小学生
そうして、私は小学生になった。
けれど、何も変わらなかった。
幼稚園の頃と同じように、私の見た目は冴えず、同じ園から上がってきた子どもたちが多かったせいで、気味悪がられることは相変わらずだった。
ただ、その時にはもう自分の異質さにも、周りの環境の異常さにも理解し始めていて、この点についてはどうしようもないと諦めかけていた。
(でも、いい子にしてたら、きっといいことあるよね)
私は愚かにも、そう考えていた。他人に優しく、自分のことよりも優先して動いていれば、いつかは友達が出来るって。
現実は、そんなに甘くないのにね。……甘さなんて知らないけど。
「バケモノ、これを持てよ」
「宿題やっといて」
「代わりにかたずけをやっといて」
「……うん」
誰が言い始めたことかは忘れてしまったし、気にしたことも無かったけど、気づけば私は周囲の人たちに利用されていた。
ほんと、子供って賢いよね。誰よりも早く、私の利用方法を理解して、うまく扱うんだから。
でも、私はそれに逆らえなかった。どうしても、友人が欲しくかったから。
だから、雨の日でも、夏の暑い日でも、何故か体が重くて動かない日でも、私はクラスメイトたちの命令に従っていた。……もちろん、この時もお母さんからの虐待は続いていたよ。
そして、事件は起こった。
「なぁ、バケモノ。一緒に遊びに行こうぜ」
「えっ? いいの?」
私は、初めてクラスメイトから誘われて、浮かれていた。
……いや、そんな感情は育って無かったから、この場合は期待していたと表現したほうが正しいか。
(もしかしたら、友達になれるかもしれない)
そう思って、私はクラスメイトたちについていった。
足取りは軽く、放課後の街へと足を踏み出す。どうせ、お母さんは家にいないから、返るのが多少遅くなっても、誰にも責められない。
「ねぇ、どこに行くの?」
問いかけても、誰も答えてくれなかった。
ただ、ひそひそと笑い声が背中にまとわりつく。
私はそれを「楽しそうだから」と解釈した。
友達になれる証拠だと思い込んで、歩みを止めなかった。
そして――。
「おい、これを持ちながらここで待っとけ」
途中で合流してきたクラスメイトの一人が、何かを渡してきた。
それは、数冊の漫画で、買ったばかりのように綺麗だった。
「いいけど、なんで?」
「理由なんてどうでもいいだろ。俺らは少し用があるから、それが終わるまではずっとここで待っとけよ」
「う、うん」
私は漫画を胸に抱えながら、その場に立ち尽くした。私は触覚が無いから、しっかり目で見ないと漫画を持っているか判断できず、ずっと抱えている漫画を見続けていた。
(これを持っていれば……友達になれるのかな?)
寂しいとは感じない。けれど、どこか不安で嫌なことが起きそうな予感がしていた。
遠くから笑い声が聞こえる。私を置き去りにして、彼らは別の場所で楽しんでいるのだと気づいた瞬間、胸の奥が冷たく凍りついた。
もしかしたら、また利用されたのかもしれない。みんなで遊んでいる間のただの荷物置きとして。
……けれど、現実はもっと悪かった。
「いたぞ!」
怒鳴り声と共に、数人の大人が駆け寄ってきた。
その目は鋭く、まるで犯罪者を見つけたかのように私を睨んでいた。
「お前、盗んだんだろう⁉」
指をさされた漫画を見て、私は混乱した。
確かに私が持っているのは新品の漫画。けれど、それはクラスメイトから渡されたものだ。
「ち、違います。これは、クラスメイト達に渡されたもので……」
「嘘を吐くな! それなら、どうしてシュリンクが付いているんだ⁉」
シュリンク? そんなもの、私は知らない。急なことばかりで頭が付いていかず、ずっと困惑していた。
必死に言葉を紡ごうとするけれど、声は震えて途切れ途切れになり、大人たちの視線は冷たく、私の言葉など最初から信じていない。
「返してもらうぞ」
そのうちの一人が、私が持っている本へと手を伸ばす。でも、クラスメイトたちとの約束を守るために、私はそれを躱してしまった。
「渡せよ! 今なら、俺たちは何もしないから」
「で、出来ません。事情があるんです!」
「ちっ、このガキ……」
そして、気づけば私の体は殴り飛ばされていた。
どこが殴られたのか、痛みを感じない私にはわからない。だから、つい手を離してしまった漫画へと手を伸ばす。
「まだ盗む気か!」
怒声が飛び、腕を乱暴に掴まれる。
触覚のない私は、その力の強さを理解できず、ただ視界の揺れだけで状況を把握するしかなかった。
「違うんです……返さないと、約束を破ってしまうから……」
必死に訴える声は震え、涙も出ない。……いや、そもそも物心がついた時から、一度たちとも泣いたことは無い。
けれど、大人たちの目には、それが言い訳にしか映らなくて、掴んだ腕を放してくれる様子は無かった。
そして、視界の端に、あるものが映る。
「はははっ、あのバケモノ、まだやってるよ!」
「おもしろいね。またできるかな?」
(ああ……こういうことだったんだ)
クラスメイトたちが私を見て笑っている。それを見て、ようやく私は理解できたんだ。彼らに、嵌められたんだってね。
痛みは無いし、悲しさも感じない。けれど、胸の奥に冷たいものが広がっていった。
それは悲しみでも怒りでもない。
ただ、世界から切り離されていく感覚だった。
こうして気付かないうちに、私の伽藍洞の心が、一つひびが割れた。
――――――――――――――――――――――
「どうして盗んだんだ!」
「ぬ、盗んでないです!」
「嘘を吐くな! ……全く、これだから貧乏の奴らは嫌いなんだ。何をしたっていいと思ってるからな」
その後、担任の先生に報告され、私は一人で説教を受けていた。いくら嵌められたと言っても、先生は全く信じてくれず、むしろ反省なしとして、より私を責めていく。
確かに、私の家は貧乏で、服も古びていて、持ち物も人より劣っていた。
けれど、それが罪になるはずはない。
「全く、給食費の滞納でさえ問題になっているのに、次は窃盗か……。はぁ、ほんと邪魔だな」
何も言い返すことが出来ない。言い返しても無駄なことは、言わなくても理解できるし、これまでの経験が証明していた。私に味方なんていない……その事実が、重く体にのしかかる。
「お前の母親はいつまでたっても、現れないし、俺だって暇じゃないんだぞ。もういい、さっさと帰れ」
「はい……」
「チッ」
冷たい吐き捨てるような声が、背中に突き刺さった。
私は小さく頷き、教室を出る。
廊下は薄暗く、夕陽が差し込んでいるのに、どこか冷たく感じられた。
(やっぱり……誰も信じてくれないんだ)
足音だけが響く。
それはまるで、世界に私しか存在していないかのようだった。
家に帰っても、お母さんはそこにはいない。金を稼いでいるか、酒を飲んでいるのか、知らない男と一緒にいるのか、そのどれとも違うものなのか、知らないし興味も無い。
もし居たとしても、待っているのは罵声と暴力だけだ。
学校でも、家でも、私に居場所はなかった。
(いや、お母さんに連絡が言ったってことは、暴力がさらに強くなるのか……。嫌じゃないけど、めんどくさいな)
お母さんはちょっとでも気に食わないことがあると、すぐに私に対して暴力を振るってくる。
前に、少しでも見栄えをよくするために、お母さんの百円を盗んで髪飾りを買ったら、それだけで肌をライターで炙ってきたくらい。もちろん、八つ当たりとかでも暴力を振るうし、何も無いのにわざわざ近づいて暴力を振るう時もある。
痛くはないけど、それが私を異常者だと知らしめてくる。それだけで、今後一切友人が出来ないような錯覚に襲われてしまうのだ。
(……友達が出来ないのだけは嫌なんだよね)
何故かはわからない。けれど、友達への執着だけが私を突き動かしていた。
捻じれ、歪み、ひび割れた心を抱えながら、私は生きていた。
その歩みが、より悪い方向へ進んでいることに気づきながらも。




