
(まぁ……そのアルバイトも足元を見られている気がしているんだけどね)
いくら何でも、時給六百円って安すぎでしょ。たぶん……法律のほうも破っている気がする。日々のいじめ、家での虐待、毎日しているアルバイト、その負担は大きく、体が言うことを聞いてくれない日が多々ある。でも、痛みという警告が無い私は、負担を無視して動き続けることが出来ていた。
……駄目なことってことは、わかっているんだけどね。
そして、今はとある体育の時間。種目はドッチボールで、男女混合の試合をしていた。
もちろん、私は最初っから外野。ボールを投げさせてもらえることは無く、来たボールは男子だけでは無く、女子にすら奪われている。
(別に、良いんだけどさ……)
心の底から笑って楽しんでいるクラスメイト達を見ると、羨ましいなと思ってしまう。楽しさなんて、私の知らない感情で、一回くらいは感じてみたかったものだったからだ。
その時……。
「痛っ!」
男子が投げたボールが、普段私をいじめている女子の顔面に直撃し、彼女は尻もちをついた。
鼻から血が流れ始め、周囲は一瞬ざわめいた。
「ちょっと! 男子!」
「ご、ごめん! 狙ったわけじゃなくて……」
「狙ったとか狙ってないとか関係ないでしょ! どうしてくれるのって言ってんの!」
一瞬でクラスの中が険悪な雰囲気になる。でも、私はそんなことを気にしなかった。
それなら、私は何をしていたのかというと、尻もちをついた女子に向かって駆け出していたのだ。
「大丈夫? 保健室まで運ぼうか?」
私は、彼女に向かって手を差し伸べる。今の痛みがどんなものなのか共感することは出来ないけど、一般的に考えて、血が出るってことは大変なことが起きたということだから。
しかし、 差し伸べた手は、宙で止まったまま。
彼女は私を見上げ、血の滲む鼻を押さえながら、私のことを信じられないものを見るような目で、じっと見つめていた。
「は?」
「どうしたの? 血はまだ出てるよ?」
私がこういうことをしたのは、ただの善意だった。多少、友達になれるかもしれないという打算があったとしても、一般的に考えて、他人に優しくするのは当然のことだからだ。
……それが、彼女のプライドを傷つける行為だってことは、理解すら出来ない。
バシッという音と共に、私の手が弾かれた。痛みとかはないけど、どうしてそんなことをされたのか理解できない。私の手がいらないのなら、無視するだけでいいし、そもそも今の彼女の状態は、手助けが必要な状態だったから。
「……ふざけないでっ!」
「ふざけないでって何を?」
「そういう所だよ! オマエは、アタシより下なんだよ。なのに、アタシのことを憐れんで、見下して……」
「どういうこと?」
本当に理解が出来ない。怒りなんて、全く共感することが出来ないし、今の自分がどんな状況に置かれているかも、あまり理解できていない。
……痛みなどの感覚が無いところは、こういう所で問題になっている。他人の感情が根本的に理解できていないせいで、自身にどんな感情を向けられているのかわからないから。
だから、私は文脈でしか判断することが出来ず、理解できないことがあると「なんで」と問いかけてしまう。
「先生……保健室に行ってきます。凛、沙綾、ついてきて」
「う、うん」
「わかったよ」
そうして、彼女は私の腕を掴んで、保健室へと歩き始めた。
何でこうなったのかわからないけど、保健室に行ってくれるのなら、良かったと思う。
……けれど、たどり着いたのは保健室では無かった。
誰もいない校舎裏に来て、私は壁に向かって投げられる。
ドンという鈍い音と共に、私の体が壁にぶつかり、バランスを崩して膝をついてしまう。
でも、やっぱり痛くはない。
「え? ここは保健室じゃないよ」
「チッ、なんで今ので笑顔のままなんだよ……。本当に、バケモノなんだな」
クラスメイト達は、心底化け物を見るような眼差しで、私のことを見てくる。
どうして? 私は貴方のことを心配しただけなんだよ。
「あっ、鼻血はもう止まったんだ。なら、授業にッ――」
腹を蹴られ、息が詰まる。痛みはしないけど、圧迫感による息苦しさが私を襲い、膝から崩れ落ちてしまう。
どうして? なんで? 私がいったい何をしたの?
「ねぇ、紅葉。アンタ、本当にふざけてんの? アンタごときがアタシをいじる資格はないんだよ」
「ごほっ……。い、いじる……?」
何を言っているのかさっぱりわからない。私はただ、クラスメイトの心配をしただけで、それ以外のことなんて、少しもしていない。これって、私がおかしいのかな? 誰か、教えてよ。
「アンタのような、貧乏で、傷だらけで、不細工な奴が、何でアタシのことを下に見てるの? いつもいつも、どれだけいじめても、へらへら笑っているだけで、少しも表情を変えない。そんなキモイ奴がアタシに手を差し伸べるなんてありえない」
頭の中は疑問ばかり。どれだけ理解しようとしても、私と彼女たちの間には、頂が見えないほど高い壁が合って、決してわかり合うことが出来ない。
(なんで、どうして……)
こうして考えている間にも、私の体は暴力という雨に蝕まれている。体はどんどん重くなっていくし、小食のせいで体が満足に出来上がっていない私では、抗うことすら出来そうもない。
善意をよくわからないもので返されて、胸の奥がざわついた。
痛みではない。苦しさでもない。
ただ、何かが噛み合っていないという違和感だけが、じわじわと広がっていく。
(どうして……どうして怒ってるの……?)
問いかけても、答えは返ってこない。
彼女たちの表情は、私には読み取れない形に歪んでいて、その意味を理解するための感覚が、私には最初から欠けていた。
「アンタみたいなのに、同情される筋合いなんてないの」
その言葉だけは、なぜか胸の奥に沈んだ。
同情――それが、彼女たちの怒りの理由なのだろうか。
でも私は、同情なんてしていない。ただ、助けようとしただけなのに。
(助けるって……いけないことなの?)
わからない、全部全部わからない。
わからないまま、世界だけが私を置いて進んでいく。
私の普通と、彼女たちの普通は、どうやっても重ならない場所にあるのだと、薄々気づき始めていた。
異常者である私に、普通の友達ができるはずなんて、最初からなかった。
そう理解した瞬間、胸の奥で、伽藍洞の心が静かにひび割れた。




